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聖書よまねえクリスチャンなんているの?Ⅱ
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当然のこととして、
劣悪な宗教教義であれば、人々は、また当然のこととして、幸せにはなれません。
だから故、キリスト教の劣悪教義では、人々は、あなたがたは、当然のこととして、幸せにはなれなれません。
その数々の事例の内の1つ、中世の頃のヨーロッパにおける・・『有名な話』。
キリスト教は、神の居る天のみが美しいので、地上は汚れているとしている。これがキリスト教の教義。
そして、このキリスト教の教義で有名な話であるのだが・・、
キリスト教の教義どおりの『汚れた地』ならば、許されるのだと・・そして、いいのだと、
パリの人々は、自分が排せつした糞尿を、地へ投げ捨てた・・という。
パリの町の道は、捨てられた糞尿だらけだったという。
また、道を歩いていて、2階から道へ糞尿が投げ捨てられるため、頭から被(かぶ)せられることもあったという。
キリスト教の書には、次の様にも記されている。
「美しい自然の風景が創造主の業を語っている。
美しい風景によって苦しみに満ちた世界が、覆い隠されてしまっている」・・と。
地を美しいと言ったり、汚(けが)れていると言ったりの『きままな』キリスト教の教義だった。
地上が不衛生になったパリは、ネズミが繁殖した。
そして、また、そのネズミが媒介する「ペストが流行」したという。
そして、そのペストによって、多くの市民が亡くなったという。
劣悪な宗教によっておこされた話の1つ。
まだまだ、この様な話に満ちているキリスト教。
人類が救済されるわけがない。あなた方が幸せになれるわけがありません。
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