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今上陛下の祭祀欠席について
4
:
まむし連
:2019/04/15(月) 19:12:24
ぶらでぃ氏が十全に語り尽くして下さったのでわたしが加えることもないんですが
感情的に一言いいたいので重複をいとわず蛇足します。
-------------
宮中祭祀に差し障りがあるほどお齢を召されたからこそ、こたびの「譲位をしたい」との詔勅の発動となったのです。
政権は大御心をかしこまずしてずるずるに引き伸ばしてこんにちに至りました。
陛下がこのたび宮中祭祀をとりやめたのは、このことあらんと予知されていた陛下に逆らった安倍政権の責任です。
恐れながら陛下も完璧なお方ではなく我々ウヨからすればいろいろ不満もあります。とはいえ、
この経緯からいえばこの問題に限っては、陛下に落ち度はありません。
大事をとって休息なされた陛下の体調がご快癒されたのに、喜ぶどころか皮肉をいうとは
まともな神経の持ち主とは思えませんな。
いかなる国家、いかなる王朝、いかなる民族、いかなる文明においても
栄枯盛衰は避けられない、自然の摂理です。
天皇が責めを負うことではない。
むろん衰退のしかたにもいろいろあって、
少しでもマシなあり方を目指すべきではありましょう
だが陛下は頭首、国民は股肱です。
生首だけがいかにがんばっても手足がぐうたらではどうにもなりますまい。
現憲法下で「主権を付与せられた」るはずの国民のせいだとは思わないのですか?
「俺は立派にやってる、なのに世の中うまくいかないのは天皇のせいだ」とおっしゃるんですね。
陛下はできることは最大限なさった。
政治への参画を制限されている陛下にできることは
この悲惨な現代に生きる国民のこころに寄り添うことでしょう、
陛下の国民との接触を記録したDVDはわたしのような冷血漢ですら実に涙なくして拝見することはできぬほどのものです。
あなたのいう通り「国力の衰退に歯止めがかからない」とはいえ、
昭和の後、もし陛下が即位を拒否して民間人になって天皇というものがなくなっていたら、
日本の混迷と凋落は今頃こんな程度で済んだとは到底おもえない。
祈ることしかできない今の天皇に責任を押し付けるのなら
まず国民が主権を放棄して大政奉還してからにすべきでしょう。
陛下が皇祖皇宗をないがしろにしているなどと妄想をふくらます前に、
まずあなたが陛下の大御心をないがしろにするのをやめたらどうでしょうね
あと靖国神社については行くも行かないも陛下のお考え次第であり、どっちが良いとか悪いとか言いにくい情況です。
「天皇が靖国参拝しないのは悪い」の一点張りなウヨはアホ。そんな単純な問題ではない。
靖国問題については以前にも別サイトを紹介してそっちを見て下さいと申しましたが
あのサイトは見ましたか? あいかわらず勉強してないようですが?
5
:
ぶらでぃ
:2019/04/20(土) 08:06:42
【現状整理】
輿論調査が、誘導的で、操作的であることが指摘されている。
そもそも世間の大多数が、皇室に関して、理解を深める根底的な機会を、
与えられていない。それぞれが、漠然とした皇室報道(イメージ)や、
歴史・伝統雑感や、個人的な信条や感想に基づいて、自分の皇室観を持つ。
日本における平均的な市民の皇室観は推定下記の通りと思われる。
皇室は
(1)陛下を軸とした日本の象徴
(2)内外に対する品格の体現者
(3)(広義の)公務(祭祀・儀礼・国事・イベント参加など)の遂行者
((4)下地的には、国民の支持や理解を得られる者)
すなわち、
・象徴であり得る、
・品格があり得る、
・公務が遂行できる
(・国民の支持や理解を得られる)
ならば、「ソレ」は「アリ」と言うこと。
そこに、何となく、悪くも良くも効果発揮し得る、
伝統踏襲思考・文化が、
男系と言う一系の現状維持につながり得るが、
確固たる信条や観方に必ずしも基づいていない。
「儀礼派」も「踏襲派」も、
公務・祭祀や品格重点であることに違わない。
それに対して、王制の本質は、およそ、
・神々との連なり
・歴史において(有効・有望な)祭政を結びつける根源的な行為(少なくとも潜在性)
・国体において、多様性を包摂する成長と循環の根源的な保障(少なくとも精神的な)
のようなもの。
そのあたりの乖離を自覚の上、
学校教育の見直しなど、対策を要検討。
6
:
まむし連
:2019/04/20(土) 17:45:14
