レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
-
題:所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
キリスト教聖書は、
ヨルダン側の東に居る部族と、
ヨルダン川をはさんでヨルダン側の西に居る部族と、
その更に西に居る、海に面した海岸沿に居る部族(ぺリシテ人)の3つの部族の戦いに明け暮れる物語である。
この様に、ほんの一部地域の、所詮、スケールの極端に小さい話なのです。
日本の戦国時代の、ごく一部の地域に限定した様な物語の話しに過ぎないのです。
それを、キリスト教が、得意なプロパガンダ(嘘宣伝)で、古代の大言壮語の話にでっち上げて、アッピールし、捻じ曲げて、世界的なホラ話に仕上げているだけです。
欲にまみれて、自分の民族のみが生き残ればと、欲の戦いに明け暮れて、国境線は、ガラガラと変わった。
支配者の首のすげ替えも多く、戦いに負けた戦勝だけが祈られた神も、負ければ捨てられ、多くの神が捨てられた歴史と世界だった。
所詮は、戦いの神の運命だった。
美しく、世界の民の幸せを祈る神という神だと嘘宣伝されるが、それと、ほど遠いも、ほど遠い過ぎる、これっぽちも、その様な影も、形も、見れない神だった。
能力及び考えにもよるが、支配者はくるくると変わった。
その住民もびっくりするくらい、ガラガラと変わった。
キリスト教が美しく、系図などで命脈を語るが、眉唾ものの世界だった。
民はさ迷いの運命に波打った。今日はエジプトへ・・明日は?
今・現代、数十年前から、ユダヤの民が居るが・・。
今の、そのちょっと前は、今の状況が現出するとは誰もが予想もできない状況だった。(つづく)
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板