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【ザ・分室】 嗚呼、ひかりもの禍劇団! 【痛い系】
237
:
エートス
:2006/02/21(火) 11:28:27 ID:Q1UvcX42
>>207
マンダム!氏
これは法論スレに移った方がいい話題かもしれませんが、続くかどうかわかりませんので一般の立場としてのコメントを少々。
>信者諸氏が「常に予定された結論」を元に議論する傾向が有る、と言う御指摘、我々も頷けるモノは有る。ソレは、自分独自の考えに基づいて議論して行った場合、若し最終的結論が、教えと違っていたならば、「自分は、教えと違う考えをしているから、この信仰を否定しているコトに成る」と考える恐れが有る、と言うモノ。
そう、恐れなんですよね。否定が恐れにつながるのが、わたしが「エルカンターレって実は砂漠の一神教的じゃないか?」と言うところでね。愛の神であるはずの創造主エルカンターレを信仰していて恐れを抱くのがおかしいんですよね。非常に矛盾しますからネ。
で、一般的にそうした宗教は終末論を持っています。KKももろに然りでした。仏教にも末法思想という終末論的な思想がありますが、裁きに遭うという思想ではない。予定された結論の根源は、KKの場合も終末論あるいは裁きにあると思うんですよね。
>例えば私は、昔も今も、ジャズをこよなく愛する。然し、ベートーベン霊が「ジャズは良くて5次元であり、6次元までは行かない。クラシックには到底敵わない」と言おうが何であろうが、囚われない(ま、悪く言えば、ボーッとしている、と言うコトであろうが)。
死んだ後、5次元か6次元かというのは、ともかく天国に帰るんだから特に囚われなくても、地獄か天国かという場合には囚われないかは疑問です。
信者さんは「救済」という言葉を好むようですが、わたしから見るとエルカンターレの救済とは、罪からの救済ではなくて、裁きに遭う恐れからの救済というようにも見えるのですよね。「信じる者は救われ・・・」というやつです。
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