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科学と疑似科学とを判別する(2)

1diamonds8888x:2021/03/06(土) 19:44:21 ID:Qix9q/lA
「科学と疑似科学とを判別する」のバート2です。1000件越えたら、こちらにどうぞ。

2Ken:2021/04/03(土) 22:25:14 ID:l3c2r2bk
>[>>943]は全文その通りです。

そうであるなら、私の方から指摘したいことがあります。その中で、下の要請にも答えられると思います。

>[>>942]と[>>944]の「【重点項目】」以降の文章についても、合わせてのレスをいただけますか?

私からの問題提議は、この部分に関連します。

>「Pではない」という表現を「命題Pは正しくない」という意味で使って来ました

diamonds8888xさんの文意を私が正しく理解しているという前提で問いますが、このような意味で「P∧¬P」はありえないというのは、「基準」なのでしょうか? その切り口での問題提議なので、diamonds8888xさんの意図を理解してないように思える文章がしばらく続くかもしれませんが、忍耐をお願いします。

まず、私たちが議論している「基準」とは、具体的な科学理論を対象とし、ある理論は、例えば反証可能であるというような、正しいステップを踏んで構築されたが、別の理論はステップを踏み外した疑似科学と判定するもののはずです。そして、正しい科学理論であれ、疑似科学であれ、科学理論であるなら、なにかの具体的な事象を予測するはずです。たとえば、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という理論を考えてみましょう。この理論がどういう具体事象を予測するかを考察するには、まず、なにをもって「粒子」とみなし、「波動」とみなすかの定義が必要になります。そこで、私は>>687で、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

と定義しました。あるいは、この定義に異論をもたれるかもしれませんが、今は、定義することの例に挙げているだけなので、お付き合いください。つまり、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という命題は、ただちに、

光は離散的な「かたまり」である ∧ 光は周期的な変化である

という命題になり、そこから、

光は離散的な「かたまり」の事象を示す ∧ 光は周期的な変化の事象を示す

になります。つぎのステップは、それぞれの事象の例を挙げることですが、その事象の例が、古典力学と量子力学で異なります。今は、古典力学で話を進めましょう。

古典力学では、光が示す粒子性の例として、

A:回折しない / 真空中を伝わる / 質量移動を起こす

ことが挙げられ、波動性の例としては、

B:屈折する / 交差する / 質量移動を起こさない

が挙げられました。この場合とくに「質量移動を起こす」と「質量移動を起こさない」に注目すると、

(光は粒子である ∧ 光は波動である)

という理論から、

(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)

という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。

具体事象を予測できるのだから「光は粒子である∧光は波動である」は、疑似科学かどうかはともかくとして、すくなくとも科学理論であり、科学理論であるから基準の対象になります。

重要なことは、粒子と波動の定義が、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

であることで、そこに古典力学の知識体系を適用することで、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

が導かれるわけです。

ところが、もし、粒子と波動のそもそもの定義が、

粒子とは質量移動を起こすもの
波動とは質量移動を起こさないもの

であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

を導くのは、科学理論でしょうか? 私には、到底そうは思えません。そして、どう考えても、今回diamonds8888xさんが言われていることは、これの同類ではないかと思うのです。

「太陽が昇らない」の定義は、「太陽が昇る」の定義の補集合といわれるわけですね。でも、そこから「太陽が昇る∧太陽が昇らない」に該当するどんな具体事象を想定できますか? というよりも、具体事象は想定不可能だから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は絶対に実現不可能、というのがdiamonds8888xさんの主張ではないのでしょうか?

ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

3Ken:2021/04/03(土) 22:32:34 ID:l3c2r2bk
diamonds8888xさんの最後の投稿番号が947だったので、まだ同じスレッドでいけると思いましたが、強制的に新しいスレッドに入れられました。

4diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:24:13 ID:Qix9q/lA
>>3
 了解です。
 なお新しいスレッドでは、[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。仕方ないですね。

5diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:32:29 ID:Qix9q/lA
>>2
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 一番簡単に言えば。我々が検討している基準は「科学理論ではない」ものを除くためのフィルターです。基準に反するものは「科学理論ではない」のは当然です。

> 粒子とは離散的な「かたまり」
> 波動とは周期的な変化
>    〜中略〜
> (光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)
> という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。

 ここまでは全くその通り。「とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。」というのが具体的に何をすることと想定しているのかわかりませんが、普通はこのあと次のように推論が続きます。

  ・「P∧¬P」と矛盾が生じたのだから、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。
  ・どこが正しくないのか検討する。

 これは基準05も何も、普通の科学理論研究そのものです。

>であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

> 粒子は質量移動を起こす
> 波動は質量移動を起こさない

> を導くのは、科学理論でしょうか?

 論理的に間違いではありませんが、省略可能な推論ですよね。でもやったのはもっと複雑な推論でしたよね? やったのは次のような推論でしょう?

