したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

Vikipediaを訳そう

41Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/12/12(水) 21:30:03
(*>>40から続く)
鳥瞰
凡そ個人会員(IM)の数は通常6,000から8,000の間で、頂点は1920年代
(ほぼ10,000)、底辺は第二次世界大戦後である。事実上、ホドラーはも
ともと実際的な便宜のためにもっと多くの人員を考えながら組織を計画
した。1991年にこの期の最大の8,071だったが以来減少した。

受動加入会員に関して意識しなければならないのは、かれらは大国と
小国の間でよく比較できないことどある:UEA中央事務所からの情報に
よれば小国の団体は会員リストからUEA個人会員の名を取り去って小
さくなった数字をUEA中央事務所に通知するのが常である。大国の団
体はこの作業を時間の浪費と考え、だからすべての会員を受動加入会
員として通知している;この理由でAMとIMの総計は会員資格の総計だが
会員の総計ではない。

国別団体を通しての受動加入会員(AM)の最大は1987年の36,351人だった。
その前に1979年の約2,5000人のAMから8年間増大したが、1987年のピーク
の後その数は7年間に1994年の14,495へ再下落した。注意すべきは、2006
年の11,732への更なる縮小はUEAはもっとゆっくりと起きた。現在受動加
入会員の数は1950年代半ばの状態と同じである;今日約60ヶ国の国別団体
を持っているが50年代には約20だったことである。

1979年から1994年にかけての増大と縮小は大部分は東欧における発展の効
果である:それらの地域のエスペラント団体は非常に高い会員数をを示し、
国家の資金を彼らのために使っていた。共産主義体制が倒れた(ほぼ1989年)
後その会員数は急速に縮小した。

50年代と60年代には受動加入会員の増大が起きた。たとえば1953年の11,085
から1972年25,390へ。それは進歩を示しているように見える-しかし、意識し
なければならないのは、1953年にUEAは約20の国別団体を持っているが、197
2年には約34だったことである。事実上多くの国別団体は既にその期間に縮
小か停滞を経験していた。たとえばフランスの協会は1953年に1243の会員を
持っていたが1972年にはほぼ同じ1271である。

UEAの会員数は単純にエスペラント界全体の増大縮小の徴候としては利用でき
ない。なぜならUEA(及びその国別団体)の外でも多くの活動が起きているから
である。だが、エスペラント話者総体が増えれば増えるほどその一部は国別
団体のまたはUEAの直接の会員になるはずである。

ハンフリー・トンキンは、UEAの数十年来の委員で1974年から80年までと1986
年から89年まで会長だったが、UEAの会員喪失を評してこう述べている:「近年
のUEAの会員喪失(定期的にわずかな増大はあったものの)はエスペラントの魅
力の欠如ゆえに生じたと考えるべきではない:主要な問題は、人々が交流と更
新のために、以前よりも非公式な別の方法-主にインターネット的手段を発見
したことである。」多分、インターネットに国際的会合や母語話者の増加現象
や音楽文化やエスペラントについての科学的文献やヨーロッパ外でのエスペラ
ント使用を付け加えることが必要だろう。

図と表(*略)
関連項目(*略)
参照(*略)
文献(*略)
6リンク(*略)
(*本文訳完)
>>40の「目次」の「5文学」を「5文献」と訂正します。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板