>>5
まさにその通り。
公務だの品格だのは、ぜんぜん本質的な問題ではない。
根本がわからないからこそ、
品格だのという漠然とした話や儀礼的な側面にこだわるしかなくなっている。
「品格だのという漠然とした話や儀礼的な側面」が社会を統合する原理だという感覚は
古代中国の「礼」の観念にかなり近い。
現代の日本人(とくに自称保守)は残念ながら情けないことに「中国人」化してるw
7
:
ぶらでぃ
:2019/04/21(日) 00:48:11
先ず、儀礼主義者を「中国人」と呼んで、
対立軸を民族化するような印象を与えることは避けたいところ。
取り敢えず「儒家」、「儒教」、「儒家思想」と呼ぶ。
(厳密には、孔子のそれと、弟子たちのそれと、
後世のそれと、孔子以前の源流とも要区別。)
現代に限らない、古代からの日本における儀礼主義統制文化との
関連性や差異を考察の上、
自由・冒険と仁義・正義のバランスに基づく、原日本文化を要再構築・再認識。
8
:
ぶらでぃ
:2019/04/21(日) 03:10:14
礼重視の儒教系やその類の文化思潮の整理に向け、簡単な参考。
■日本の儒教:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99
>日本への伝来
日本へ儒教が伝わったのは仏教よりも早く、継体天皇の時代の513年、
百済より五経博士が渡日して以降のことである。さらにはこれ以前にも、
王仁(わに)が『論語』を持って渡来したという伝承が『古事記』などにあり、
概ね5世紀頃には伝来していたものと考えられている。
儒教の思想は多神教を奉祀する神道と相入れやすかったと考えられ、
儒教よりもさらに以前(4世紀頃とされる)に入ってきていた道教、
儒教と同時期に入った陰陽五行思想を併せ、それまでの呪術的な側面に科学的な論拠を与えて
後の陰陽道につながる素地が生まれていた。
>飛鳥時代 - 平安時代
飛鳥時代では仏教の普及に熱心であった蘇我氏の台頭もあり、
飛鳥京を中心に仏教遺構が数多く建造された。
だが、乙巳の変以降の皇室、特に斉明天皇は儒教に深く帰依したと考えられ、
亡夫である舒明天皇の御陵を八角墳としたり、多武峰に置いた両槻宮とその関連遺構
(酒船石遺跡、飛鳥水落遺跡、狂心の渠など)には儒教と陰陽道の影響が強く顕れている。
その後の平安時代初期においては天武天皇が発布した律令制にも儒教の影響が見られ、
儒教の思想は官吏養成に応用され、また国家で研究を行う学問として式部省の被官の大学寮において
明経道として教授された。
しかしながら、日本では科挙制度が取り入れられなかったためか儒教本来の価値が定着せず、
学問の主体は、実学的な文章道と、道経色が強い陰陽道に移った。
やがて神仏習合が進んで救済に加えて鎮守の意味も獲得した仏教が隆盛となり、
空海の『三教指帰』による道教批判などもあって、衰退していった。
9
:
ぶらでぃ
:2019/04/21(日) 04:02:56
冠位・位階、その他、身分関係の根拠律が変転を遂げ、
身分制の大々的な瓦解の後、
礼儀の名のもと、
・年齢制
・先輩・後輩制
・家柄、親などの影響
と言った偶発要素と、
・実績制
・能力制
と言った結果、
・上記二要素を併せ持ち得る派閥制(学閥制など)
・縁故、仲間関係
・恩義関係
と言った複合要素など
に基づいて、上下関係や、距離関係が決まる。
教導関係においては、
指導する、指導される上での上下関係はあれども、
実存的な上下関係は無い。
恩恵関係においても、
その恩に対する何らかの関係性は発生し得るが、
全般的な上下関係を必ずしも規定する訳ではない。
偶発的な要素に対する「敬意」も、
それは、過剰なものではなく、
異なる意味の相互敬意を下地としている。
無難な意味では敬遠や、敬意ある仮定。
実質を掘り起こせば、相互的であるべきもの。
80代が30代より偉い訳では当然無い。
年齢による一般的な苦労と知恵を考慮に入れた上での敬意を高年齢層に捧げ、
今後社会の挑戦を担う若年層に対して、高齢者は敬意を表す。
ぎりぎりの本質から始め、
礼儀を再構築。
提案としては、デフォルトが距離語と言う敬語。
未成年と成年以外の区別は基本ない。
後は、親しみに合わせて、距離語は緩和される。
敬語における代名詞と呼称の問題も、
抜本的に見直す。
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