[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
| |
三国志人物の末裔について語ろう!
1
:
菅原
:2007/07/18(水) 21:45:15
三国志といえば日本における中国史の代表的ジャンルですが、
【解體晉書】自体も三国志の延長線上で生まれてきた過程があり、
【解體晉書】の会員&読者の多くの方も三国志が好きだと思います。
三国志が好きなら、三国志の人物の末裔についてどんな人物がどんなことをしたのかも
興味を覚えるのではないでしょうか?
そこでこのスレでは『晋書』を中心として三国志の人物の末裔について語りたいと思います。
ただ『晋書』に見える三国志人物の末裔の最大の一族はいうまでもなく司馬懿の末裔である
晋の皇族の司馬一族ですが、司馬一族はさすがに多すぎるので除外としたいと思います。
2
:
菅原
:2007/07/18(水) 22:13:52
まず曹操、劉備、孫権の三国皇帝の末裔に先んじて
後漢最後の皇帝の献帝(劉協)の末裔について紹介します。
献帝は諸葛亮と生没年が一緒なので、諸葛亮の死去した魏の青龍二年(234)3月に山陽(県)公として薨じていますが、
山陽公は孫の劉康に継承されて晋代にも続きました。
『後漢書』「献帝紀」によると、劉康は太康六年(285)に在位51年で薨じ、
その子の劉瑾は太康十年(289)に在位4年で薨じ、
その子、つまり献帝の玄孫(孫の孫)の劉秋は在位20年の永嘉年間に胡賊に殺されて、
山陽公が断絶したとのことです。
『晋書』「孝懐帝紀」には劉秋の死の経緯について『後漢書』「献帝紀」より詳しく書かれていて、
永嘉元年(307)5月、官営牧場の帥の汲桑が反乱を起こして魏郡に攻め込み、新蔡王の司馬騰を殺害し、
さらに平原国に侵略し、山陽公の劉秋が殺害されたとあります。
汲桑の反乱は苟晞などの活躍によって同年12月に鎮圧されています。
3
:
菅原
:2007/07/18(水) 22:57:52
曹操の末裔について語れば、曹操の孫で魏のラストエンペラー曹奐は
『三国志』が編纂された際にはまだ存命していたため『三国志』の本紀には没年は記されていませんが、
『三国志』「陳留王紀」注に引く『魏世譜』に太安元年(302)に享年58にて崩じ、元皇帝と諡された旨記されています。
ただ『晋書』にはその死や陳留王の継承については明記されていないのですが、
「成帝紀」に咸和元年(326)、曹操の玄孫の曹[萬力]が陳留王になり、魏の系譜を継承した旨記されています。
また曹[萬力]の死後はその世子の曹恢が、さらに曹恢の死後はその世子の曹霊誕が後を継いだ旨あります。
曹霊誕の死後の継承は明記されていません。
曹操の末裔で『晋書』に立伝されているのは曹植の庶子ながら後を継いだ曹志です。
4
:
菅原
:2007/07/22(日) 22:48:56
劉備の末裔について語れば、蜀が滅亡して劉禅が魏の安楽県公になった後の劉備の末裔についてはよくわからないですね。
>2の通り、献帝の封じられた山陽公が続いているので、安楽県公も劉禅死後にも継承されたのでしょうが、
私の知っている情報はないです。
晋代の劉備の末裔についてなにかご存じの方、ご一報ください!
