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聖イエス会(カルト的?、マルチ商法) 異端の実態

1名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:42:00 ID:3/gI/pYQ0
【聖イエス会(カルト的?、マルチ商法) 異端の実態】
聖イエス会古い資料集より(そのまま引用、抜粋)
聖イエス会信徒さんから入手した資料より
仏教徒への福音伝道例
 永遠の生命への招き
〜主の御名を呼ぶ〜
 相手が浄土真宗の信徒の場合。一般に浄土真宗の人は、浄土ということを
とても大切に考えているのと親鸞聖人をとても崇拝しているので、その点を
ふまえて考えてみました。
〜ロゴス神学院生レポートより〜

A・クリスチャン(神学院生)
B・浄土真宗を信仰している婦人

◆称名念仏◆
A「こんにちは。私は聖イエス会ロゴス神学院のAと申します。
きょうは神様のお話をしたいとお伺いしました。」
B「そうですか。でもうちは仏教ですから。」
A「仏教にもいろいろあるそうですが、どのように信仰していらっしゃるのですか。」
B「うちは浄土真宗を信仰しています。」
A「そうですか。浄土真宗ですか。それではいつも“南無阿弥陀仏”を唱えて
いらっしゃるのですね。」
B「はい、仏壇に向かう時は、いつも唱えさせていただいています。」
A「そうですか。実は私も浄土真宗系の大学に行っておりましたので、
いろいろと親鸞聖人の説かれた教えに接する機会があったのですが、その中で一番
心に残っているのが、『極楽往生のためには、ただ“南無阿弥陀仏”という仏の名を
唱えればよい』という教えでした。
B「そうです。ただ阿弥陀の本願を信じ、その本願の念仏を唱えていたら、だれでも、
死んだら極楽浄土に行くことができるのです。」

◆「保証をお持ちですか」◆
A 「それでは失礼ですが、あなたは死んだら極楽浄土に行ける確信がおありですか。
また、なにかそれを裏付ける体験をお持ちですか。」
B 「保証ですか。そんなものはありませんが、ただ極楽浄土に連れて行ってもらえる
と信じているのです。」

2名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:43:04 ID:3/gI/pYQ0
A 「そうですか。しかし、保証がないというのは、心細くありませんか。今では、
どんな電気製品にも、保証書がついていますね。ただ希望するだけで、それを裏付ける
体験を持たなければ、とても心細いものだと思いますが。」
B 「だけど、極楽浄土に行くのは死んでからのことだから、死なないとどうなるかは
わからないではありませんか。」
A 「確かにそうかもしれません。しかし、死んでしまってから『極楽浄土に行くはず
だったのに、行けなかった』では遅すぎますし、取り返しがつきません。生きている間
に極楽浄土を体験することが、最も大切なことだと私は思うのです。」
B 「生きている間に極楽浄土を体験するのですか。」
A 「そうです。私たちはそれを“神の国”と呼んでいますが、この神の国、天国を、
生きている間に私たちの心の中で体験するので。」
B 「神の国を体験するですって。」
A 「そうです。真の神であり、救い主であられるイエス・キリストを信じ、心にお
迎えすることによって私たち人間は、はじめて本当の救いを体験し、神の子とされ
るのです。」
B 「神の子ですって。とんでもない。私たちはただの凡人です。神の子なんかにな
れっこありません。」

◆罪人を愛される神◆
A 「そうですね。確かに私たちは親鸞聖人が言われたように“罪業深長なる愚人”
かもしれません。私が神の言葉として信じている聖書にも、『すべての人は罪を犯した
ため、神の栄光を受けられなくなった』(ローマ3・23)と記されています。確かに
すべての人は、神の前に、罪人であり、愚人です。こういう私も、罪ばかり犯してき
た人間です。けれども神は、このような罪人である私たちをなお愛して下さいました。
 ちょっと、このところを読んで下さい。」
B 「えっ、ここですか。『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さっ
た。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』。」
(ヨハネ3・19)
A 「そうです。神は罪人である私たち人間をなおも愛し、私たちを救うために、
イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。そして、キリストは私たちの
罪の身代わりとして、十字架にかかって死んで下さったのです。」
B 「罪の身代わり?」
A 「そうです。私たち人間を清めるためには、汚れのないキリストご自身の血が
十字架上で流される以外に方法はありませんでした。
 浄土真宗では“触光柔軟”といって光に日々浴していたら自然と心も柔らかくなり、
思いも言葉も行いも美しく、正しくなってくると説かれていますが、果たしてそうで
しょうか。」

