レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
【創立】 専修大学の改革案 【130周年】
-
今更言ってどうなるものでは無いが、生田キャンパス成立の過程に於いて知っている事を明記してみたい。戦前の旧制大学に変わり戦後直ぐに新制大学に移行した訳だが認可条件の一つとしてキャンパス面積が有り、本学はその条件に適合していなかった。依って文部省は以下の条件を提示した訳である。一つは廃校。もう一つは別に所謂セカンドキャンパスを早急に取得する、と言う二者択一を迫った訳で有る。然しこの期に及んでも当時の経営陣は動こうとはせず、危機感を感じた主に全国の校友
達が立ち上がり、現在の経営陣では駄目だろうと思ったのであろう。当時齢80を既に超え、伊豆に隠棲していた大先輩の今村力三郎氏に経営を委ねた訳で有った。その後幾つもの候補地が上がったと聞く。中には何と霞ヶ浦(霞ヶ関では無い)の軍の飛行場跡まで候補地に上がったと聞く。最終的には二ヶ所に絞られ、一ヶ所は現在の板橋区の高島平団地の周辺、此処は広大な土地で買おうと思えば五万坪位でも買えた筈だったと思う。金融機関からの借金も可能だった筈で有る。もう一ヶ所が現在の生田(旧日本電気研究所の跡地)で有った。私などは高島平は23区内で有
るし、土地も平坦であるから当然此処にすべきと思うが、当時の理事達はどうしても自分達では結論が出せず、当時「学長」(理事長では無い)で有った大河内一男氏に一任すると言う事になり彼の鶴の一声で生田に決まったと言う経緯が有ったので有る。何故生田にしたのかは知る由も無いが、もし高島平を選択していたら現在の専修は果たしてどの様な大学になっていた事で有ろうか。因みに現在の高島平団地は本学が購入しなかった為めその後此処に建てられたのである。
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板