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■■神道とキリスト教のつながりについて
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:
名無しのひつじさん
:2008/07/15(火) 12:58:17 ID:s2dcyQG2
神の語源を考えた。
神のネは示で、申は雷のことだという。雷を示すのが神なのだ。
では雷そのものが神なのではないか。と。
出雲大社の注連縄を見れば分かる。
厚い雷雲から稲光と雷鳴が轟いている様が注連縄だ。
神社の神様は雷そのものなのでそれを示すために注連縄を張っている。
実はかみなりは、カミイナリ。神稲荷なのだと思われる。
なぜ雷に稲光、稲妻など稲をつけるのか。これは稲荷が関係している。
じつは稲荷とはユダヤ人の王ナザレのイエスの略、INRIが語源だと思われる。
つまり稲荷はイエスキリストのことなのだ。
雷雲は聖書の中で雷雲として表されるヤハウェであり、
神道とはキリスト・ヤハウェ信仰そのものだったのではないか。
それはおそらく卑弥呼の時代にはすでに渡来していたものと思われる。
魏志倭人伝で壱岐國南部は伊波田という地名が付いている。
これはイェフダーでありユダヤのことだ。
魏志倭人伝で国名の頭文字にやたらとヤが多いのはヤー=神を示すからだろう。
漢字で音写した結果、漢字表記は実際の発音とは正確性に欠けるものとなる。
漢字とは外国語をそのまま表すには不都合なものだ。
邪馬台国も実際にはゼベダイなのではないか。
卑弥呼はフィリポに近かったのでは。いずれも聖書の中の聖人の名に近い。
すでに2世紀には倭国30国のうち数カ国がユダヤ・キリスト教国だった。
魏人はこれを不都合とみたのか詳しく書いていない。
キリスト教は鬼道と表記している。cristのcriを鬼(qui)に当てたのだろう。
中国人は周辺を異民族と見るや邪だの卑だの汚い言葉を当てる人々だ。
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