[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
| |
エスペラントは2045年以降も生存可能か
36
:
Kia-kablo-mi-estu?
:2007/02/12(月) 19:03:57
松戸さん。
西尾幹二氏の言説で歴史を論証するのは無理があります。
あの方には、まず、ある時を契機として一定の信念がありそれを導くための素材となる論旨を
選択的に展開していて、私には、到底、科学的には思えません。
>「中国側の偶発的な射撃によるもの」
この真意は結局水掛け論的なものになる可能性があります。
しかし、日本軍は、中国大陸に満州帝国という傀儡政府を作り、それを足掛かりに
して、さらに大陸における利権を拡大しようとしていましたから、高まる反日運動の
根をいっきに絶とうとして、中華民国政府の壊滅を狙っていたことは、大局的に
は明白です。
「偶発的な発砲」があったとしたら、日本軍国主義勢力にはまたとないチャンスの
到来だったに違いありません。
ベトナム戦争時、米国が北爆開始により全面戦争へと足を踏み入れたときのトンキン湾事件の
経過を思い出してください。歴史は常に繰り返すものですね。
>国際的な戦時法規
司法の文言と言うものは、どうしても時代の進歩に後れるものです。
日本国憲法やその下の法律にしたってそうです。
同じ案件でも上下の裁判所で判断が分かれることはよくあることです。
問題は、法の歴史を考えれば分かることですが、現代民主主義が到達した趣旨に
従うと法は権力者(国家権力や圧力団体)が、権力を傘にその恣意的解釈により
弱者(一般民衆)が不利益を被ることの無い様に作られるべき物なのです。
法律の文言解釈だけで、未だに自分の所業の有利に導こうとする人たちが未だ絶えない
ことは、残念至極です。
どこの国も多かれ少なかれ上級裁判所へと案件の審理が進むほど弱者にとって不利な
審判が出てくる。国家権力が誰の見方かを判断する絶好の材料ですね。したがって忘れた頃に
やって来る最高裁裁判官の国民審査制度をもっと身近なものに改正すべきだと
私は思っています。
横道にそれました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板