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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する(3)

1Ken:2024/01/21(日) 20:07:01 ID:j5b29EhE
抽象論しか言えない人とのスレッドは、時間と労力の浪費でした。あらためてスレッドを立て、ID論を語ります。科学議論として当然ですが、具体論しか語りません。語りたいことは複数あるので、連載になります。

2Ken:2024/01/21(日) 20:08:24 ID:j5b29EhE
[第1回]

私が、鳥の進化にID(意図的な品種改良)の可能性を見るのは、この進化を自然選択で説明するのは力学的な無理がある、と考えるからです。それを検証すべく、駆け上がりモデルを例に、仮説の合理性を何度も尋ねました。しかし、返ってきた回答は「化石や現生物の証拠がある」のような一般論ばかりで、そこを追及すると「IDは人の想念」という、論点外しの口上が繰り返されました。

この結果を受け、自然選択で鳥の進化を説明するのは、やはり無理があると考えますので、あらためて、ここで説明します。まず、駆け上がり(Wing-assisted incline running)モデルについて。私の情報源は、ウィキペディアの記事です。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Wing-assisted_incline_running

この記事にあるように、駆け上がりモデルとは、鳥の先祖の恐竜が、捕食者に追われ、木の上に逃げる時、羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる、というものです。そのような機能に優れた個体が、多くの子孫を残し、やがて飛翔できるほどの羽ばたき能力をもつ鳥に進化した、というものです。

でも、翼を羽ばたき上げて空気を上に押すのでは、鳥の飛翔と反対です。前者の進化から、後者を生じるものでしょうか?

初歩的な力学から語りましょう。仮に、翼が木の板のような剛体だと想像してください。これを、どれだけ羽ばたいても飛翔には至りません。翼を下に動かすと本体は上向きの力(揚力)を得ますが、次に上に動かせば、最初の結果を帳消しにする下向きの力を得るからです。結局、重力の影響だけが残り、物体は地に落ちます。

現生種の鳥は、翼を下に動かす時と上に動かす時で、空気の捉え方に差をつけ、この問題を解決しています。翼自体が下向きにカーブしてますし、さらに角度を調節し、翼を下に動かす時は空気を捉え、上に動かす時は空気を流すのです。これは、飛行に不可欠な要素で、この上下方向の非対称性がなければ、翼を動かす力がどれだけ強くても、飛行はできません。翼が空気に与える下向きの運動量をPd、同じく上向きの運動量をPuとすると、Pd > Puが飛行の必要条件です。飛行する鳥は、それを可能にする翼の構造をもっています。

ところが、駆け上がりモデルはどうでしょうか。空気を上に押すなら、角度調節は、今の鳥とは逆方向に行わねばなりません。Pd < Puが要求されるということです。そのような構造を獲得した個体が、効率よく木を登り、捕食者から逃れることで、繁殖します。進化が進むほど、Pdはより小さく、Puはより大きくなることでしょう。つまり飛行する鳥の構造から遠ざかることを意味します。

これで、どうして恐竜が鳥に進化するのでしょうか?

(続く)

3Ken:2024/01/22(月) 21:49:49 ID:j5b29EhE
[第2回]

駆け上がりモデルには、もう1つの問題があります。鳥の先祖とされる恐竜は、実際にそんな行為をしたのでしょうか?

現在の鳥の幼鳥にやるものがいるから、過去の生物がやってもおかしくないといいますが、完全な鳥に進化した生物の子供と、これから進化する生物では、条件が異なります。

イワシャコの雛は、飛行する構造の翼をもって生まれてくるし、成長すれば、空を飛ぶのです。ゆえに、羽ばたきながら駆け上がることで、翼を動かす筋肉を鍛える意味があるかもしれません。

でも、鳥に進化する前の恐竜は違います。成長しても、その個体は飛行できません。ゆえに、翼を羽ばたく意味とは、木の幹を駆け上がる効率を向上させること、それだけなのです。

それなら、翼を羽ばたくよりも、前肢で木を掴むなり、幹に爪を立てるなりして、体を引き上げる方が、よほど効果的ではないでしょうか。現在の鳥とは異なり、2足恐竜なら、そのための前肢があるでしょう。四肢全部を使って木に登るのなら、四肢全部で木の幹を下に押せばよいのです。なんのために、効率が悪く、捕食者に捕まるリスクが大きいはばたきをするのでしょうか。

