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 佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫

774避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 12:24:05 ID:4hD8yqh60
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唯識初歩―心を見つめる仏教の智恵 松久保 秀胤 (著)

煩悩障と所知障
「絶学」「無学果」、もはや学ぶ事がない境地、余計なことはしなくていい境地。
「尋の心所」「伺の心所」が、おのずから絶する事。

「尋の心所」「伺の心所」
簡単に言うと「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と思うこと。
見たり聞いたりすると、つい「尋の心所」「伺の心所」が働きます。
しかし、そういう事を、いちいち思っていたら、肝心なことを求めなくなってしまいます。
自分にとって何が大事かということよりも先に、
わたしたちは「尋の心所」「伺の心所」で
「なぜそうなっているのか」を考えてしまいがちなのです。
そうなっている因縁を、そのまま受け入れ、起きている事実を実感することが大事。
ぱっと見た瞬間をそのままで認めなさい、直視が大切。
存在するものに対して
「あれはいったいどうなっているの?何を意味しているの?」と、
いちいち疑問を持つ「尋の心所」「伺の心所」は障害になります。

「佛果の障り」
「尋の心所」「伺の心所」の障害の事。この心の働きは最後まで取れず邪魔をする、これを「所知障」という。

「二の重障」とは
「煩悩障」と「所知障」
「所知障」とは、私たちが学んだ情報、知識、
「所知障」の解消はそういう余分なものを捨てる。


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