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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易
26
:
ローマ・カトリック教会による奴隷貿易の日本人奴隷
:2007/02/01(木) 12:25:14 ID:lRpwgqoI
>>25
よりつづく
そして、こういう秘められた歴史があるからこそ、世界中で一番、黒人びいきなのは、
日本人だというのもそのせいかもしれない。
さて天文十二年以降においても、古くは源平合戦の起因となる神戸福原からの原住民を、
奴隷輸出された事実や、室町時代においても、四国の三次氏や山口の大内氏は、
日本原住民を捕らえこれを明国や南蛮船に売っていた。
西暦1603年(慶長八年)には、
「ゴア(印度)人民のスペイン国王フェリッペ二世陛下の城砦を守っているのは、
白人の五、六倍もいる日本人奴隷で、好戦的な彼らは鉄砲をもち土民を撃退しています」とある。
インドやマカオでは、奴隷の日本人が、「軍人」として使役されていたのである。
さて、これがスペイン国王の名宛なのは、ポルトガル国王セバスチャンがモロッコで行方不明となり、
その妻が代り、のちエンリケ親王が国政をみたが急死していた。
この当時はスペイン王がポルトガル王を兼ねていたからである。
さて、現在のマライ半島は最近まで英領だが、その前はオランダに奪われるまではポルトガル領だった。
ということは、マライの軍人も奴隷日本人だった事になる。
そして地図で一目瞭然だが、マライは南支那海にある。
「和寇とよばれる日本人が南支那海沿岸を侵した。足利政権は明国に取締まり方を申込まれ、
犯人の首を切って明国へ塩漬で送っていた」
「八幡船とよばれる彼らは、遠く海南島まで百余にわたって襲っていた」と、
「八幡大菩薩」の旗をたてた五、六人のりの小舟にのったフンドシ一つの男の絵がある。
それより何故日本人が、こんなに奴隷に売られたのか?
これまでの日本史では極秘である。
というのは今日の日本史は明治帝国主義の所産だから、これは明治軍部のせいだろう。
真相は天文十二年に銃器が種ガ島へ渡来。
器用な日本人は直ちにそれをまねて精巧な銃も作った。
しかし、硝煙とよばれた硝石は、現在でもそうだが日本では一片も産出しない。
みな輸入に依存するしかなかった。鉄砲があっても火薬がなくては戦争できぬ立場にあった。
よって、しめしめとばかり黒人の奴隷売買で味をしめたカトリック・ドミニコ派の宣教師が、
マカオよりの火薬と交換に、日本人を牛馬のごとく買ってゆき奴隷転売にしたのである。
戦国時代に切支丹大名が多かったのも、信仰の為ではなく火薬入手の手段だった。
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