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811
1
:
213
:2012/11/05(月) 10:33:28 ID:TeXAXXzU0
AKB28 RIVER
http://www.youtube.com/watch?v=7Pe9iYu3m98
2
:
811
:2012/11/08(木) 14:25:24 ID:TeXAXXzU0
....113神
3
:
名無しのひつじさん
:2012/11/22(木) 19:37:53 ID:qBIA0KAQO
クレルヴォーの聖ベルナルドを考察
教皇は聖ベルナルドの徹底的にキリストを中心に据えた教えと、その中に顕著な深い観想性・神秘性を指摘。
「ただイエスだけが、口への蜜、耳への賛歌、心の喜び」と表現したベルナルドは、イエス・キリストへの「蜜のごとく流れる」賛美ゆえに、「蜜の流れるごとき博士」と呼ばれたことなどを紹介された。
また、ベルナルドの聖母に対する熱い信心にも教皇は注意を向けられた。
そして、ベルナルドはキリストの十字架上での犠牲を聖母マリアがいかに密接に体験したかを情熱的に観想し、神の救いの計画におけるマリアの重要な役割を認識しつつ、「マリアを通してイエスに」人々が近づくことができると確信していたと話された。
聖書と教会の教父たちに深く根ざした聖ベルナルドの教えは、神への信仰、祈りと観想、主との親密なつながりなくしては、神の神秘の考察は単なる知的作業となってしまうことを私たちに思い出させると教皇は述べ、</span>「議論よりも、祈りによって」人は神をよりよく求め、見出すことができると話された。(10月21日水曜日)
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=328231
12世紀はヨーロッパにおける霊的・文化的・政治的な覚醒の時代でした。この時代に神学は、神学自身の本性と研究方法に対する自覚をさらに深め、新しい問題意識を持ち、13世紀の偉大な神学学派への道を開きました。そこから、聖トマス・アクイナスや、聖ボナベントゥーラの時代に入っていくのです。
この頃に現れた2つの神学の基本的モデルは、当時中世の大学の先駆的役割を担っていた「スコラ(学校)」と「修道院」にそれぞれ結びついていました。
「修道院神学」は、聖書や教父たちの著作の祈りを伴う深い観想から発展し、それらの内的な統一と精神的な意味を強調しながら、キリストの神秘を中心とした神学を構成していきました。
「スコラ神学」は、論理学などを通して信仰の理解を深めることを目指し、それは「神学大全]と呼ばれる大きな作品にまで到達しました。
今日もなお、信仰と理性の調和に対するこの信頼は、私たちの抱いている希望についての説明(1ペトロ3,15)を明らかにすると共に、信仰が理性を自由にすることを示し、人間の精神を神そのものでもある完全な真理の観想へと至るようにしてくれるのです。
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:
名無しのひつじさん
:2012/11/22(木) 19:38:46 ID:qBIA0KAQO
まれな知性を学問に生かし、哲学の研究の成果を神学に応用した。知識人・弁論家としての名声高く、その門下には多くの生徒が集まった。宗教的精神に恵まれ、教会との一致を保っていたが、師や他の神学者たちとの衝突を起こすこともしばしばであった。
1140年のサンス公会議で、アベラールの教説のいくつかの誤りを指摘したのはベルナルドであったが、それは哲学の過剰な導入がアベラールの神学の教えを脆弱なものにする危険があったゆえであると教皇は話された。一方で、教皇は後の成熟したスコラ神学の発展に対するアベラールの偉大な貢献にも言及された。
教皇はこの両者の神学的比較に、教会の健全な神学論議の有用性と必要を見出されると共に、教会の権威への謙遜な従順の大切さも指摘。これらの神学研究の、教会の信仰を守り、愛における真理を勝利させるという目的は、今日も変わっていないと話された。(11月4日水曜日)
http://www.radiovaticana.org/gia/Articolo.asp?c=331945
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