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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
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モーゼが脱出させたという『キリスト教の地の民』が・・、
『こんなことなら脱出しなければ良かった』・・と、
『エジプトに居れば良かった』・・と、後悔の弁を言うところが、あなたの信じる聖書に記されておりますが・・、
これが真実です。
この様な地のエジプトに、キリスト教の生まれる地に居た民は、砂漠の民は、生きる糧をもとめて・・このエジプトの実りに生きる糧を求めて、エジプトへ流入しました。
エジプトも、この流入を・・『おおらか』に認めていた。
この様に・・パレスチナのキリスト教の生まれる地の民は、常に、食糧事情の関係から、エジプトに流入し、また、流出していた。
キリスト教の聖書に書かれている、「兄に人買いに売られた弟」も、その様な状況から、簡単に、また、容易に、エジプトに入りました。
そして、なんと、出世までするというエジプトは、おおらかな、差別のない社会でした。
その後、その家族までがエジプトへ、弟の所へ行くということも聖書に記されています。
何ら異変もなく、平穏に事は進んでいます。
差別があったとしても、そう厳しい社会ではなかったのです。キリスト教の言うような差別状況ではありませんでした。
そして、一般人は、入るからにはエジプト人と同じ条件になる訳では無く、下働きをするという状況でした。そう悪くない状況だから、エジプトに戻りたいという声もあったのでしょう。
何ら、キリスト教が、汚く、ひたすら言う奴隷というものではありませんでした。
逆に、汚ない事と言えば、キリスト教のその様な嘘を言う心根こそ、本当に汚ない限りです。
その様な状況から、出入り自由で、その自由さもあり、豊かさもあり、パレスチナのキリスト教の民は、エジプトに入れました・・、
キリスト教の「エジプト脱出」は、キリスト教をよく見せたい、美しく見せたい、そして、キリスト教を良くしたいという意味での嘘・デッチアゲです。
『モーゼも、実在の人ではない』と歴史家は言うし・・、
そして、キリスト教は言う・・、
エジプト脱出のイスラエルの民は、なんと60万人だったと言う。モーゼの功績を美しく言いたいからなのだろう。(つづく)
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