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科学と疑似科学とを判別する(2)

501ゲジゲジ:2023/11/08(水) 01:04:21 ID:2ZnZYff6
まず私事で申し訳ないのですが、パソコンの不調でインターネットにつながらなくなっています。
この投稿はネットカフェからしています。
この後も投稿の間隔が空いてしまうかもしれませんがご容赦ください。



 >それを判断する材料は、世の中の行動の実観測しかない、
 >という点を理解されたら、一気に議論が前進します。


判断する材料が実観測しかないのでしたら、判断は不可能です。
実観測されている行動がないからです。
ですから実観測に基づく科学的検証はすべきではないし、できない、と申し上げています。
それで、実観測ではなく純粋論理からの判断を試みているのが、これまでの私の投稿です。


なぜ実観測されている行動がないのか?
私の主張は実のところ極めてシンプルです。

世の中は「対立仮設の否定だけではダメだ」という命題・文章を、「対立仮設の否定だけではダメだ」という意味に解釈している、というものです。
言葉通りに捉えているのだから、当たり前のことだから、わざわざそれを主張することは、普通はしません。
従って「対立仮設の否定だけではダメだ」は「対立仮設の否定だけではダメだ」であるという主張の実観測はありません。


繰り返しますが「対立仮設の否定だけではダメだ」という命題は判断基準を明確に提示しています。
則ち、対立仮設の否定だけがあって、他に何もない状態はダメであると。
逆に言えば、良い状態というのは、対立仮設の否定の他に、何かがある状態であると。


世間がこの通りに解釈し、それに基づいて行動しているという実観測はありません。
しかし世間がこれとは別の解釈をし、その別の解釈に基づいて行動しているという実観測もありません。
であれば、論理に従って言葉通りに捉えて行動していると考えるべきだ、というのが私の主張です。


さて、そこで問題になってくるのが、
世間がこれとは別の解釈をし、その別の解釈に基づいて行動しているという実観測がある、というKen様の主張です。
則ち、ドーキンスの寄稿文が、「対立説の否定だけではダメ」という批判をかわすために物証を要求している実例であると。
ドーキンスは「対立説の否定だけではダメ」とは「物証がなければダメ」という意味だと主張していると。


ここで、本来なら「本当にドーキンスは対立説の否定だけではダメという批判をかわすために物証を要求しているのか」を論点にすればよかったのです。
つまりKen様の主張を検証すればよかったのです。

しかし私の「対立仮設の否定だけではダメなのだから、対立仮設の他に何かがあればそれは何でもよい」を検証しようとして、あるはずのない実観測を求めるから収拾がつかないのです。

いかがですか?
ドーキンスが対立説の否定だけではダメという批判をかわすために物証を要求しているのかどうか、これを検証してみませんか?


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