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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

18ローマ・カトリック教会による奴隷貿易の日本人奴隷:2007/02/01(木) 11:01:07 ID:lRpwgqoI
>>17よりつづく
1587.7.24日(天正15.6.19日)、豊臣秀吉が、島津を破り、
右近の役割が終わったのを見計らったように箱崎の陣にあった秀吉は突然宣教師達を呼びつけ、
「バテレン(伴天連)追放令」を出し、右近に棄教を迫った。

軍事力を誇示するカトリック宣教師を国外退去に命ずることを伝えた。
これが「天正(てんしょう)の禁令」として知られる第1回のキリシタン禁止令であった。
以後徳川時代にかけて、次々に発せられていくことになる。
続く措置として秀吉は、長崎の公館、教会堂を接収した。

近年解読されたイエズス会文書館所蔵の資料から、
日本で布教を続ける宣教師達が本国と連絡を取り合いながら、
キリシタン大名を競合して「日本占領計画」を持っていたことが判明した。
ヨーロッパ最強と謳われたスペインの海軍力がその背景だった。

【「伴天連(ばてれん)追放令」の根拠考】
「伴天連(ばてれん)追放令」を野蛮な宗教弾圧と思うべきだろうか。
通俗的歴史書は、キリスト教弾圧を単なる異教徒排斥としか教えていないが、
そういう観点は早急に見直されるべきではなかろうか。
そもそも、信長にしても秀吉にしてもキリシタンに対して当初は好意的であった。
しかし、信長の時代はともかく秀吉の頃になるとカトリック宣教師たちの植民地化活動が目に余り始めた。
秀吉は、宣教師たちの間に日本占領計画が存在することを見抜いて危険視するようになった。
その具体的措置として「伴天連(ばてれん)追放令」を発したことになる。

その1、「植民地政策の尖兵として宣教師の布教が為されている」
という観点からのキリシタン禁止令であった。
カトリック宣教は、世界史を紐解けば、西欧列強諸国の植民地政策と結びついていた。
彼らカトリック宣教師が敵情視察の尖兵として送り込まれ、信者と情報を集めた後に軍隊を送って征服し、
遂には植民地化するという政策が常套化していた。
秀吉は早くもそのことに気づいて主君信長に注意をうながしていた、と云う。


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