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【ザ】+☆+KKⅦ+☆
724
:
たまご
:2005/12/31(土) 01:58:25 ID:swhvpGoM
>>723
エートス氏
こんばんは。
>で、その感覚が自身の中の光と同質だと言える根拠は、波長同通とやらから導かれるものなのですか。
この部分の客観性については、かなりの個人差があると思われます。
八正道の反省も・過去の人生を振り返っての反省と、日々もしくはごく最近のひっかかりの反省とは、やはり違います。
個々の魂の傾向性、根っこにぶちあたるくらいの深い反省行は簡単でないようです。(これが見たくない自分のオンパレードのところなのだと思いますが)現在は、精舎にての研修で聖なる空間にて静かに自己と対面してこれに臨むことができます。
この深い反省が進むと、号泣なのだそうです。法雨の涙が流れるのです。これを単なる“主観”としてしまうのは簡単ですが、魂の回心の瞬間となるそうです。憑依を受けていた方は、バリッと音がして身体が軽くなり頬に赤みが差すそうです。
たとえば、ただ悪いことをしたという懺悔の涙だけではなく、プラスの部分があります。
それが錬金術の話題で私が書いた、魂の想念帯のテープが黄金に変わる瞬間の話へとつながります。過去に思い行った様々な自身の心の曇りによって、煤だらけになった心の発見から、それを綺麗に洗う作業です。
では、私は反省ができているか…といえば、ノーです。
まだまだ怖くて見れない自分を出し切っていない気がしています。
ただ、慣れないながらも、簡単な反省の項目の一つとして、愛の反省は入りやすいようです。自分が母の胎内に宿り、母の産みの苦しみを経て、何も出来ないところからスタートして与えられた愛を一つ一つ思い出していくのですが、自分が周りの人にして差し上げたことに比しての与えられた愛の多さに、“気がつく”というところからスタートしています。
これが、恥ずかしながら我が儘勝手に生きてきた私にとっては、大変大きな一歩でした。家族の愛についても解っていたつもりであっただけでした。
八正道をきちっとできれば、阿羅漢の段階となり、守護霊の導きがそれと判るとはいわれています。がしかし、瞬間的にその境地になれたとしても、心揺れることあれば、また磨き直しなわけです。悟後の修行、心境の維持こそが修行となっていくのだそうです。
ですから、早くに出来上がって慢心してしまっては大変勿体ないことになります。何度も何度も魔境を乗り越えるのではないでしょうか。
一般的な反省でもよいのですが、できれば、自らが仏神の光を宿した存在であり、信仰を持って愛を与えて生きることや、人生の試練に果敢に立ち向かうことこそ、自分のためにもなるのだと多くの方々が理解されたならば、この世の愛の貸借対照表が黒字になると思いますし、それがユートピアへの確かな道だと思います。
…また話が大きくなってしまい、長くなってしまい申し訳ないです。
説明の不十分さは、私自身の智慧の不足でございます。ひらにご容赦くださいませ。
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