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佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫
40
:
乱入
:2013/08/14(水) 13:36:42 ID:wqr.6GRM0
仏教の阿含経典では、この三昧に至る過程には、まず初禅から第四禅までの4段階があるとする。
続いて空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処の4段階があるとする。
・空無辺処
(くうむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第1天。無量空処(むりょうくうしょ)とも言う。
物質的存在がまったく無い空間の無限性についての三昧の境地。
物的存在たるこの肉体を厭い、無辺の虚空の自在を欣び、空無辺の理(ことわり)を解し、
修行して生ずる処である。欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れ、
一切の作意のない、無辺の空を観じる禅定。形のあるこの肉体を厭い、
大空は無限であることを達観すること。無色界には空間的な場所はないが、
果報の違いに依って感じるので「処」と名付ける。
・識無辺処
(しきむへんしょ)とは、無色界の(下から数えて)第2天。認識作用の無辺性についての三昧の境地。
無色界の初天である空無辺処を越えて、その空の無辺なるを厭(いと)い、心を転じて識を縁じ、
識と相応し心定りて動かず、三世(過去・現在・未来)の識が悉く、定中に現じて清浄寂静なる
果報をいう。外の虚空の相を厭い、内なる識を観じて、識が無辺であると達観すること。
・無所有処
(むしょうしょ)とは、無色界の(下から数えて)第3天。いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。
空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって無辺であるを
厭(いと)い、所縁共に所有なしと観じ、この行力に依って生まるる処であるから、無所有処地という。
何も存在しないと観察し達観する事。
・非想非非想処
(ヒソウヒヒソウテン)とは輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる3つの世界の最も上位にある
「無色界」の、さらに最上位が非想非非想天と呼ばれる領域。
この「無色界」は思考と精神作用のみになった者の世界ではあるが、思考は残っているので煩悩を完全に
捨て去った訳ではない。その煩悩の捨て去り具合によってさらに段階が分かれており、ほぼあらゆる煩悩を
捨て去る事に成功している(非想)が、まだちょっとだけ残っていて完全ではない(非非想)状態を指す。
完全では無いが、一応一番上。
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