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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

17ローマ・カトリック教会による奴隷貿易の日本人奴隷:2007/02/01(木) 10:58:47 ID:lRpwgqoI
>>16よりつづく 【豊臣秀吉の危惧】
カトリック・イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは日本に3年近く滞在した後、
1582.12.14日付けでマカ オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに、
次のような手紙を出している。
これによれば、スペイン国王によるシナの植民地化が狙われており、
カトリック・イエズス会東インド巡察師がその手引きをしていることが判明する。
但し、日本は様々な事由で征服の対象としては不向きであるとも述べている。
但し、その武力はシナ征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要がある、と述べている。

1584年、宣教師スパ ル・コエリョやルイス・フロイスら30余名の一行が、
落成したばかりの大阪城に出向いている。この時のことかどうは分からないが、
秀吉は南蛮服を着たり、牛肉に舌鼓したと伝えられている。

キリシタン宣教師の中で、カトリック・イエズス会日本準管区長ガスパ ル・コエリョが最も行動的であった。
当時の日本は準管区であったので、コエリョは、イエズス会の日本での活動の最高責任者であった。

1585(天正13)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であった豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。
その際に、大友宗麟、 有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方させようと約束した。
さらに秀吉が「日本を平定した後は、シナに渡るつもりだ」と述べると、
その時には2艘の船を提供しよう、と申し出ている。
当時、日本には外航用の大艦を作る技術はなかったので、
それは有り難い申し出であった。秀吉は、コエリョの申し出に満足したが逆に、
カトリック・イエズス会がメキシコやフィリピンを征服したように、
我が国を侵略する野望を持っているのではないかと疑い始めた。

これによれば、当時、カトリック宣教師は軍事コンサルタントも兼ねていた様子が判明する。
シナ攻略にカトリック宣教師が一枚噛んでいたことも判明する。
秀吉が九州平定のために博多に下ると、カトリック宣教師コエリョは自ら作らせた、
平底の日本にはまったくない軍艦に乗って、大提督のような格好をして出迎えた。
秀吉の軍をおおいに驚かせた。


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