したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

聖イエス会『カルト的(???)、異端的(???)、新興宗教(???)』その1、

158名無しのひつじさん:2021/01/11(月) 00:45:44 ID:Tqf.3TYo0
※聖イエス会信徒さんからの情報提供…そのまま引用
聖イエス会 秋期聖会から
「私の存在の主よ」
執筆者…当時のロゴス神学院生

 「私の存在の主よ、あなたの理想は、私の内で満たさ
れているのでしょうか。」

 詩聖タゴールの言葉が私の心にこだまします。
 激動の八月が終わり、世界が終末に向かって刻々と
すんでいることを感じさせられる中、ロゴス神学院も
二学期を迎えました。
 九月十一日、二学期最初の講義において、霊父は、
「終末におけるイスラエルの救いの歴史について、
聖イエス会の使命の本質について、ナボン前大統領、
レビン教授の再来、その印象について」お語りくださ
いました。切々と語られる霊父のお話を聞きながら、
「この夏、世界は激しく動いた。しかし、霊界において
もイスラエルの救いという、ご経綸が大きく動いていた」
ということを知らされました。
また、イスラエルの聖イエス会に対する期待がどんなに
大きいかということも知らされ、目が覚まされる思いで
した。
 そして、愚かなる者を悟らしめたもう聖霊は、つづく
一回一回の講義を通して、このことをさらにはっきりと
教えて下さり、小さな神学生たちに激しくお迫りくだ
さいました。
 「世界は激動し、霊界においても、イスラエルの救い
のご経綸が激しく動いている。問題は聖イエス会である。
聖イエス会は経綸に乗り遅れている。このままでは
何のお役にも立たない」と。
 そのような中で、霊父は、毎週の講義の中で、聖イエス会
の現状を憂いて祈られました。それは、だれかを責めるという
祈りではなく、ただ自分一人の責任であるかのように祈る祈り
でした。謙遜の谷間で祈られる、その祈りは、十字架上
のイエス様の祈りのようでした。霊父は涙にむせびつつ

なぜか、文の冒頭は聖書の御言葉ではない?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板