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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ

65名無しのひつじさん:2013/11/17(日) 00:57:17 ID:zT1ox2uU0

 題:所詮、人間は性悪なのだと洗脳する本。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教聖書は、
 ヨルダン側の東に居る部族と、

 ヨルダン川をはさんでヨルダン側の西に居る部族と、
 その更に西に居る、海に面した海岸沿に居る部族(ぺリシテ人)の3つの部族の戦いに明け暮れる物語である。
 この様に、ほんの一部地域の、所詮、スケールの極端に小さい話なのです。
 日本の戦国時代の、ごく一部の地域に限定した様な物語の話しに過ぎないのです。
 それを、キリスト教が、得意なプロパガンダ(嘘宣伝)で、古代の大言壮語の話にでっち上げて、アッピールし、捻じ曲げて、世界的なホラ話に仕上げているだけです。

 欲にまみれて、自分の民族のみが生き残ればと、欲の戦いに明け暮れて、国境線は、ガラガラと変わった。
 支配者の首のすげ替えも多く、戦いに負けた戦勝だけが祈られた神も、負ければ捨てられ、多くの神が捨てられた歴史と世界だった。
 所詮は、戦いの神の運命だった。
 美しく、世界の民の幸せを祈る神という神だと嘘宣伝されるが、それと、ほど遠いも、ほど遠い過ぎる、これっぽちも、その様な影も、形も、見れない神だった。
 能力及び考えにもよるが、支配者はくるくると変わった。

 その住民もびっくりするくらい、ガラガラと変わった。
 キリスト教が美しく、系図などで命脈を語るが、眉唾ものの世界だった。
 民はさ迷いの運命に波打った。今日はエジプトへ・・明日は?
 今・現代、数十年前から、ユダヤの民が居るが・・。
 今の、そのちょっと前は、今の状況が現出するとは誰もが予想もできない状況だった。(つづく)




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