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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
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神は叫びつづけた。これを、キリスト教の教義とした。
あまりにも悲惨なその教義は、その後のキリスト教の歴史をも性格づけた。
悲惨な争いのキリスト教の歴史が連綿と続いた。
キリスト教は、その様な宗教である。
キリスト教は、『隣人を愛せよ』の言葉もあると言うが、
これは、キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)にまみれて宣伝されている。
この『隣人』は、「自民族で、同じ宗教を信じている」、そして、「我々の民だけ」を『隣人』としている。
そして、その『隣人を愛せよ』と言っている。
この様な、キリスト教の教義に、洗脳されたキリスト教の信徒と宣教師は、悲惨な行為を世界中で行い、他民族の悲鳴の中で蛮行を繰り返した。
隣人愛の『愛の宗教だ』と言うのは、キリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)である。
キリスト教の歴史は、この嘘宣伝・プロパガンダに明け暮れている。
この様な宗教で人類が救済されるわけがない。皆様が幸せになれるわけがない。
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(追記)「飢えた獅子に、救ってやろうと、自らの身を献じる仏』の話があるが・・・、
我が民族という視点で、他民族を、とことんしゃぶり奪うキリスト教の行動と教え。
そこに『愛』があるなどとは決して言えない。
.そして、イスラエルの民・カナンの人々は、多神教であった。
一神教ではない。
キリスト教による『作られた嘘宣伝・プロパガンダ』で、一神教の民の様に思われているが、多神教の宗教の中で、連綿と生きて来た民であった。
エルサレム大学の教授は、一神教になった歴史は浅いのだと言う。
長い多神教の歴史の中にいた民であった。
日本と同じ様な八百万(ヤオヨロズ)の神々を信じる民だった。(つづく)
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