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Vikipediaを訳そう
39
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/07(金) 12:49:17
>>38
ありがとうございます。最初に浮かんだ訳も「団体会員」ですが、「団体会員」
はふつうは加入団体そのものを意味する言葉として使われていますから、公式訳で
ないなら別の訳を考えたいです。"aligita"が「加入させられた」の意味なら「受
動加入会員」がいいのかも知れません。"membro"が「会員」でいいのかどうかも
疑問です。
40
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/08(土) 19:49:46
Membronombroj de UEA
http://eo.wikipedia.org/wiki/Membronombroj_de_UEA
【UEAの会員数】
UEAの会員数は多くのエスペランティストにとってまた更に全エスペラント運動に
とってUEAの繁栄の徴候である。他の徴候の中の単に一つではあるが(*原文は
kvankam nur unu signo inter aliaj)。
目次
1鳥瞰
2図と表
3関連項目
4参照
5文学
6リンク
(*続く)
41
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/12(水) 21:30:03
(*
>>40
から続く)
鳥瞰
凡そ個人会員(IM)の数は通常6,000から8,000の間で、頂点は1920年代
(ほぼ10,000)、底辺は第二次世界大戦後である。事実上、ホドラーはも
ともと実際的な便宜のためにもっと多くの人員を考えながら組織を計画
した。1991年にこの期の最大の8,071だったが以来減少した。
受動加入会員に関して意識しなければならないのは、かれらは大国と
小国の間でよく比較できないことどある:UEA中央事務所からの情報に
よれば小国の団体は会員リストからUEA個人会員の名を取り去って小
さくなった数字をUEA中央事務所に通知するのが常である。大国の団
体はこの作業を時間の浪費と考え、だからすべての会員を受動加入会
員として通知している;この理由でAMとIMの総計は会員資格の総計だが
会員の総計ではない。
国別団体を通しての受動加入会員(AM)の最大は1987年の36,351人だった。
その前に1979年の約2,5000人のAMから8年間増大したが、1987年のピーク
の後その数は7年間に1994年の14,495へ再下落した。注意すべきは、2006
年の11,732への更なる縮小はUEAはもっとゆっくりと起きた。現在受動加
入会員の数は1950年代半ばの状態と同じである;今日約60ヶ国の国別団体
を持っているが50年代には約20だったことである。
1979年から1994年にかけての増大と縮小は大部分は東欧における発展の効
果である:それらの地域のエスペラント団体は非常に高い会員数をを示し、
国家の資金を彼らのために使っていた。共産主義体制が倒れた(ほぼ1989年)
後その会員数は急速に縮小した。
50年代と60年代には受動加入会員の増大が起きた。たとえば1953年の11,085
から1972年25,390へ。それは進歩を示しているように見える-しかし、意識し
なければならないのは、1953年にUEAは約20の国別団体を持っているが、197
2年には約34だったことである。事実上多くの国別団体は既にその期間に縮
小か停滞を経験していた。たとえばフランスの協会は1953年に1243の会員を
持っていたが1972年にはほぼ同じ1271である。
UEAの会員数は単純にエスペラント界全体の増大縮小の徴候としては利用でき
ない。なぜならUEA(及びその国別団体)の外でも多くの活動が起きているから
である。だが、エスペラント話者総体が増えれば増えるほどその一部は国別
団体のまたはUEAの直接の会員になるはずである。
ハンフリー・トンキンは、UEAの数十年来の委員で1974年から80年までと1986
年から89年まで会長だったが、UEAの会員喪失を評してこう述べている:「近年
のUEAの会員喪失(定期的にわずかな増大はあったものの)はエスペラントの魅
力の欠如ゆえに生じたと考えるべきではない:主要な問題は、人々が交流と更
新のために、以前よりも非公式な別の方法-主にインターネット的手段を発見
したことである。」多分、インターネットに国際的会合や母語話者の増加現象
や音楽文化やエスペラントについての科学的文献やヨーロッパ外でのエスペラ
ント使用を付け加えることが必要だろう。
図と表(*略)
関連項目(*略)
参照(*略)
文献(*略)
6リンク(*略)
(*本文訳完)
>>40
の「目次」の「5文学」を「5文献」と訂正します。
42
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/16(日) 12:22:43
Sennacieca Asocio Tutmonda
http://eo.wikipedia.org/wiki/Sennacieca_Asocio_Tutmonda
【国民性なき世界協会】
Sennacieca Asocio Tutmonda(略称はSAT)は独立の、非中立的な全世界的エス
ペラント団体である。SATはその輝かしい過去において多くの出版をし、それら
