したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

エスペラント改造論

174松戸彩苑:2007/11/10(土) 16:16:34
>>173 の続き)

スウェーデン語では oavgjort と言うそうですが、Vilborg のスウェーデン・エス辞典を見て
みますと oavgjord というのが載っており nedecidita という訳語がついています。
そして、この項のなかに

  spela oavgjort(おそらく「引き分ける」の意味) ludi nedecide [egale]

  oavgjort parti(引き分け) vana partio

という用例が載っています。

また、チェスの「引き分け」のことは remi と言うらしいんですが、この辞書で調べてみます
と vana partio となっています。
---

ということで、さまざまな言語のさまざまな辞書を使って「引き分け」の表現方法を調べて
みたわけですが、ずいぶんいろいろな表現が載ってることが判ります。
要するに「てんでバラバラ」なわけですね。

Wikipedia には remiso というNPIVにも載ってないような表現が見出し語にされています
が、これも、これまでの表現がマチマチで、しかもどれもイマイチだと判断されたので、
やむなく採用されたのではないでしょうか。

「引き分け」などというごくごく基本的な表現が、このようにマチマチだというのは問題だと
思いますし、また「使っているうちに自然に発展する」などという話にしても、とても信じら
れないわけです。
また、このような状態なのに「エスペラントはどんな分野の表現でも可能なほどに発展し
ている」などと考えているのは、エスペラント運動にとってマズイと思うのですね。

たしかにエスペラントというのは、かなり多くの語彙・表現をもっており、そのおかげで(人
工語としては)大量の文献をもっているわけですが、しかし「引き分け」のように基本的な
表現なのにハッキリ決まっていないという問題もあるわけです。
そのせいでエスペラントは、本来発揮するはずの能力を十二分に発揮できないように、私
には見えるのです。

つまり「基本的なコンセプトは正しいのに、残念ながらバグの多いソフト」みたいなものな
んですね。

ですから、こういった問題をしらみつぶしに解決していく必要があると、私は考えているわ
けです。

また逆に言えば、こういった問題を解決していけば、今以上の成果が得られるのだと、私
は言いたいのです。
---

最後に「引き分け」という表現に対する私の考えを述べますと、egal-finiĝo と表現すれば、
誰にでも判るのではないかと思いますね。

また(おそらくフランス語の partie nulle に由来すると思われる)vana partio という表現が
よく載っているということが判りましたが、これを利用して

  la matĉo finiĝis vana-partie.

とか

  la matĉo vana-partiiĝis.

などと表現することも出来るかなと思いました。

とは言っても、私には remiso に反対する気はまったくありません。
これまでにも述べてきたように、私は「現代の文明社会に住んでいるふつうの成人であれ
ば誰でも知っているような語彙・表現」の確立が大事なのであって、それの達成のためな
らば、合成によるものであっても、新語根であっても、どちらでも構わないという立場だか
らです。

(終わり)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板