5
:
菅原
:2007/07/22(日) 22:55:01
孫権の末裔について語れば、呉が滅亡して孫晧が帰命侯になった後の孫権の末裔について
「元帝紀」に太興元年(318)11月、孫晧の子の孫[王番]は謀反を起こして誅殺されたとあります。
親子揃って良い事績ではないですね。
6
:
えちぜん
:2007/07/22(日) 23:51:49
劉禅の後継としては、Wikipediaの劉禅の項に今日時点では次のようにあります。
「洛陽に移り先祖代々の土地である幽州の安楽県の安楽公に封じられ、271年に65歳で逝去する。第6子の劉恂が安楽公を継ぐが、永嘉の八王の乱に巻き込まれ、劉恂も含めてその子孫は皆殺しにされた。ただ、従孫の劉玄(弟・劉永の孫)だけが生き延びて、成蜀を頼ったという。」
さらっとしか見ていないのですが、
劉恂が跡を継いだ旨は、『華陽国志』の任乃強の校注にあります。
劉玄の件は、蜀書四 二主妃子後主太子璿伝の裴松之注にあるようです。
それから劉理も劉備の子ですね。劉理の子劉輯が咸煕元年に奉車都尉に任命され、郷侯に封じられたと蜀書四 二主妃子劉理伝にあります。
7
:
菅原
:2007/07/23(月) 23:26:08
>えちぜんさん
フォローありがとうございます。
完全に私のうっかりです。
劉恂、劉玄ともに『三国志』注に引く書物に記されていますね。
劉備の末裔はほとんど永嘉の大乱で死亡したようですね。
安楽公は劉恂の死後、成蜀の李雄が劉玄に後を継がせたとのことです。
孫盛は劉玄と成都であったとのこと。
ただ劉恂、劉玄ともに『晋書』には記されていません。
8
:
菅原
:2008/01/24(木) 22:32:46
晋代の末裔が気になる三国時代の人物がいましたら気軽にお尋ねください。
できるかぎりの調査をしてこのスレで報告します。
9
:
kuni
:2008/01/25(金) 22:50:41
いつも拝見しております。夏侯淵や惇の子孫はどうなったのでしょう?
三国志から中国史に興味をもち、魏書を見ていたら夏侯氏がでてきた
ものですから、聞いてみた次第です。
どうぞよろしくお願いします。
10
:
菅原
:2008/01/26(土) 21:43:41
kuniさん、はじめまして。日頃のご愛顧ありがとうございます。
ご質問の件ですが、まず夏侯惇の末裔からお答えします。
夏侯惇の末裔の末裔については『三国志』「魏書」「夏侯惇伝」及び注に記されていますが、
『晋書』に記載されている末裔は見当たりません。
逆に夏侯淵の末裔は『晋書』には結構な人数が出てきます。
列伝されているのは夏侯淵の4子・夏侯威の孫の夏侯湛だけですが、
その弟・夏侯淳(夏侯惇と紛らわしいです)や夏侯淳の子・夏侯承が附伝されています。
また夏侯威の長子・夏侯駿は呉の周魴の子・周処を率いて異民族を征討してます。
それから夏侯威の2子・夏侯荘の娘・夏侯光姫は東晋の元帝(司馬睿)の母です。
つまり元帝は夏侯淵の玄孫ということです。
元帝の血を引く東晋の皇帝はみな夏侯淵の末裔ということですね。
11
:
孫何
:2008/06/29(日) 01:03:26
はじめまして。
恐れ入りますが、呉の張昭の子孫について教えていただけないでしょうか。
張闓という人物が伝を立てられていると言うところまでは分かったのですが、
彼の父親や祖父は何という名だったのか、など張昭との関係が主に知りたいです。
また、そのほかにも張昭の子孫が居れば教えていただきたいです。
12
:
名無晋書さん
:2008/07/05(土) 19:00:16
孫何さん、はじめまして。
呉の張昭の子孫ですが、『晋書』「張闓伝」にあるように、
張闓が張昭の曾孫に当たります。また、張闓の子に張混という人物がいたようです。
それ以後の張昭の子孫については分かりません。
張闓についてネットを検索すると、「曹操の父親を殺した張闓」ばかりひっかかるので、
