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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
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題:いたいけな子供たちが・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
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キリスト教徒の女子学生の様な、感受性の鋭い心に、配慮の欠いたキリスト教の話が・・突き刺さる。
1224年9月14日に、ラ・ヴェルナ山において、フランシスコの手足と脇腹に、イエスが受けた傷と同じ傷が現われた・・と、キリスト教は言う。何故か? 年月日がはっきり言えるという。
それまでの、フランシスコの祈りが通じたのだ・・と、キリスト教は言う。
この傷を、聖痕(せいこん、スティーグマーク)という・・と、キリスト教は言う。
一生懸命に祈っていたから、この傷が現われた・・と、キリスト教は言う。
イエスが受けたという同じ苦痛があった・・と、キリスト教は言う。誰が調べたかは知らないが、イエスと同じ苦痛があったとキリスト教は言う。
フランシスコは耐え、彼の傍(かたわ)らには、天使が降りて来て、フランシスコを励(はげ)ました・・と、キリスト教は言う。
そして、イエスが出現した・・と、キリスト教は言う。
そのイエスが、どうのこうのしたとも、キリスト教は言わない。
また、そのイエスが、何か話したとも、キリスト教は言わない。
ただ、イエスが現われた、とだけキリスト教は言う。
また、イエスが出現している間、ラ・ヴェルナ山は、燃え上がる焔(ほのお)に包まれている様に見えた・・と、キリスト教は言う。
その焔は、大地を燃えつくす様に、周りの山々、谷という谷に、焔の光が照らされた・・と、キリスト教は言う。
フランシスコは、傷の痛みに耐え、その痛みのため包帯を巻いた・・と、キリスト教は言う。
傷だらけの体となっているフランシスコだった・・と、キリスト教は言う。
その後のフランシスコは、数知れない奇蹟を起こした・・と、キリスト教は言う。
この話に、さすがに、信心深いキリスト教徒も、「その奇蹟のすべてが事実であるとは思えない」・・と、言ったが・・。(つづく)
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