要するに、鳥の先祖の恐竜が、よしんば羽ばたきながら駆け上がる体構造をもってたとしても、そんな行為を行うとは考えられない、ということです。われわれ人間で考えてみましょう。人間の体構造は、四つ足で這うことも可能です。人によっては、逆立ちして歩くこともできます。でも、誰も実生活で、そんなことをやりません。移動手段として、効率が悪いからです。

(続く)

4Ken:2024/01/24(水) 22:25:50 ID:j5b29EhE
[第3回]

しかし、駆け上がりモデルのような、走行モデルを基礎にした仮説の最大の問題は、飛行へ向かう進化が、もし起こるとして、起こってから生じるのです。旧スレッドでも述べましたが、走行生物が飛行生物に変わる進化では、

1.揚力を生む翼を大きく堅牢にする
2.体重、とりわけ飛行に不要な脚を軽量化する
3.体の重心を上げ、翼の高さに合わせる

のような構造変化が必要です。ところが、すくなくとも滑空ができるようになるには、つまり大気で体重を支えられるようになるには、このような変化が相当程度進まねばなりません。飛べるようになるまでは、その恐竜は依然として走行生物であり、地上を走って捕食し、捕食者から逃れるのです。

しかし、上記の体変化は、始まった瞬間から、走行機能を阻害します。大きな翼は空気抵抗を増やすだけだし、小さな脚はむろん走力を弱めます。また脚で走る生物が重心を高くすれば、安定を失い、失速し、最悪は転倒するでしょう。これでは、飛行能力を得て繁殖する前に、走行能力を失って淘汰されるだけです。

そもそも、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルのような、走行生物を前提にした仮説が考え出された理由は、走行モデルに力学的な無理があるからです。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Cursorial_model

この記事の後半に書かれるように、恐竜が走る途中で翼を広げてジャンプすれば、直ちに空気抵抗で減速するし、バランスも保持できません。この問題の解決策として、木の幹を駆け上がったり、高所から獲物に飛びかかるモデルが考案されたのでしょうが、駆け上がりや飛びかかりをやるには有利な体変化としても、基本機能である走行を犠牲にするなら、生存のためには本末転倒です。旧スレッドでも述べましたが、高所から降りる時に有利だからといって、ずっとハンググライダーを着けたままで、生活する人がいますか、ということです。

(続く)

5Ken:2024/01/26(金) 21:05:44 ID:j5b29EhE
[第4回]

これまで述べてきたように、鳥の進化のモデルとして提唱されてる仮説には、力学的な無理があるのです。それは、自然選択が働く環境では、淘汰される体変化であることを意味します。一方、そのような変化があっても繁殖しうる条件として、観測例があるのは、飼育者がいる場合です。人間に飼育されるブタやイヌが、イノシシやオオカミ以上に繁殖するように。

むろん、鳥が発生した時代に、そのような飼育者がいた証拠は、これまでに見つかってません。言い換えれば、これまでに構築されてきた地球生物史の体系とは、整合しないということでしょう。

しかし、そうなると、地球生物史の体系と整合するか、力学の体系と整合するか、どちらを優先するかが問われます。そしてその場合、優先されるべきは力学の知識体系です。なぜなら、力学は物理法則に依るもので、生物史よりも根源的な法則だからです。

実は、力学的な無理を伴わない、鳥の進化仮説が1つあります。樹上モデルです。鳥の先祖の生物が、ムササビのように樹上で暮らし、木から木へ飛び移る生活の中で、滑空から飛翔に至る能力を進化させることです。なお、この場合の樹上モデルとは、地上の生物が木に登ることもある、という意味ではありません。ムササビのような完全樹上生活者で、もはや地上を走ることはなく、飛行へ向かう構造変化で、走行機能を劣化させても問題ない、というケースのことです。

しかし、化石から分かる骨格では、鳥の先祖は地上を走る恐竜と考えられます。ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。一方で、爪の曲率が木にとまる鳥に近いとも書かれてますが、それだけでは、せいぜい「時に木に登ったかもしれない」といえるだけで、樹上モデルの必要条件である、完全樹上生活の根拠にはなりません。基本構造が、地を走る恐竜なのだから。
en.wikipedia.org/wiki/Origin_of_avian_flight#Arboreal_model

提唱される諸仮説の中で、唯一、力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。化石の証拠は、鳥の先祖は地上を走る恐竜だったという走行モデルを支持するが、力学的な無理がある。そこで、駆け上がりモデルや飛びかかりモデルが考案されたが、依然として力学的な無理がある、というのが、私が説明してきたことです。

