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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ

809名無しのひつじさん:2014/08/03(日) 00:49:27 ID:uZ6cxRU20
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 ローマ教皇が、銃弾に撃たれ、危うく命が助かった時に言った言葉・・、
 「黒マリア様の御蔭で、弾丸(たま)がそれてくれた・・」・・である。地場の宗教の産物である。
 黒マリア様なんて、今までのキリスト教なんかにはない。
 その癖、キリスト教は・・権威だけはを欲しがった。
 権威を得ることに執着した。

 卑劣なのは、キリスト教に「神を畏れよ」という教義があるが・・、
 キリスト教は、権威を得るために、権威を得たいために人を殺すことまでして、人々を畏れさせた。
 それで、キリスト教の権威が得られると、得られたと・・
 誤解した。
 この様な行為から離れ、キリスト教のみに、また、キリスト教の神のみの方に専念して行動をすべきだった。

 俗の権威を欲しがった・・、
 この執着や我執(がしゅう)を離れてこそ、対立や抗争の原因から離れる事が出来るのに・・、
 キリスト教には、この点が・・悟れませんでした。
 キリスト教は、自分の神、自分の権威、自分の利に執着し・・、目を覆う様な悲惨な行動を・・多発させました。
 自分たちだけ、自民族だけに、執着せざるを得なかったパレスチナの地で、その地で出来たDNAから、生まれ変わることができませんでした。

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 (参考)が‐しゅう【我執】 1 自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。我を通すこと。また、その気持ち。「―にとらわれる」 2 仏語。人には常住不変の実体があるとする誤った考え。我見。
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 そして、次の話。
 キリスト教は言う・・、
 「イエスが、人々に見させようとしたのは神の国の到来。そこでは、すべての人が、人種・性別・国籍・文化・伝統の差を越えて、神の支配の内に自分自身を見い出し、自分の様に隣人を愛する事が出来る様になるために、語りかけ、働きかけ、示し続けたのです」・・と。(つづく)




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