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メソポタミア、そして、キリスト教の発祥の地

1名無しのひつじさん:2018/03/17(土) 03:55:17 ID:keeuCOew0

紀元前3500年、メソポタミアを通覧(つうらん、全体に一
   通り目を通すこと)すると・・
    この時・紀元前3500年、メソポタミア文明:生産
   の発達に伴い、この頃以降に、多数の都市が誕生す
   る。
  紀元前3300年頃、この頃からメソポタミアの地に、シ
   ュメール人の文化が生まれた。
    砂漠化が進む気候の中で・・、
    チグリス・ユーフラテス河に集まった人たちは、
   その豊かな水で、大規模な農耕をした。
  紀元前3000年頃、メソポタミア地方で普通小麦の栽培
   が始まった。
  紀元前3000年、メソポタミア文明:シュメール人が、
   この頃から都市国家の時代へ入った。
  紀元前2500年頃になると、このシュメール人は、『ウ
   ル第一王朝』の王国を築いた。
  紀元前2000年、バビロニア:この頃に、シュメール人
   が建設したメソポタミアに、セム系のアムル人が侵
   入し、バビロニアという強大な国を作った。
  紀元前1830年、アルム人が、ユーフラテス川中流の都
   市「バビロン(バクダード南方90キロ)」を中心に
   覇を唱えた(古代バビロニア)
  紀元前1600年、アーリア人:紀元前1600年頃のイラン
   高原、メソポタミア、エーゲ海、さらに、ヨーロッ
   パなどに進出した。
  紀元前1530年、古バビロニア滅亡。
   ヒッタイト人が、人類初の鉄製武器を使い、紀元前
   1530年頃に、古バビロニアを滅ぼした。
  紀元前1500年、古代ユダヤ:セム系ユダヤ人(ヘブラ
   イ人)は、シリアの近くで遊牧生活を送っていたが、
   紀元前1500年以後、ユダヤ人の一部分がカナン(カ
   ナーン、パレスチナ、イスラエル)へ移住した。
  キリスト教は、このメソポタミアの民が、「乳と蜜の
 流れる地・・カナン」へ向かう話から始まる。
  そして、このキリスト教の発祥の地「イスラエル」は、
 日本の九州ぐらいの大きさである。

2名無しのひつじさん:2018/03/17(土) 03:57:52 ID:keeuCOew0
  そして、このキリスト教の発祥の地「イスラエル」は、
 日本の九州ぐらいの大きさである。
  キリスト教が、異民族とか、異教徒とかとした「ペリ
 シテ人」や「フェニキア人」や「アラム人」は・・、
  「ペリシテ人」はイスラエルの南部に居て、「フェニ
 キア人」と「アラム人」は、イスラエルの北部に居た。
  つまり、この「ペリシテ人」は「鹿児島県の人」のよ
 うで・・、
  「フェニキア人」や「アラム人」は、「福岡県の人」
 や「大分県の人」の様な関係になる。
  キリスト教は、この様に『非常に狭いスケール観』の
 中で展開している宗教なのである。
  結局、このスケール観の中で「鹿児島県」や「福岡県」
 や「大分県」の人々が、異教徒とか、異端の人として存
 在していて・・、
  「異教徒は殺せ」のキリスト教の教義が展開し、困っ
 たときには、この異教徒からの富を奪う事を、(キリス
 ト教の)神の義があるという免罪符が与えられて、富を
 奪う行為が行われていた。


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