なら、やはり、自然選択に拘るより、化石の証拠と力学を両立させる仮説として、品種改良者を想定し、力学問題があっても繁殖できたと考えるのが私の論点です。鳥への進化は、化石が示す通り走行モデルであったが、その生物を淘汰させなかった飼育者がいた、ということです。すくなくとも、それは、疑似科学とか、科学の土俵に登らない、などと言って、切って捨てられるようなものではありません。

鳥の話はここまでにして、その、科学と疑似科学の問題を語りましょう。

(続く)

6GB:2024/01/27(土) 22:21:36 ID:CwmY3r1w
>鳥への進化は、化石が示す通り走行モデルであったが、その生物を淘汰させなかった飼育者がいた

論考展開中に申し訳ありませんが、ひと言。

「飼育者」の存在を論理的に導くことと、客観的に示すことの違いをご理解いただければと思います。
前者はスコラ哲学のロジックと同様です。後者は科学の方法論によれば、なにもありません。

今後の科学と疑似科学についての展開について、参考になればと思います。

7Ken:2024/01/27(土) 23:33:31 ID:j5b29EhE
>>6

あなたは相手にしないと言いました。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1700822683/315

あなただって、私との議論では

>馬鹿馬鹿しい話に辟易

してるのですよね。
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1700822683/313

おっしゃりたいことがあるなら、ご自身が立てられた「インテリジェントデザイナー論」のスレッドで発言されたらよろしいでしょう。

邪魔をしないでください。以後、何を言われても無視します。

8とりあえず:2024/01/28(日) 20:51:42 ID:5lnyQwfk
もう一方のスレでも書いたことですが、
>羽毛を持つ腕を上方向に動かし(upstrokes)、その反作用として恐竜本体は下向きの力(downforce)を受け、結果として、足が木をしっかりと捉えるので(increased grip)、効率よく木登りができる
と言うのは間違いです。
ダイヤルさんの論文の図でも説明されていますが、羽ばたきによって生じる前方向への推進力で斜面に対して押さえつける力とします。
羽ばたきで下方向へ空気を押さえると言うのも無い訳ではありませんが基本的に羽ばたきは推進力を生むものです。
団扇で扇ぐときどっち方向に主に風が生じるか考えれば分ると思います。もしくは飛行機のジェットエンジンが翼に垂直に付いていないことでも分ると思う。
つまり飛行も駆け上がりも翼の使い方、力の方向に特に差は無いのです。
羽ばたきながらの駆け上がりの延長上に羽ばたき飛行があることに力学的な矛盾はありませんよ。
イワシャコが雛鳥のときと成鳥で全く別の羽ばたきをするってのもおかしな話だと思いますし。

とは言え、何度も言っているように私自身は「駆け上がりモデル」は特に支持していません。
力学的問題はないですがその他の部分ではKenさんにほぼ同意してるので、「駆け上がりモデル」は面白い発想とは思いますが納得は出来ていませんね。



私は樹上滑空説支持ですね。


んで
>力学的合理性がある樹上モデルに支持が集まらないのは、このように化石の証拠と合わないからです。
と言うのはどうでしょうね?
現状一番支持があるのは樹上モデルだと思います。
特に化石記録としてミクロラプトルを代表する4枚羽根を持つ恐竜が多数発見されたことでむしろ主流となってきてると思います。

>ウィキペディアの記事によると、始祖鳥の足の親指は、木にとまる鳥のように後ろを向かず、地を走るダチョウのように前を向いてます。

色々と説はあるようですが、私自身は始祖鳥は樹上生傾向の強い生物と思っています。

把握する対抗趾は樹上生活を支持する強力な証拠となり得ますが、特に必要なものでもありません。
そもそも把握と言うのは指掌部より細いものに対して始めて有効となるもので、そう言う枝先部分まで活動範囲があるなら必要かも知れませんが
そこまで行かない樹上生活者には別に要りません。
事実ムササビやヒヨケザルのような樹上滑空生物も対抗指は持っていません。
一足飛びで梢まで行ける鳥なら問題ありませんが木登りを考えると、むしろ進行方向に対して引っかかって邪魔になる後ろを向いた趾はないのが正しい状態だと思いますよ。


と言うことで、化石記録も力学的問題も特にあるとは思いませんので、現状、特に飼育者とか引っ張り出す必要性は感じません。
積極的に否定もしませんが今のところ肯定も無理です。