3名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:45:43 ID:3/gI/pYQ0
B 「はい。親鸞聖人はこの“触光柔軟”の徹底した模範を残しておられます。」
A 「確かに私も、聖人が生涯を墨衣で通し、生活を質素にし、いつも阿弥陀仏の慈悲
心にあふれ、法然のために越後に流刑になったときも、だれ一人恨まず、このことを念
仏を伝える良い機会であると喜んだほどのすばらしい人であったと聞いています。けれ
ども、それで彼は全く罪を犯さなくなったのでしょうか。また、あなた自身はどうでしょ
うか。阿弥陀の光によって罪から解放され、心が美しくされていますか。」
B 「いえ、恥ずかしい話ですが、よく『かっ』となって、子どもを叱ったり怒鳴ったり
してしまいます。」
A 「そうですか。けれどもがっかりすることはありません。神は、一人も滅びないで
永遠の生命を得ることを望んでおられるのです。」

4名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:47:20 ID:3/gI/pYQ0
◆永遠の生命への招き◆
B 「永遠の生命ですか。」
A 「はい。この永遠の生命こそは、私が先ほどお話した神の国の保証なのです。この
永遠の生命をいただくなら、罪は清められ、神の国を体験することができるのです。」
B 「ではどうしたならば、その永遠の生命をいただくことができるのですか。」
A 「聖書のこの箇所を読んで下さい。『これらのことを書いたのは、あなたがたが
イエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名に
よって命を得るためである』(ヨハネ20・31)と記されています。
 つまり、イエスを神の子、すなわち、神ご自身、また救い主として信じることです。
そして御名によって命、すなわち永遠の命をいただくことができるのです。」

5名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:48:13 ID:3/gI/pYQ0
B 「よくわかりました。キリストを神として、また救い主として信じることが大切
なのですね。ところで最後に記されている『御名』とは何ですか。」
A 「神は霊的な存在でありますから、目に見えませんが、確かに実在し、ご自分を
現されます。この神様が、ご自分の本質を言い表したものが神の御名です。ここに
『主の御名を呼び求める者は、すべて救われる』(ローマ10・13)とあるでしょう。
神の御名を呼び求めることによって、今も生きておられる真の神と出会うことができ
るのです。
 ところで、浄土真宗も“南無阿弥陀仏”と阿弥陀仏の名を唱えることによって
だれでも救われると説いていますね。この称名信仰は仏教が始まるよりもはるか以前
から、聖書の中に見いだすことができるのです。」
B 「えー。そうなんですか。」
A 「はい。聖書の中では旧約聖書の創世記第四章二十六節に、『この時、人々は
主の名を呼び始めた』と記されています。それは四千年以上も前のことです。そして、
「主の名を呼び求めるものは、すべて救われる」と、御名による救いを明らかにした
預言ヨエルは釈迦よりも以前の人物です。」
B 「称名信仰の起源が聖書にあったとは驚きですね。」
A 「浄土真宗の阿弥陀仏は真の実在ではなく、釈迦の説いた非常に抽象的な『法』
とか『道』とかを人格化し、具体化したものです。架空の存在ですから、いくら
その名を呼んでも、決してそのお方に出会うことはできません。
 けれども、聖書の神は『我は有りて在る者なり』、『我は主なり』という名が示して
いるように、真の実在であり、歴史の中でご自分をあらわしながら、働いてこられた
神様です。ですから、その名を呼べば必ず答えて下さる方であり、御名によって私た
ちの心にはっきりと人格的に宿り、どんな人をも、その内面から造り変え、救って
下さるのです。
 ぜひあなたも、御名による神との出会いを体験されますようお祈りしています。きょ
うはどうもありがとうございました。」

