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 佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫

36安堂:2012/11/15(木) 01:49:44 ID:dQGgUa0s0
自在神を祈念しても、無想三昧に到達する。
自在神とは、煩悩に塗れてない、真我であり、
自在神は、一切知の最高の種子を、持っている。

自在神は、時間を越えた、存在であるため、
過去のグルにとっても、自在神はグルである。
その至高神を、音で表した物が、AUMである。

AUMを唱えながら、自在神を念じなさい。
そうするならば、内観の力を得ることにより、
ヨーガに対する障害を、無くすことが出来よう。

病、無気力、疑、放逸、怠惰、貪欲、妄見、
三昧に入れないこと、三昧に止まれないこと。
この九つが障害であり、全て心が散動している。

このように、心が動くほど、手足が震えて、
呼吸が乱れて、苦悩や不満が噴き出して来る。
これを治すには、繰り返し、思念を集中させる。

慈の心とは、他の幸福に対して、注ぐ心であり、
悲の心とは、他の不幸に対して、注ぐ心であり、
喜の心とは、他の善行に対して、注ぐ心であり、
捨の心とは、他の悪行に対して、注ぐ心である。

このように、心を念じても、心が安らかになる。

眼の先に、心を集中させると、良き色が生じて、
耳の先に、心を集中させると、良き音が生じて、
鼻の先に、心を集中させると、良き香が生じて、
舌の先に、心を集中させると、良き味が生じて、
身の先に、心を集中させると、良き触が生じる。

このように、心を念じても、心が安らかになる。

或いは、呼吸法を行じても、心が動じなくなる。
或いは、純質性を高めても、心が動じなくなる。
或いは、聖者方を念じても、心が動じなくなる。
或いは、神に夢で会っても、心が動じなくなる。
或いは、熟睡し目覚めても、心が動じなくなる。
或いは、好む物を念じても、心が動じなくなる。

これらの法をして、心が動かなくなった者は、
極微から、極大まで、すべての物を治められる。

こうして、心の作用が、完全に消えたとき、
心は、認識主体の真我か、認識客体の対象か、
認識手段の器官かに止まる、これが禅定である。


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