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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ

797名無しのひつじさん:2014/07/30(水) 00:32:28 ID:uZ6cxRU20
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 聖霊に、ここまでの役があるなら・・神だろう・・と。
 パウロは、聖霊と言わずに神と言えばよかったのだが、
 例えば、標記の文の聖霊を神に書き換えて見ると・・「キリスト教会は・・神によって成り立つ・・、
 その神を受けて人が、その本来の在り方に至らしめられる」・・と、
 まったく丸く収(おさ)まる。

(だから、逆に言えば、神のお出ましは、教会において無いのだ)
 だがしかし、パウロは「神」と言わずに、「聖霊」と言った。
 だからまた、新たに聖霊と言う名の神がキリスト教の神として誕生するということになった。
 そして、標記のパウロの言葉も筋が通る様になった。
 ・・が、しかし、賢明なる方なら、この決定で、他に不都合が、新たに出来た事をお気づきでしょう。 

 キリスト教は、その様な宗教なのです。
 しかし、標記のパウロの言葉は、キリスト教会の顔をひたすら立てたい「パウロの個人的好み」がよく出ている。
 イエスの言葉や、イエスの行動を棄てたパウロは、ここでもイエスを無視している。
 そして、パウロの、ズーッとズーット後に出来た三位一体神を、パウロが知る由(よし)も無いので、三位一体神が出て来る訳は、ここではない。
 キリスト教は、この様な事例でも分かる様に、時の流れの中でも、よりどうしようもない領域に入り込み、より複雑に、よりシッ茶かメッチャカになって来ている。

 キリスト教は、結局、この様な分かった様で、実は、解決にもなって無い、そして、解決不可能な領域に入り、そして、解決しようするが「まったく分からない空理空論の世界」に遊び、そして、舞っている。
 可哀想なのが、それを信じなければならないキリスト教徒の方々・・、複雑怪奇(ふくざつかいき)の中に住み、心を痛め、その時が続き、心が蝕(むしば)まれて行く。
 理解不可能領域のキリスト教から、早く離れなさい。
 皆が皆、理解不可能領域にいる宗教なのです。
 パウロの・・この教会を持ち上げてくれる論理は、教会にとって都合が良かった。ただ、それだけなのだ。

 教会にとって、キリスト教は、いつの時代もそうなのだが、自分の都合のよい、利のある事しかして来なかった。
 その中で、魔女の教会論理と実行は悲惨極まりなかった。
 教会にとって都合がよいことが・・良い事なのだ。
.. (詳しくは、以下のブログへ)ttp://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /




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