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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別するヲチスレ

162GB:2025/04/10(木) 23:07:16 ID:CwmY3r1w
>波動説と粒子説の材料を出し尽くしたら、私は、18世紀に光波動説を優位に置く、客観的なロジックが成立しえないと語ることでしょう。

さっさと材料を出し尽くして、その理由を論証しなさいよ。
波動説が逸脱か否かというところで最初から対立してるんだから、その核心に焦点を当てて進めないと、時間と労力の無駄でしょ。

>3次元に伝わる波動は弾性波しか考えられないという知識体系があったのです。エーテルと空気が「異なる物質」だろうが、弾性波としてのメカニズムは同じです。

光の波長の短さから粒子説は回折を説明できなかったけれど、ヤングがひっくり返して波動説の時代に移る。
以前、「ヤング以降は別」と言っていたけど、それは光の波動を客観的に示したからで、18世紀ではありえないということでしょうか。
そうなら、それは単に科学の手法・手続きがたどるステップというだけです。

光の性質を求める探求はひとつながりで、
> 1.積極的に否定する根拠(エーテルの矛盾)がある
> 2.矛盾のない代案(光粒子説)がある
という対立が18世紀にあっても、

ファラデーとマクスウェルを皮切りに登場した電磁波という概念によって統合された事実を踏まえれば、
波動説も粒子説も、十分な証拠に基づく概念形成が難しかった時代の、「科学理論」であったはずです。

なぜ18世紀の光波動説や16世紀の地動説が「逸脱」でなければならないのか。
インテリジェントデザイナー論を科学理論のカテゴリーに置いておくための地ならし、としか理解できない。
何のために、執拗に力学だけにこだわり、自然史という総合的な科学判断をないがしろにできるのか。
なんらかの、科学の方法とは異なる理由があるとしか思えないですね。


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