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放送大学テレビでアラビア語講義

107さーひぶ。:2011/05/23(月) 07:32:15
>>106の続き)

〔イランとペルシア語の復活〕
西暦7世紀にムスリム勢の大征服が始まると、被征服地のキリスト教徒・ユダヤ教徒・マンダ教徒らは
人頭税を納税すれば、ムスリムに改宗しなくてもズィンミー(庇護民)として遇され、
やがて彼らの多くが待遇改善と納税免除のためにムスリムに改宗して、アラブ化も進みました。

一方、ゾロアスター教徒には「(ムスリムへの)改宗か、死か」と厳しい態度で臨んだので、
抵抗する多くのゾロアスター教徒が殺されました。けれども、サーサーン朝治下にいた膨大な
数のゾロアスター教徒を皆殺しにするのは無茶なことであり、降伏したゾロアスター教徒は
ことごとく奴隷身分に落とされて事実上の庇護民になりました。
インドに落ちのびたゾロアスター教徒たちは「パールシー」として信仰を守って現代に至りますが、
アラブ支配下のイランのゾロアスター教徒の大半は、奴隷身分と人頭税から脱するために、
やむを得ずにムスリムに改宗せざるを得ませんでした。
9世紀にアラブ帝国がほころび始めると、イラン系のサーマーン朝が興り、イラン人ムスリムたちは
アラブの支配から脱して、ペルシア語をアラビア文字により復活させます。
セルジューク朝時代の数学者オマル・ハイヤームが書いた『ルバイヤート(四行詩集)』などは
近世ペルシア語の文学とし名高いです。
アフガニスタンの「ダリー語」もペルシア語です。

〔シーア派、サファヴィー朝〕
シーア派の中でもアリーとその直系子孫12人を指導者(イマーム)とあおぐ「十二イマーム派」は、
イマームはサーサーン朝の皇女の血筋を引いているというまことしやかな伝承がつくられて、
サファヴィー朝のもとでイランに広められます。

こうしてイランは、近世ペルシア語やシーア派を確立して、スンナ派を多数派とする
アラビア語圏やオスマン帝国と対峙していくのです。


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