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三国志人物の末裔について語ろう!

12名無晋書さん:2008/07/05(土) 19:00:16
孫何さん、はじめまして。
呉の張昭の子孫ですが、『晋書』「張闓伝」にあるように、
張闓が張昭の曾孫に当たります。また、張闓の子に張混という人物がいたようです。
それ以後の張昭の子孫については分かりません。

張闓についてネットを検索すると、「曹操の父親を殺した張闓」ばかりひっかかるので、
「張昭の曾孫の張闓」について、簡単に書き込みます。

まず、出身地が祖父の張昭と異なる点についてです。これは、一族が彭城から丹楊に移り住んだからだろう、と『晋書コウ注』にあります。多分、曽祖父である張昭の代に移り住んでいたのでしょう。
(同郷の薛兼も祖父の薛綜と出身地が異なりますが、同じ事情のようです)

張闓の少年期から青年期に関する記述は乏しいようです。その分、「志操有り」という彼の資質を表す言葉は注目されます。
この間に父親と死別しており、ほぼ同時期に呉が滅亡(280)しており、豪族の出自とはいえ、彼の置かれた環境は厳しかったようです。

こうした背景もあり、張闓の出世は必ずしも早くありませんでしたが、その後目覚ましい活躍をみせます。
307年、薛兼の推薦で、当時、安東将軍となった瑯邪王司馬睿に登用され、安東参軍に任じられます。その後、司馬睿が皇帝に即位すると(東晋の元帝、在位317〜322)、尚書にまで昇進します。
また、蘇峻の乱(327〜329)の際、兵が宮中に攻め寄せたときは、王導などの重臣とともに幼い成帝を身を以て守り、軍隊を指揮して反乱平定に尽力しています。


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