[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫
774
:
避難民のマジレスさん
:2017/05/06(土) 12:24:05 ID:4hD8yqh60
http://www.amazon.co.jp/%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%88%9D%E6%AD%A9%E2%80%95%E5%BF%83%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E6%99%BA%E6%81%B5-%E6%9D%BE%E4%B9%85%E4%BF%9D-%E7%A7%80%E8%83%A4/dp/4790211037
唯識初歩―心を見つめる仏教の智恵 松久保 秀胤 (著)
煩悩障と所知障
「絶学」「無学果」、もはや学ぶ事がない境地、余計なことはしなくていい境地。
「尋の心所」「伺の心所」が、おのずから絶する事。
「尋の心所」「伺の心所」
簡単に言うと「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と思うこと。
見たり聞いたりすると、つい「尋の心所」「伺の心所」が働きます。
しかし、そういう事を、いちいち思っていたら、肝心なことを求めなくなってしまいます。
自分にとって何が大事かということよりも先に、
わたしたちは「尋の心所」「伺の心所」で
「なぜそうなっているのか」を考えてしまいがちなのです。
そうなっている因縁を、そのまま受け入れ、起きている事実を実感することが大事。
ぱっと見た瞬間をそのままで認めなさい、直視が大切。
存在するものに対して
「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と、
いちいち疑問を持つ「尋の心所」「伺の心所」は障害になります。
「佛果の障り」
「尋の心所」「伺の心所」の障害の事。この心の働きは最後まで取れず邪魔をする、これを「所知障」という。
「二の重障」とは
「煩悩障」と「所知障」
「所知障」とは、私たちが学んだ情報、知識、
「所知障」の解消はそういう余分なものを捨てる。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板