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【ザ】+☆+KKⅦ+☆
283
:
エートス
:2005/08/31(水) 00:29:52 ID:jSiT6F92
>>282
年表続き
1986年9月 太陽の法(旧版)執筆
1986年10月 谷口雅春の霊言発刊
(この時、谷口雅春は梵天の位置にいたとされるが、後に低次元に修正?
「私より一足早くこの日本の国を去っていた高橋信次と言われる方も、私のもとに訪ねてきた。高橋信次すでに亡く、谷口雅春亡き後、日本の国を中心として、新たな教えを説いていくのはやはり、あなた方であろう。」)
1986年12月 高橋信次霊言集発刊
(大川氏によるその前書きには「高橋信次氏は、1976年6月にこの世を去って、丁度5年後、1981年6月に、自らの予言通り、私、大川隆法に、霊天上界から通信を開始されました。まさしく、イエス・キリストが十字架に架けられた後、自らが救世主であることを、旧約聖書に預言された救世主であることを証明するために、弟子たちの前に「復活」してみせたように、私に驚異的な啓示を開始されたのです。」とある)
1987年5月 高橋信次の新復活発刊
(自らが9次元霊のエル・ランティであり、露払いの役割で仏陀の先陣として法を説き肉体生命を早く終わらせ、後陣として出てくる仏陀に霊示を送る天上界の計画があったと語る。
また大川氏によるその前書きには「羊飼いは還ってきたのです。1976年6月にこの世を去るに際して、「5年後に大いなることが起きる。関西の若者が現れて大人たちに法を説く日がくる。その者が私の法を継ぐだろう」と言われた高橋信次氏の予言は成就したのです。ちょうど5年後、1981年6月25日、関西出身の24歳の私に、同氏の霊示が臨んだのです。」とある)
1990年11月 アラーの大警告収録 高橋信次最後の霊示集
(高橋信次自らエル・ランティ(旧・新約聖書のヤハウェ・エホバ)と語り、仏陀が二人いて救世事業のバトンタッチをした事を強調した。)
1994年5月 法話 方便の時代は終わった と関連講義群?
(大変更?修正?の上、現在の公式見解である高橋信次の位置付けが確定)
とりあえず資料まとめ第一弾は以上です。
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