9GB:2024/01/28(日) 22:42:30 ID:CwmY3r1w
>以後、何を言われても無視します。

はい、それは承知しています。しかし
ここは1対1の場ではないので、返答は期待せず、私も言いたいことを言わせてもらいます。

まずはあなたの科学と疑似科学についての論考を楽しみにしていますが、

インテリジェントデザイナー論と科学との関係についてあらかじめ言っておきたいことがあるので、以下、書き込みを続けます。
あなたが読む気にもならずすっとばすことは想定内ですが、インテリジェントデザイナー論を考える上でとても重要な論点を示していますから。

10GB:2024/01/28(日) 22:46:27 ID:CwmY3r1w
Kumicitさんのサイト『忘却からの帰還』に、インテリジェントデザイナー論と科学との違いをわかりやすく説明した記事がありますので、紹介しておきます。
インテリジェントデザイナー論の本場でなされた議論のなにがしかでも知ることは、あなたのID論を磨き上げる上でも有用だろうと考えますので、長い引用ですみませんがぜひ目を通してもらえればと思います。
そもそも「科学は超自然を含む仮説を排除するべきではない」「科学こそ宗教」というお決まりのクレームについての対応ですから導入部分はわかりにくいかもしれませんが、
コアは科学の方法論の話ですから、「読めば」理解は容易だと思います。


「TalkOriginsの対インテリジェントデザイン専用サイトTalkReasonに2006年4月30日付けで掲載された
Lenny Flankによる「Does science unfairly rule out supernatural hypotheses?」が、科学による超自然の取り扱いおよびインテリジェントデザインが科学ではないことをわかりやすく説明している。概要は:

・超自然的説明が排除されるのではなく、科学的方法論に従えないので科学になれないだけ
・科学的方法とは、「観察・観察を説明する仮説・仮説による予測・実験や観察による検証・仮説の修正」という手順をふむこと。
・インテリジェントデザインは検証可能な仮説を作れない
・インテリジェントデザイン支持者たちは、検証なしに理論を認めることを求めている。

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Does science unfairly rule out supernatural hypotheses?
By Lenny Flank
科学は不公正に超自然の仮説を排除するか

One of the most oft-heard complaints from ID/creationists is that science has embraced a "religion of naturalism" and that it unfairly rules out, a priori, any potential supernatural or non-materialistic hypotheses, solely to prop up science's atheistic philosophy. Phillip Johnson, for instance, says, "Science also has become identified with a philosophy known as materialism or scientific naturalism. This philosophy insists that nature is all there is, or at least the only thing about which we can have any knowledge. It follows that nature had to do its own creating, and that the means of creation must not have included any role for God. . . . The reason the theory of evolution is so controversial is that it is the main scientific prop for scientific naturalism." (Johnson, "The Church of Darwin", Wall Street Journal, August 16, 1999). Dembski echoes, "From our vantage, materialism is not a neutral, value-free, minimalist position from which to pursue inquiry. Rather, it is itself an ideology with an agenda." (Dembski, "Dealing with the backlash against intelligent design", 2004)」


「インテリジェントデザイン支持者や創造論者から最もよく聞かされる苦情は、科学が"自然主義の宗教"を内包しており、先験的に超自然や非物質的仮説を排除し、科学の無神論の哲学だけを支持するというものだ。たとえば、Phillip Johnsonは、「科学はまた唯物論もしくは科学的自然主義として知られる哲学と同定されるようになった。この哲学は、自然はすべてであって、少なくとも自然は我々が知識を持つことができる唯一のものだと要求する。これからは、自然は自らを創造し、創造の意味は神の如何なる役割を含まれてはならないということにつながる。進化論がここまで論争になるのは、進化論が科学的自然主義の主たる科学的支柱だからである。」 (Johnson, "The Church of Darwin", Wall Street Journal, August 16, 1999)  Dembskiも「我々の観点から見れば、唯物論は、問いを追求するにあたって、中立でもなく、価値観を持たないものでもなく、ミニマリストのポジションにもない。むしろ、それ自体がアジェンダを伴ったイデオロギーである。」とたたみかける(Dembski, "Dealing with the backlash against intelligent design", 2004)。

しかし、容易にわかることだが、実際、科学は超自然的説明を先験的に排除しない。さらに、インテリジェントデザイン支持者たちが望むすべての超自然的仮説の導入を認めたとしても、それらは科学的方法に従えないだろう。」


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