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【創立】 専修大学の改革案 【130周年】
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>589。少し長文になるかも知れません。まず、「専修には売りが何も無い」と言う事だと思いますが、その点は私も同感です。
社会的評価も低い、偏差値も低い、従って就職率も芳しくない、国家試験も殆ど駄目、特に近年はスポーツも全く精彩を欠いている。
おまけに神田キャンパスはこの度購入した土地を含めても高々四千坪程度。敢えてハッキリ言おう。この大学は創立当時から他校と
異なっていました。本学関係者なら誰でも知っているとは思いますが、元々この大学は「夜間部のみの大学」としてスタートした訳です。
他にその様な大学など有ったでありましょうか。後から出来た早稲田、明治、法政、中央や慶応等も何れも当然の事乍ら昼間部の大学
としてスタートしました。現在でも夜間部は偏差値低いです。当然でしょう。では何故専修だけは夜間部だったのでしょうか?理由は
創立者達が何れも大学は創ったが、元々他にやりたい事が有った人達だった訳です。或る人は政治の世界を目指しましたし、又或る人は
実業家を目指しました。因って仕事が終わった夜間しか生徒に教える事が出来なかった訳です。夜も働いた事自身は立派な事です。然し
他校は何れも朝から授業をやっておりましたから優秀な学生がそちらに行くのは当然です。例えば早稲田の大隈も政治家として忙しかった
訳ですが、彼はそれを当初より承知していました。従って土佐藩士で有った小野梓に大学運営を任せました。現在早稲田が有るのは彼の
お陰と言われている様です。然も専修の場合は購入した土地が僅か2〜3千坪しか有りませんでした。他校は殆どが一万坪以上の広さを
当初から有しています。昼間部で一万坪以上、対して夜間部で2〜3千坪、既に明治時代に勝負は決していたでしょう。将来を見通す目
が欠如していたと言っても反論出来ないでしょう。明治時代既に校地の狭溢さは充分認識していた筈です。創立者以降現代に至るまで何年
有ったでしょうか。その間誰一人都心に一万坪程度の土地を買った人は居りません。その間関東大震災や戦争等有りましたが、本気で探せ
ば必ず土地は有った筈です。慶応と明治が日吉と杉並区にセカンドキャンパス用地を購入したのは戦争の足音が近づきつつ有った昭和9年
の事です。歴代の理事長は一体何をしていたのでしょうか?戦後直ぐ旧制大学から新制大学に移行した際、日本の大学の中で我が専修大学
一校のみが不合格となりました。こんな恥ずかしい事が有り得るでしょうか?如何にこの大学の歴代の経営者は何もして来なかったと言う
証左で有りましょう。日本の私学最古の歴史と伝統を有する大学の一校ですよ。然も文部省から「セカンドキャンパス」の土地を購入すれ
ば認可すると言われ、慌てて土地を探し最終的に現在の板橋区の広大な高島平団地の土地(50万坪程度有った様です)と生田(当時は
日本電気の研究所)が候補地になりましたが、当時の理事も理事長も決められず、最終的に学長の大河内一男氏(後の東大学長)に委ね
彼の、「専修大学だったらこれ位で良いんじゃ無いの」と言う鶴の一声で生田に決まりました。「だったら」とは何だ。何の為に高い給料
を貰っているんだ。高島平の方が良いに決まっているでは無いか。借金しても良い。高島平に五万坪位買うのが当然であろう。かように
この大学の歴代の経営陣はまともな仕事をした人物が誰もいない。唯一例外は森口忠造氏のみであろう。答えになっていないが多いに関係
の有る事である。後日続きを述べたいと思う。関心の無い人はスルーして下さって結構です。
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