「張昭の曾孫の張闓」について、簡単に書き込みます。
まず、出身地が祖父の張昭と異なる点についてです。これは、一族が彭城から丹楊に移り住んだからだろう、と『晋書コウ注』にあります。多分、曽祖父である張昭の代に移り住んでいたのでしょう。
(同郷の薛兼も祖父の薛綜と出身地が異なりますが、同じ事情のようです)
張闓の少年期から青年期に関する記述は乏しいようです。その分、「志操有り」という彼の資質を表す言葉は注目されます。
この間に父親と死別しており、ほぼ同時期に呉が滅亡(280)しており、豪族の出自とはいえ、彼の置かれた環境は厳しかったようです。
こうした背景もあり、張闓の出世は必ずしも早くありませんでしたが、その後目覚ましい活躍をみせます。
307年、薛兼の推薦で、当時、安東将軍となった瑯邪王司馬睿に登用され、安東参軍に任じられます。その後、司馬睿が皇帝に即位すると(東晋の元帝、在位317〜322)、尚書にまで昇進します。
また、蘇峻の乱(327〜329)の際、兵が宮中に攻め寄せたときは、王導などの重臣とともに幼い成帝を身を以て守り、軍隊を指揮して反乱平定に尽力しています。
13
:
菅原
:2008/07/05(土) 22:41:16
>孫何さん
張闓は12さんがご回答された通り張昭の曾孫ですが、張闓の祖父や父は『晋書』等からはわかりません。
張闓の祖父が張承か張休かまたは別の張昭の子は不明です。
またそのほかの張昭の子孫はわかりません。
>12さん
詳しい説明ありがとうございました。
14
:
名無晋書さん
:2009/05/01(金) 20:23:04
献帝退位後、献帝の皇子や公主はどうなったのでしょうか?
公主2人は、曹ヒの妻となりましたが、待遇やその後が気になります。
15
:
菅原
:2009/06/21(日) 14:47:03
14さん、はじめまして。
レスが遅くなり失礼しました。
献帝退位後の献帝の皇子や公主についてですが、公主についてはわかりません。
皇子については『後漢書』「献帝紀」建安二十五年の条に「王に封じられていた4皇子はみな降格されて列侯になった」とあります。
この4皇子は『後漢書』「献帝紀」建安十七年の条に見える済陰王熙(曹操に殺された琅邪王熙とは別人)・山陽王懿・済北王[辷豸頁]・東海王敦(「東海恭王彊伝」とは合わない)と考えられます。
16
:
<削除>
:<削除>
<削除>
17
:
菅原
:2009/09/27(日) 20:48:08
『晋書』に伝がある三国志人物の末裔についてあまり有名でないような人物を列記します。
荀顗(荀彧の六子)
荀勖(荀爽の曾孫)
盧欽(盧植の孫)
華表(華歆の子)
温羨(温恢の孫)
和嶠(和洽の孫)
武陔(武周の子)
郭奕(郭淮の甥)
続きはまた後日。
18
:
菅原
:2009/10/04(日) 22:22:51
続きです。
閻纉(閻圃の孫)
胡母輔之(胡母班の玄孫)
曹志(曹植の子)
秦秀(秦朗の子)
皇甫謐(皇甫嵩の曾孫)
陸機・陸雲(陸遜の孫)
夏侯湛(夏侯威の孫)
孫楚(孫資の孫)
周処(周魴の子)
牽秀(牽招の孫)
賈疋(賈詡の曾孫)
郗鑒(郗慮の玄孫)
続きはまた後日。
19
:
菅原
:2009/12/06(日) 14:25:27
続きです。
顧栄(顧雍の孫)
賀循(賀斉の曾孫)
薛兼(薛綜の孫)
応詹(応璩の孫)
甘卓(甘寧の曾孫)
孫恵(孫賁の曾孫)
荀粔(荀紣の玄孫)
虞潭(虞翻の孫)
張闓(張昭の曾孫)
続きはまた後日。
20
:
菅原
:2010/01/24(日) 15:57:10
続きです。
陸曄(陸瑁の孫)
諸葛恢(諸葛誕の孫)
丁潭(丁固の孫)
袁瓌(袁渙の曾孫)
王雅(王粛の曾孫)
楊佺期(楊脩の孫の曾孫)
末裔の列記はこれにて終了します。
21
:
<削除>
:<削除>
<削除>
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板