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鬼和尚に聞いてみるスレ【1】
970
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/09(水) 23:49:18 ID:eFPJm.9.0
>>969
>>963
です。
わかりました。ありがとうございました。
971
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/10(木) 18:57:51 ID:WL2yRwjAO
ありがとうございます
ただプラスにしろイメージを育てつつ、一方でイメージへの執着を消す修行をするのは矛盾しないでしょうか
執着しなきゃいいんでしょうか
あと無意識にマイナスのイメージが沸く源泉みたいなものがあるらしく
この源泉を堀つくし清めないといくらプラスイメージを注いで焼け石に水なようです
いわゆるアーラヤ識とか言われる意識なのかもしれないですが
このマイナスイメージの源泉を枯らすのも
やはり数息観をして心を落ち着かせて自然に沸き上がるイメージを観察する方法が良いんでしょうか?
972
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/10(木) 20:47:47 ID:kaXJvxhM0
>>970
どういたしまして、またおいでなさい。
>>971
イメージを作り、その執着を消すのも心を制御するためなのじゃ。
苦や囚われが心にあれば心を制する修行は困難になるからのう。
そのためにイメージを作ったり、執着を消したりするのじゃ。
その源泉を知りたいならば、更に集中力や観察力を増して、原因を探ると良かろう。
それはどこから来るのかとか、どのようにして起こるのかとか、詳しく心の中を探求していくのじゃ。
そして原因が判れば滅する事も出来るのじゃ。
973
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/11(金) 00:03:22 ID:/QWxgJ4.0
鬼和尚さん質問です。インドにはヨガとかアーユルヴェーダとか身体や精神のことについてよくできた考えかたがあるのに何故治安が悪いのでしょう?
974
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/11(金) 16:54:21 ID:Hq8d/KIg0
鬼和尚による十牛図の解説を聞きたいです。
975
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/11(金) 20:26:11 ID:kaXJvxhM0
>>973
治安が悪いからそのような法が生まれたのかも知れん。
人間は必死になると智慧が出るものじゃ。
昔から明日をも知れぬ地域ならば、人々は必死になって生きるための智慧や、死を超える法を見出したのじゃろう。
976
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/11(金) 21:08:13 ID:kaXJvxhM0
>>974
十牛図は元は道教の修行の為のものであったという。
元々道教の聖なる数字である九図であったというが、禅の者がとりいれて一図を足し、十牛図にしたという。
最後に入れられた入?垂手図では悟りを得た後、人々に教えを説く事が現されておる。
それこそお釈迦様から連なる仏教徒の姿なのじゃ。
一.尋牛 牛を尋ねる。牛とは人の自我と言えるのじゃ。
牛を尋ねるとは自らを見出そうとする意志を定める事なのじゃ。
二.見跡 跡を見る。未だ自我は見えないが何やら心に残る跡が見えてきたのじゃ。
心に感情や思考などの働きがあれば、主体を起こす事になるのじゃ。
心の働きを観る事によって、その背後にある主体の跡をも垣間見るのじゃ。
三.見牛 牛を見る。自我が見えたのじゃ。
己とは何であったのか、観る事が出来れば気付くのじゃ。
完全に自我が観られたならば、この見牛から忘牛までは一瞬で起きるのじゃ。
四.得牛 牛を得る。自我を確実に捉えたのじゃ。
想起される自我を確実に捉えて観察できたならば、それを滅する事も容易いのじゃ。
五.牧牛 牛を牧する。もはや自我は手名付けられたのじゃ。
好きな時に自我を想起して観る事が出来るようになれば、もはや悟りも近いのじゃ。
六.騎牛帰家 牛に乗って家に帰る。ついに自我とは自己と同一化された観念と気付いたのじゃ。
自我とは観念であり、観念に自分であると言う自己同一化がなされていたと気付けば、偽りの認識が正され、正しい認識に還った事になるのじゃ。
七.忘牛存人 牛は消えたが人はある。自我は観察による気づきにより完全に滅したのじゃ。
しかし、未だそれを認識しているものがある。
その認識さえも滅しなければ真の悟りではないのじゃ。
八.人牛倶忘 人も牛も無くなった。無我を認識するものも無くなれば真の悟りなのじゃ。
無認識にまで至って真の悟りなのじゃ。
そこには言葉でも図でも表されるものが無いのじゃ。
九.返本還源 全部元に還った。偽りの認識が滅してしまえば、世界の真の姿が見えるのじゃ。
赤子の頃に見た輝く喜びの世界に回帰するのじゃ。
十. 入?垂手 現世に戻り教えを説くのじゃ。大乗仏教では修行に入る時に悟りを得たならば後進の者に教えを説く事を誓うのじゃ。
真の悟りを得たならば誓いを果たすのじゃ。
それすらも肉体が滅するまで続く修行なのじゃ。
977
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/11(金) 23:11:51 ID:Hq8d/KIg0
>>976
解説ありがとうございます!
