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聖イエス会『カルト的(???)、異端的(???)、新興宗教(???)』その1、
121
:
名無しのひつじさん
:2021/01/11(月) 00:20:10 ID:Tqf.3TYo0
●二月十三日の聖霊傾注●
―――「霊父の活動につきましては、先に霊父宣教五十周年記念の時にお伺い
しましたので、本日は特に、最近の五年間、あの『若者よ、さあ、起きなさい』
のメッセージの時から今日までのことをお伺いしたいのですが。」
霊父「そうです、『若者よ、さあ、起きなさい』というこのメッセージのところ
から、聖霊の御業が目に見えて現れてきたわけです。けれども、それ以前の聖
イエス会の状態は、長い間後退もしなければ、前進もしないという、静止した
状態でした。ですから、これではいけない、なんとかしてリバイバルを拝さなけれ
ばならないと思ったのです。
私は過去において幾度もリバイバルを経験してきました。この若い世代の人々は、
リバイバルを自ら体験したことのない人々です。奉天では、あのすばらしい聖霊の
傾注からリバイバルが始まりました。また使徒行伝も、ペンテコステの日に聖霊の
傾注が起こり、弟子たちが聖霊に満たされたところから始まりました。ですから、
どうしても今の世代の人にこの聖霊の傾注、リバイバルを体験してもらわなければ
ならないと、痛切に感じたわけです。
では、実際問題として、どのようにしてリバイバルを起こすことができるのか、
という問題がありますが、メッセージというものはこういうものであって、こうい
うふうにやっていけば必ず人々をキリストと出会わせることができるのだ、という
事を知ってほしいと願って、あの『若者よ、さあ、起きなさい』というメッセージ
から、行動的にみんなを引っ張っていくという方針に切り換えたわけです。確かに、
あの時から一線が引かれ、聖霊の働きがしだいに顕著になってきて、ついに、あの
福山で、一九八四年二月十三日に聖霊の傾注が起こったわけです。」
―――「一九八二年の年会で、霊父は『主に香ばしい香である灌祭(かんさい)』
を語られましたが、その中で『リバイバルからリバイバルへの生涯を歩んできた
者にとって、リバイバルを見ないということほど悲しむべきことはない。私はリバ
イバルに渇いている』と叫ばれた霊父の姿が心の底に焼きついています。また、
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