の、現在も続いている出版の中には図解エスペラント大辞典がある。SATは多く
の国にSAT仲介者網を持っている。そしてSATは労働者エスペラント協会(LEA)と
ゴーテンバーグ協定によって結ばれている。SATは1921年に労働者エスペラント
運動の組織として創立された。創立者の中の重要人物はエウゲーノ・ランティの
筆名で知られているエウゲーネ・アダムである。1920年代末にSATは6000名以上
の会員を有していた。相対的に大きな個人加入の国際団体として(国別組織を束
ねた傘的な団体とは対照的に)SATは労働運動の中で独特のものであった。執行
委員会といわれる最高指導部の長ヤクヴォ・シュラムは2003年に881名の会員数
を示した。2006年には724名会費納入会員(*原文はpagantaj membroj。この訳
は疑問)が存在した。
目次
1目的
2組織構造
2.1執行委員長
3活動
3.1関連項目
4対外関係
5外部リンク
(*続く)
43
:
松戸彩苑
:2007/12/16(日) 12:42:04
>>42
翻訳、ご苦労さまです。
ところで「ゴーテンバーグ」って書いてありますが、これはスウェーデン第二の都市「ヨーテ
ボリ」のことですね。
原文の Gotenburgo のところを押して、さらに日本語ページに移動すると「ヨーテボリ」と書
いてありますね。
それから「エウゲーネ」ですが、フランス語読みの「ウジェーヌ」のほうが良いと思います。
44
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/16(日) 20:47:53
>>43
全くおっしゃるとおりです。ご指摘ありがとうございます。
45
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/27(木) 19:32:12
(*
>>42
から続く)
目的
1.全世界の労働者の階級的目的のためのエスペラントを実用すること;
2.会員のもとに強固な人間的連帯感を育てながら彼らの相互関係を可能な限り良
好に品位をもって容易にすること;
3.会員が最も有能に最も完璧に、いわゆる国際主義者からなるように、彼らを学
ばせ、教え、啓蒙す ること;
4.SATと目的が類似し異言語団体の相互関係において仲介者を務めること;
5.SATの理想を反映した文学(翻訳と創作)の成長を仲介し、出来る限り助けるこ
と。
この定義は1921年の創立総会で受け入れられたが、今まで友好である。1928年に以
下の追加で目的が精確にされた:
SATは政治的ではなく単なる啓蒙的、教育的、文化的組織であり、その目的は、会
員をしてさまざま な階級闘争的労働者諸政党と労働組合運動が依拠する政治的
哲学的諸流派と諸組織に関して理解力を 持ち寛容ならしめることである;事実と
思想の比較により、自由な討論によりSATが目指すのは、会員 が別々の環境で受
けた教育がをかれらにおいて教条化されることを不可能にすることである。
一言でいえば、SATの目的は、理性的に考案された言語の恒常的使用と全世界的適
用を通じて、諸思 想、諸命題、諸傾向を良く比べ、的確に理解し判断する能力
し たがって、自己の階級を解放し人類を 文明と文化の出来る限り高い段階へ
連れ去るための、最も真っ直ぐな最も行きやすいと思う道を自立 的に選ぶ能力
を持った理性的に思考する精神の成長を助けることである。
SATは自らをエスペラントのための組織すなわちエスペラントを宣伝する組織として
は考えていない。SATはエスペラントを介した組織である。すなわちSATはエスペラ
ントを自己の目的のために利用する。
(*続く)
46
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/29(土) 22:38:01
(*
>>45
から続く)
組織構造
SATは脱民族的(原文はsennacieca)構造を有する。会員は個人的に、国別組織を介
さずに加入する。
SATの決定構造は理論的に一般投票を介して基底に再結合されている(すべての総会
決定は一般投票の後にのみ友好である)。その規約上の自由裁量は基本的な民主的統
治を目指している;しかし経験は、大部分の総会決定が一般投票屈服させられなかっ
たことを示している。協会を指導するSATの指導部は執行委員会と呼ばれる。
Sennaciulo(*SATの機関紙)の編集者で長年の事務局長はクレシミル・バル
コヴィッチである。
執行委員長
・ウージェーヌ・ランティ1921-1933
・ヘルマン・プラティエル1933-1935
・ルシアン・バニエ1935-1968(戦時の中断を含む)
・ジュリアン・ピロン1969-1972
・ペトロ・レヴィ1972-1981
・ギルベール・シェヴロラ1981-1984
・イヴ・ペロー1984-2001
・ジャック・バニエ2001-2003
(*続く)
47
:
Raku
◆yP0a9GGqWA
:2007/12/30(日) 20:52:32
(*
>>46
から続く)
活動
SATは月刊誌Sennaciulo、年刊誌Sennacieca Revuoや啓蒙的な内容の書籍を発行し
ている。そのなかで最も重要なのはPIV(*図解エスペラント大辞典)である。SATは
もっと啓蒙的な資料をネットで公表してもいる。
(*本文訳完)
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