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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

14ローマ・カトリック教会による奴隷貿易の日本人奴隷:2007/02/01(木) 10:53:43 ID:lRpwgqoI
>>13よりつづく
政権を握った徳川家康は、初期の頃、宣教師の布教活動を許可・黙認した。
それは、ポルトガルやスペインとの貿易の利点の方が優った為であった。
以前から活動していたイエズス会をはじめ、フランシスコ会、ドミニコ会、
アウグスティノ会の宣教師が来日するようになった。

1609(慶長13)年、長崎で「マードレ・デ・デウス号事件」が勃発した。
これは、前年にキリシタン大名として知られる有馬晴信の朱印船が、マカオに寄港した際、
晴信の家臣である朱印船乗務員とポルトガル人が争い、
60余名の日本人が殺害される事件に端を発している。
翌年、この事件に関与したアンドレ・ペッソアが、通称マードレ・デ・デウス号に乗って長崎に来航し、
家康に釈明した。朱印船の生き残った乗組員から事件の顛末を聞いた長崎奉行・長谷川左兵衛は、
家康の前で彼らの弁護者となった。家康は、有馬晴信に命じてペッソアを召喚させようとしたが、
ペッソアはこれに応ぜずデウス号に乗り込み出帆しようとした。
これに対し、有馬晴信は、長谷川左兵衛らとデウス号を包囲攻撃し、4日目にデウス号は沈没した。
これを「マードレ・デ・デウス号事件」と云う。

この事件をきっかけに、家康はキリシタン弾圧へと傾斜していく。
キリシタンの春は終わりを告げ、一足飛びに厳しい冬を迎えていくことになった。
つぎへつづく


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