6名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:50:20 ID:3/gI/pYQ0
仏教徒への伝道チャート
うちは仏教ですから
 |
仏教にもいろいろありますが、どちらの宗派ですか。
|        │          │             │          │
家の仏壇を   真言宗        浄土真宗          禅宗         日蓮宗
守っている    │          │             │          │
だけで、    あなたの宗派の教えの中心はなにですか。     座禅によって悟りを   現実の世界を改革
特に仏教の    │          │           得ること。無我の瞑   していくこと。現
教えを信じ   仏との一致の体験。  念仏を唱えて救      想の中で座禅を行っ   世利益的であり、
ているわけ   この世における最高  いを体験。真の      ているとき、全宇宙   自らの努力によっ
ではありま   の解脱への到達    救いは阿弥陀仏      が悟りとなる。自身   て心の高揚を獲得
せん。        │       の本願によって      が肉体から解放される  する。
│          │      のみ現実となる      こと。          │
死と死後の世界    │       絶対他力信仰          │           │
極楽と天国      │         │            │           │
 │         │         │            │           │
 │        よく宗教はどれも同じといわれていますが、仏教とキリスト教もそれぞれ
 │        よく似ているところもあれば、全く違うところもあります。
クリスチャンの    │         │            │           │
死についての考   キリスト教の目指  阿弥陀仏は、架     神は、人格的な実在   人間の魂は、現世
えとその証     すところは、神と  空の存在ですが、    であり、「私は有る」   利益によっては、
 │        の完全な一致によ  聖書の神は、歴     と語られます。     真実満たされるこ
 │        る、神化です。   史の中で、ご自     万物の創造主である   となく、また人間
 │        神を現実的に体験  分を現され、働     神と出会うとき、    の努力によって救
 │        し、私は神のうち  かれる神です。     新しい次元が開かれ   いに到達すること
 │        に、神は私のうち  この神の名を呼     ます。         は不可能です。
 │        にを実感します。  び救いを得ます。      │           │
│         │            │         │           │
 │         │            │         │           │
 │─────ところで、仏教の教えをあなた自身のものとしていますか。また救いを裏付けるような体験を
       お持ちですか。
       キリスト教は体験の宗教であり、今この世において、神を体験する事ができるのです。
                       │
                       │
                       │

7名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:51:15 ID:3/gI/pYQ0
クリスチャンの    │         │            │           │
死についての考   キリスト教の目指  阿弥陀仏は、架     神は、人格的な実在   人間の魂は、現世
えとその証     すところは、神と  空の存在ですが、    であり、「私は有る」   利益によっては、
 │        の完全な一致によ  聖書の神は、歴     と語られます。     真実満たされるこ
 │        る、神化です。   史の中で、ご自     万物の創造主である   となく、また人間
 │        神を現実的に体験  分を現され、働     神と出会うとき、    の努力によって救
 │        し、私は神のうち  かれる神です。     新しい次元が開かれ   いに到達すること
 │        に、神は私のうち  この神の名を呼     ます。         は不可能です。
 │        にを実感します。  び救いを得ます。      │           │
│         │            │         │           │
 │         │            │         │           │
 │─────ところで、仏教の教えをあなた自身のものとしていますか。また救いを裏付けるような体験を
       お持ちですか。
       キリスト教は体験の宗教であり、今この世において、神を体験する事ができるのです。
                       │
                       │
                       │
                       │
人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、
「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。ユダ
ヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を
呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。なぜなら、
「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
            〈ローマ10・10~13〉
◎決して批判したり、否定したりするのではなく、キリストの救いのすばらしさを証(あかし)すること。
※以上聖イエス会信徒さんからの情報提供より

8名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:53:22 ID:3/gI/pYQ0
作詞:聖イエス会教祖様(聖イエス会創立者)

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
↑「終末」「神のビジョン」…カルトソング???

9名無しのひつじさん:2018/11/21(水) 19:54:13 ID:3/gI/pYQ0
聖イエス会古い資料集より(そのまま引用、抜粋)
聖イエス会信徒さんから入手した資料より
聖イエス会CS部
「せいれいをうけた」
 ぼくはきのうのしゅうかいでせいれいをうけました。
そのとき、いえすさまがすっととんできたきもちが
しました。せいれいがきたとき、すごくうれしかった。
そのときは、かみさまのことしかかんがえていません
でした。みながいくらでもでてきました。
 そして、もううそやいじわるはできるだけへらした
いです。なぜかというと、かみさまをかなしませたく
ないからです。こんどははやくせいれいにみたされたい
です。こんどのさまーすくーるで、あとのひとたちが
せいれいがうけられたらいいなとおもいました。

※以上聖イエス会信徒さんからの情報提供より


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