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【ザ・分室】 嗚呼、ひかりもの禍劇団! 【痛い系】

203エートス:2006/02/15(水) 01:28:43 ID:IcZNDFcY
>>202

いいじちゼロ氏の命名宣言からは「力で優位性を確保するのが本来の信仰者の姿である」という主張がにじみ出ています。一方、ひかりもの心の力氏は「力は放棄して話し合い、その中で対立を解消する上位概念を打ち出すのが幸福の科学なのだ」と言っている。

さて、両方を何の予備知識もなく読んだら、同じ宗教の信仰者だとは誰も思わないでしょう。

しかし、ファルコン氏のいわれるように【教団とその構成員の価値観は教祖の価値観である】というのは、当然過ぎるほど当然なわけです。すると、この二面性が教祖の中ある、と考えればいいわけですね。

前者はいいじちゼロ氏の「攻撃的で力を賛美したがる個性」
後者はひかりものの、ゼロ氏のような力への憧憬を内側には抱えているにもかかわらず、「いっさいを棚に上げて、愛だ光だ平和だと騒ぐ個性」と言えるでしょう。

>退会者が会内で感じていた違和感・疑問を何も感じないと言う事はそういうこと。

攻撃性と愛あるいは光だのシュプレヒコール、この同居していることには、少しでも理性に目覚めた人ならエルカンターレの実態とはなんなのか?と疑問を差し挟まずにはいられないでしょう。たとえ「疑」だ「堕地獄へのコース」だと言われようが。

実は、このように相反する主張をする宗教というのは宗教史上にけっこう見ることができるのですが、だいたいは砂漠の一神教の流れである「契約宗教」が見せてきたものです。

もし、これに初源的な類型を求めるとすれば、旧約聖書の造物主ヤハヴェの個性に近いのではないかと感じます。仏教の場合は矛盾を矛盾として意識化し、個人の心を追求しながら解決を図るので、こうしたことと無縁でしょうね。

さて、KKにおける契約とは、意識化されていないとは思いますが、「エルカンターレに義を誓う者は救われ_神の愛を受け、疑を抱く者は地獄に落ちる_神の裁きに合う」ということですね。

信者さん達が長期にわたって醸し出しているその言論や個性を見るかぎり、その上流にあるエルカンターレの個性やビヘイビアとは、きわめてヤハヴェのそれと酷似していると判断できます。

長くなるので、信者さんがその申し子として提示を続けるエルカンターレとヤハヴェとの共通点についての考察は、長くなるので今日は控えますが、旧約のヤハヴェは、新約のキリストによって止揚され、民族的な自尊を象徴した契約宗教に、普遍的な世界宗教への道を開いたことは言っておきましょう。

一方、エルカンターレ自体は、未だに旧約の段階に留まった神の姿でもあり、それを「最も進んだ信仰である」とするのは誤りであると同時に、仏教的な完成度の高さ、成熟度とはほど遠いものであるということができるでしょう。


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