〜質問〜
意識を認識している主体に焦点を合わせ続けることで悟ることはできますか?
978
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/11(金) 23:23:28 ID:TzFrlspg0
>>975
なるほどたしかにそうかもしれません。自分も苦しみを感じずにいたら悟りとかに興味を持たなかったとおもいます。
ありがとうございますm(_ _)m
979
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/12(土) 20:49:12 ID:kaXJvxhM0
>>977
それが本当に一瞬でも観られたならば、無我になるじゃろう。
そこから更に認識をも滅しなければ真の悟りは得られないのじゃ。
主体を超え、認識をも超えた所に真の悟りはあるのじゃ。
>>978
どういたしまして、またおいでなさい。
980
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 09:13:15 ID:Hq8d/KIg0
無念無想と無我は違うものでしょうか?
981
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 10:49:01 ID:v1eziRvQ0
鬼和尚は何かを基準に生きていますか?またそれは何ですか?
982
:
偽和尚
◆qH7QdQmFhM
:2013/10/13(日) 16:24:08 ID:cud.kRqg0
そろそろ次スレ作った方が良いかなと思ってよく見てみたら既にあった。
鬼和尚に聞いてみるスレ part2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1381183929/
こちらが1000ぐらいまで行ったら次スレ使ってください。
(この板の設定では2000まで可能にしてあるので1000超えても書けますが、
専ブラで未対応のやつがあるようなので)。
983
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/13(日) 20:20:58 ID:kaXJvxhM0
>>980
違うのじゃ。
想念とは思考や感情なのじゃ。
それが無くなっても刺激とその反応はあるものじゃ。
そしてそれに投射される自我もまたあるのじゃ。
自我が無くなれば無我なのじゃ。
>>981
慈悲によっていきているのじゃ。
慈悲とは自他を一つに感じ、その利益を求める心なのじゃ。
自他が一つならば自分の利も他人に対する利となるのじゃ。
>>982
ご苦労さんじゃ。
984
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 22:53:52 ID:3xWCGOt20
もしも仏陀が子を育てたならば、その子は無明とならず、初めから覚者として育つでしょうか。
985
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 23:38:36 ID:XpOqqj3k0
>>957
> わしはお釈迦様と全く同じ真の悟りを得ている故に、お釈迦様が何を言いたかったのか、何が伝わり何が失われたのか理解できるから、経にかかれていなくとも補う事ができるのじゃ。
別に、これは単に非常に未成熟な自我の発露、それだけでしょう。
祖師は同じような意味のことを言うことはありますよ。
私は悟ったから過去の悟った人の言うことがわかるって。
でも、言い方が全然違うんですね。
その後さきは同時ですよ、というか、悟りの方が先に来るでしょう。
悟りが先にあってこそ過去の言葉も悟りから認知できますから。
986
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 23:42:52 ID:XpOqqj3k0
≫完全に自我が観られたならば、この見牛から忘牛までは一瞬で起きるのじゃ。
インスタントインチキ悟りここに極まれりですね。
確かに、そういう認識じゃないと自分を悟ったと思い込めないですものね。
といっても、鬼さんが3番目なんて大変なところに言ってるわけもないですが。
4番目に行く人は少なく、4番目で終わる人は多く、5番目が特に長い。
OSHOの10牛図を読めば多角的、実際的アプローチで現代人にも分かりやすく説明してあります。
987
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/13(日) 23:54:56 ID:XpOqqj3k0
