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 佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫

7安堂拓海 ◆3LK.0gZrV2:2012/01/17(火) 04:09:12 ID:iNWvsNmI0

よって頭が良いか悪いかは関係ない。要領が良い悪いも関係ない。
専一に巧夫して坐ればだれもが弁道なのだ、誰でも修行しておるのだ。
修行の中に、自分は悟ったとか、未だ悟れず迷いだとかは無い。
修行も悟りも、浄なるも汚なるもなく平常でもとのままなのだ。
この世に於いては何処でも同じく仏法を伝えてきたのだ。
ただ何者にも邪魔されずに坐禅に打ち込んできたのだ。
様々な道はあれども坐禅をして只管打坐に参ずべし。
どうして自分のやるべきことがあるのに、他のところをうろつき回って探すのか。
坐禅に専一に打ちむのだ。少しでも外れれば天地の差が出て的外れになってしまう。

『普勧坐禅儀』六


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