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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
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この金銭に関わる事、イエスたちの活動資金は・・、
ある時は働き、ある時は会合で資金を募(つの)り、その生活していた。当然、今・現代の言い方では、定職を持った人たちではない。
職業欄には、「遊行」とは書けなかったから、事実上の状態の「無職」に○を付けるのだろう。
故郷の、イエスの幼少の頃を、イエスの生い立ちを知っている人たちが、イエスに・・、
「予言者とはうまい事をやっているな』と言ったが、
当時、エルサレムにはこの予言者という職業の人たちは多かった。公的な予言者も居たが、イエスは個人的な、私的な予言者だった。
故郷の人たちは、それを「うまいことをしている」と見ていた。結構収入はあったのだろう、大勢の人もやっている様なので。
また、イエスは、イエスを故郷の人たちから「ぺしゃんこにされた」ということを吐露(とろ)している。
神通力が、故郷では効かないとも、イエスは言っている。
イエスは、何しろ決まった事を職業的にするのではなく、父・ヨセフの職業・大工をイエスもしていたようだが、そのヨセフは、早くに亡くなった様なので、イエスは長男だから、また、兄弟姉妹も多いようだったから、イエスは、父の変わりに「家計を支える」という大切な責任があったが、その責任は「放棄した状態」となっている。
予言者として、故郷の人が言う様に「うまく、飯が食える立場には居たこと』は、確かだ
しっかりしたイエスの収入が、確保されていたのだろう、その様子が、故郷の人たちが、うらやましがる『言葉ひとつでも」分かる。
弟子たちは、イエスを「ユダヤ教の聖職者の『ラビ』の名で呼んでいる」ので、その遊行の職が根に付いている事が分かる。遊行的に大工もやり、エルサレムでは、ラビ風な予言者として収入を得て、金を得ていたと考えられる。
イエスは、たびたび、エルサレムと故郷・ガリラヤを往
き来している。
イエスを偶像的にし、想像し、美化して、キリスト教が忌み嫌らう様な偶像化をしてはいけない。偶像を作ってはいけない。偶像崇拝宗教になってはいけない。それこそ、他ではなく、キリスト教は自らの真実を見よ。
また、イエスは、街中では、商売柄、顔見知りも多かったのか、その顔の広さから、ときどき、会堂での人を集めるイベントも開けたと考えられる。
そこでは、今現代でも医学的に、診療的に、効果があると認められている手を触れるだけで直すという行為をしていた。
この現象は、イエスだから出来たという現象ではなく、
誰にでも起きるものと、現代でも、医学的に証明されている。何ら奇蹟的な現象ではない。キリスト教は奇蹟・奇跡と言うが・・。
イエスも霞み(かすみ)を食べて生きていた訳ではない、
金銭を必要とする生活をしていた訳なので、今で言う治療費と言う金銭は徴収(ちょうしゅう)していたと考えられる。これも、故郷の人たちが「うまいことをしているな」と羨(うらや)ましがっていた。
イエスは、宗教家としての托鉢(たくはつ)行為は、していないので、その面から宗教家に属するジャンルの人ではない。その様な・・人、
「予言者」兼「心理療法をする人」兼「遊行者」。.
(参考)栴檀は双葉より芳し:白檀(びゃくだん)は発芽のころから香気を放つ。大成する人は幼少のときからすぐれているというたとえ。
.. (詳しくは、以下のブログへ)blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
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