わからんでもない。
あまりに自分自身の事実を受け入れられない時、人は自分のアイデンティティーを作ろうと必死になる。
弱い人間、無意識な人間は、圧倒的なその逃避のための欲求で自らを偽りきる。
これはそう珍しいことではない。
こうも自信満々なんだから何かあるはずだ、と思うでしょう。
そうでもない。
現実から逃げる、という理由がある時人は何処までもやってのける。
そうせずにはいられないのだ。
自分もここまで露骨でないにしろ良く逃げるから、それを自覚し始めたから、わかる。
988
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 00:23:22 ID:XpOqqj3k0
道の人は自らの苦しみと向き合う。
自らの弱さと愚かさと向き合う。
悟った人はそれと向き合った上でその不在を見出したと言います。
だから悟った人は人の苦しみ、弱さに踏み込んで詳しい解説ができますし、
他者のそれに共感することもできます。
彼らは悟りのことは知りません。
悟りは不可知ですから。
ですが、彼らは苦しみについてよく知っている。
道の人も苦しみについて知っています。
自己のそれに向かい合うからこそ、他者のそれをことさらに反しようとはしません。
慈悲の始まりです。
逆に、自らのそれと向かい合えず、理性で原因を突き止めようとし、解決しようとする。そして抑圧する人は多いです。
すると他者に自分の欲望を投影してそれを攻撃したり、諭したりすることになります。
苦しみを知らない、その詳細を語れない。
人の数だけある苦しみの共感が薄く、自説を空気読まず押し付ける。
これが本物とニセモノの違いです。
989
:
龍華
:2013/10/14(月) 01:45:24 ID:kl1CR23s0
タオイストが目指してした仙人とか超人とは悟った人の事だったのですか
十牛図こんなシンプルで解り易いのに
どうしてワザワザ難解な表現するんですか昔の人
危険な秘密でも隠されているのかな
990
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 12:53:48 ID:XpOqqj3k0
十牛図の牛が自我だという話、そう大きく外れてはいないが、牛は自我ではない。
自我というのは過去の経験、認識のパターンが生き続け、それの繰り返しを求め続ける機構。
しかもそれが相矛盾して集合している。
牛が自我だと567枚目がおかしなことになります。
牛は意識と自我の状態から導かれるその人の生命エネルギーの状態ではないでしょうか。
OSHOも十牛図でそう述べていますが、私の実感でもあります。
人は考えることはできますが、その通り動けません。
何故かというと、人は条件づけられた思考、感情といった方がわかりやすいかもしれません、の影響下にあり、
それそのものと言えるからです。
思考、感情という主体がいくら考えても、その中からでられませんし、考えの上でそこから出て何らかの経験をしても、
それはもう一つの無意識的な思考や感情が増えるということを意味し、自我の自己矛盾を強化してしまいます。
自らが条件づけられた思考、感情そのものであり、認識者である主体と認識の対象、、この構造そのものが思考であり感情であるという
理解が至難なのです。
ひとは思考を鎮める、思考を見ると言われても、自分自身が思考であることは見れず、その条件づけられた思考である自分が考えることを見たり
格闘したりしてしまう。
いや、私たちが様々なものに反応するとき、考えてやってるわけではない。考えることは、無意識の思考と感情の後にくる副次的なもので重要性を持たない。
思考、感情の反応は何時も非言語的だ。
そして、覚めていたら無意識は存在せず、覚めてなければそこに無意識がある。
ただ覚めること、初めから覚めていることが開放であり、無意識に対する観察というのは無意識の条件付から脱出できない。
991
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 12:55:35 ID:XpOqqj3k0
≫想起される自我
それは古来から自我といわれているものが想起してる自我というイメージにすぎません。
一人遊びですよ。それは。
あなたは自分が自我だと思ってるものを見てるのであり、自我を見ているのではありません。
992
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 13:15:44 ID:XpOqqj3k0
自分も的外れな非難をしていた。それはよろしくない。申し訳ないことをしました。
