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【ザ】+☆+KKⅦ+☆

537IAOO.KK ◆ZKLVh/2jGY:2005/10/31(月) 00:49:44 ID:T1gCyO3g
>>536

ご覧でしたかゼロ殿。あなたがいつアク禁になるか注目しています!!

>総裁の「念い」ひとつではいかんともしがたい部分というのは現実としてあります。』と。

これは否定しません。総裁を人間としてとらえるならばそのとおりであります。では、エル・カンターレ(=L・C)ならどうにかできるのか?半否であります。この地球にも9次元霊L・Cをも逆らえぬ、フォースの働きかけやカルマの流れがあるからであります。そして人間の自由意志と周期や時間の関係という限定があります。

>意思を持つことはいかなる状況下でも「100%」保証されています。 …A
>念いの「実現」が制限を受けるということです …B

例えば私が太陽を壊したいと思ったとする。太陽が壊れるイメージをも為しえたとしよう。イメージの中で太陽が確かに壊れた。が、実際の太陽は壊れていない。霊界の太陽も壊れていない。何故か、物質太陽も霊太陽も存在する意志があり、人間はその意志に太刀打ちできないからで、そればかりではなく意志そのものが太陽霊や惑星霊から供給されているからであります。

意志とは実現する力であり、実現できなかったのは意志がより大きい意志によって規制されたからであります。
何の妨害もなく顕現界まで達した神の衝動を法則というとするならば、上位の法則が下位の法則を規制しているのであります。イメージの中で壊すことのできた太陽は実際の太陽ではなくメンタル界の質量からなる疑似太陽なのである。それは疑似太陽を壊すという意志が実現したに過ぎず、実際の太陽を壊す意志を発することができるのはメンタル疑似太陽を壊すように物質太陽や霊太陽を壊すことができる存在なのである。

提示文Aにおいて、いかなる状況下でも100%保証されているのは意志が結果を引き起こすことであり、意志なき状況下では意志を持つことは100%保証されないのであります。

提示分Bにおいて、『念い』の意味が「思考」の意味ならばそのとうりであり、「意志」でもそうである。「思考を意志の下位のものととらえるならば、結局、意志は制約を受けるのである。


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