それと、元々注が2つあるはずなのですが、それを無視するのはやめましょう。
十牛図を語るということは、全く関係ないあなたの自我に対する理論を表現する場所ではなく、
あくまでもともとのこの方便に沿って、あなたらしく解説することなのですから。
一.尋牛 牛を尋ねる。牛とは人の自我と言えるのじゃ。
牛を尋ねるとは自らを見出そうとする意志を定める事なのじゃ。
二.見跡 跡を見る。未だ自我は見えないが何やら心に残る跡が見えてきたのじゃ。
心に感情や思考などの働きがあれば、主体を起こす事になるのじゃ。
心の働きを観る事によって、その背後にある主体の跡をも垣間見るのじゃ。
この時点では自我なんて知らないし、興味もないでしょう。
ただ表層の思考を鎮めることで今まで押さえつけていて見えなかったものが見えてきます。
三.見牛 牛を見る。自我が見えたのじゃ。
己とは何であったのか、観る事が出来れば気付くのじゃ。
完全に自我が観られたならば、この見牛から忘牛までは一瞬で起きるのじゃ。
四.得牛 牛を得る。自我を確実に捉えたのじゃ。
想起される自我を確実に捉えて観察できたならば、それを滅する事も容易いのじゃ。
ここも、まだ自我がどうか、ということに主題はありません。
表層の思考が静まって一瞬でも覚醒すれば、、覚醒についての話です。
覚醒は自我を見る最低条件であり、十分条件ではありません。
五.牧牛 牛を牧する。もはや自我は手名付けられたのじゃ。
好きな時に自我を想起して観る事が出来るようになれば、もはや悟りも近いのじゃ。
注で、手綱と鞭は必要だ、というように、ここで自我であり、自我が左右する自らの生命エネルギーを
覚醒という手綱と鞭で統率する局面に入ります。
六.騎牛帰家 牛に乗って家に帰る。ついに自我とは自己と同一化された観念と気付いたのじゃ。
自我とは観念であり、観念に自分であると言う自己同一化がなされていたと気付けば、偽りの認識が正され、正しい認識に還った事になるのじゃ。
私はこれについては良くわかりませんが、矛盾し葛藤する自我の混乱目覚めによって治まり、
自己矛盾や外界との対立なくゆったりと人生を歩んでゆくさまを描いているように見えます。
ずいぶんとシンプルな自我が覚醒と共に振ったりとした生活を営んで我が家へ帰っている。
993
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 13:20:53 ID:XpOqqj3k0
≫自我とは観念であり、観念に自分であると言う自己同一化がなされていたと気付けば、偽りの認識が正され、正しい認識に還った事になるのじゃ。
その通りのことが起きればそうかもしれませんね。
ただ、9割9分、当の観念である自我が自我という観念を作って、作った後でそれを消して、自己同一化が無くなったと自己催眠してというパターンだろう。
こういった類の気づき、というのは覚醒し続けることであって、一時の気づきは意味を持たない。
それに、人は自我を知らない。
自我が自我ではないものを自我だと思い、それと戦ってときには勝ったりするもの。
自我とは観念であり、というが、その自我とは何か。
人によって自我で意味する対象は異なる。
994
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 13:44:13 ID:XpOqqj3k0
5図 牧牛
注1
鞭と手綱は必要だ (鞭は覚醒、手綱は統制だとOSHOはいう。覚醒あってこその統制だと)
さもないと彼はどこかの泥んこ道へそれかねない
よく手なづけられれば
彼も自然におとなしくなる
そうなれば、つながれなくとも彼は主人に従う
注2
一つの思いが起こるとまた別な思いが続く。
最初の思いが悟りから湧きいづる時、引き続く思いのすべては真実だ。
迷いを通して人は何もかも不真実にしてしまう。
迷いは客観性によって引き起こされるものではない。
それは主観性の結果だ。
花輪を引き締めて疑いのひとつも許すまい。
990で私が述べたことと、奇しくも非常に似ている。
最初が誤りだと、何を言っても誤りになる。それがどんな先人の言葉でも関係ない。
私はそれを自分のこととして実感しつつある。
完全になげだすところまではいかないのだけれど。
995
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 19:15:11 ID:Hq8d/KIg0
鬼和尚に質問しようと思っていたことがあるのですが、
数息観をしていると、その考えていた質問が別にどうでもいいように思えました。
これも数息観の効果でしょうか?
996
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 20:07:31 ID:WL2yRwjAO
仕事の悩みはやはり仕事をすることで解決するしかなく
仕事の悩みを瞑想で解決するのはやっぱ邪道っすよね
数息観をすると凄く冷静な人になるんだが
リストラされても冷静に受け止めるだけでリストラされそうと言う事実は余り解決しないと言う事になりそう
997
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/14(月) 20:33:38 ID:kaXJvxhM0
>>984
ならないじゃろう。
子供は小さい頃から言葉を覚えるからのう。
過去の薫習により、記憶による認識の発達は免れないのじゃ。
修行する事を教えれば悟りに近くはなるであろうがのう。
>>989
そうじゃ、それが真の目的なのじゃ。
不死の境地は悟りを得る以外にありえないのじゃ。
自分で考えさせるために難解にしてあるのじゃろう。
修行者は皆自分で牛とは何か探求しなければならんからのう。
>>995
そうかもしれん。
どうでも良い事だったのかもしれん。
998
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/14(月) 21:26:19 ID:3xWCGOt20
>>997
>>984
です。
ありがとうございました。
999
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/15(火) 00:28:57 ID:3xWCGOt20
悟ると、上下左右の感覚や、重力の感覚はどうなるのでしょうか。
それらの感覚はなくなるのでしょうか。
1000
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/10/15(火) 20:30:11 ID:kaXJvxhM0
>>998
どういたしまして、またおいでなさい。
>>999
無いのじゃ。
しかしあえて感じることも出来るのじゃ。
感じないことも出来るのじゃ。
この世の全ては仮設された幻想のものであるからのう。
1001
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/15(火) 22:53:53 ID:3xWCGOt20
>>1000
ありがとうございました。
1002
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/15(火) 23:54:18 ID:XpOqqj3k0
牛とは何か
人は決まった人生観や性格や価値観で自身を押さえつけて生きている。
それに対して牛というのはその人自身の欲望であり、感情であり、笑であり、知性であり、誇りであり、
その人のすべてであり生命エネルギーそのものと言える。
そしてあくまでそれは覚醒と共にあってこそ治まるものであり、覚醒が不在なら暴走してしまう。
暴走してしまうからこそ人は社会的人格や価値観でそれを抑圧している。
牛、それは自覚されないエゴだったり、その人の本性だったり、真実と偽りの混じったその人のすべてだ。
1003
:
・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ
:2013/10/16(水) 18:13:31 ID:Bwz0R3.60
おれ、屋根見てくるわ。
∧,,∧ ∧,,∧ オレ 舟を
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) オレは用水路見てくる。
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u' 俺は裏山を・・。
オレ、田んぼ見てくる。
死をも乗り越えて 向こうの岸へと渡って逝く 者たちよ
幸いあれー ヽ(^。^)ノアレェー!
/ / / / / / /
/ / / / / /
,.、 ,.、 / /
/ / ∠二二、ヽ / /
/ / / ((´・ω・`) lヽ,,lヽ ネエ あなたぁ お願いだから見回りに行くのは
/ ~~:~~~ ( ) / 掛け捨ての生命保険に入ったあとからにしてぇ
/ / ノ : _,,.と.、 i
/ / (,,..,)二i_, しーJ /
1004
:
避難民のマジレスさん
:2013/10/16(水) 19:23:00 ID:3qg6l7MU0
鬼和尚、慈悲の瞑想以外に心の領域を広げる手段はあるのですか?
それと苦行には具体的にどのような利益があるのですか?
1005
:
偽和尚
◆qH7QdQmFhM
:2013/10/16(水) 23:30:54 ID:cud.kRqg0
こちらはストップします。
次スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1381183929/
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