A:回折しない / 真空中を伝わる 
   =>故に光は粒子である =>粒子の定義により /(光は)質量移動を起こす

B:屈折する / 交差する
   =>故に光は波である =>波の定義により / 質量移動を起こさない

   =>故に 「(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)」

 この後は上記と同様にして、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。

 以上のように、「これの同類ではないかと思う」というところの「これ」というのが何かが私にはわかりませんが、それ以降の文は独立して理解できますよ。


>ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

 まともな科学理論と科学理論と自称していて実は科学理論ではないものとが判定対象です。その2種類を識別するのが基準の目的です。「そもそも科学理論ではない」というような判断をくだすための基準です。

 具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。Kenさんが独自基準として入れるのは勝手ですが、今はKenさんの基準をテーマにしてはいないでしょう? 入れてもよさそうにも思えますけど、それは基準01-06とは別の基準ですから、今の我々の議論で考慮すべきことではありません。

6diamonds8888x:2021/04/04(日) 09:03:22 ID:Qix9q/lA
>>2,>>5
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 念を押せば、Kenさんが「科学理論ではない」とすぐにわかるから対象にするまでもない、と考えるような理論をも含めて判定するための基準です。トンデモさんはどんなとんでもない理論を「科学的だ」と自称してくるかは予測できませんからね。判定すべき対象は判定者が選べるわけではないので、条件は付けられないんですよ。

7Ken:2021/04/07(水) 23:04:56 ID:l3c2r2bk
はじめに、

>[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。

旧スレッドは、どうやら、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/

というディレクトリにあるようなので、たとえば、これまで「>>800」のようにして参照してきた投稿は、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/800

と、そのディレクトリの中の番号を指定すると呼び出せるようです。私が作ったプログラムではないので、保証はできませんが。

8Ken:2021/04/07(水) 23:05:45 ID:l3c2r2bk
さて、本題です。

>具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。

考えてみれば、そもそも、なぜ、特定の理論を「疑似科学」と判定して、人々の注意を喚起したり、教育の場から排除する必要があるのでしょうか? そのような「疑似科学」が、「正しい科学」の発展を妨げるからこそ、「基準」を設けて、ふるいにかけるわけですよね。

ですが、具体事象を出さない「疑似科学」に、いったい何ができますか? 具体性をもたない抽象論と、具体事象を追求する科学には、そもそも接点がなく、抽象論が具体論を妨げることなどできません。そして、今回、明らかになったのは、diamonds8888xさんが基準違反の例に挙げられた「太陽が昇る∧太陽が昇らない」も、その抽象論のたぐいということでした。私は、ここが分からなかったので、長い行き違いが生じたのです。

当初、私は、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が意味するのは、同じ1つの太陽が「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度を示すという具体事象と思っていました。だからこそ、これはまだ「東に昇る∧西に昇る」を論じていた時でしたが、コンピュータ・シミュレーションの話までして、それが実現可能と主張しました。

ところが、diamonds8888xさんの論点は、「ω>0」と「ω≤0」の並立は「太陽が昇る∧太陽が昇らない」そのものではなく、法則aが破れないことを前提にした場合の具体例にすぎないので、法則aが破れ、現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」(正確には「ω₁>0∧ω₂≤0」)は「昇る∧昇らない」ではなく、「昇る」か「昇らない」のどちらかに含める、というものですね。943で確認したのはそのことでした。

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/943

でも、それなら「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、抽象論になります。そして、私の問題提議は、抽象論が科学の発展を妨げるか、というものです。

例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。

歴史を見ると、「疑似科学」が科学を妨げたと評価されるのは、抽象論の域を越えて、具体論を出した時なのです。

例えば、17世紀のアッシャー(James Ussher)という人は、旧約聖書を詳細に研究して、世界が誕生したのは、前4004年と算出しました。旧約聖書には、最初の人間アダムからの系譜と、父親が何歳のときに息子が生れたという記述があるので、年代が確定した時代から遡れば、算出は可能です。それでも研究者によって結論は異なり、同じ経典に拠りながら、ユダヤ教では創世は前3760年、ギリシャ正教では前5508年とされたと、アジモフは著書の「The Wellsprings of Life」の第3章で述べます。いずれにせよ、創世から数千年しか経っておらず、アッシャーの結論では、今年(2021年)は、世界ができてから6024年後になります。

問題は、世界が前4004年に誕生したというのは、抽象論ではなく、具体論であることです。そこから、自然科学との衝突が起こりました。

アジモフはアッシャーの結論を紹介した後、1世紀以上を経た18世紀末の歴史を語ります。この時代には地質学の研究が進み、岩がどういうプロセスで形成されるかが分かってきました。そこから、現存する地層が、たかだか数千年でできたはずがないという結論になり、創世が数千年前という理論と矛盾します。そこで、旧約聖書を字義通りに信じる人は、地質学の結論を否定しました。宗教と科学が対立した1事例で、原因は、「創世は前4004年」という具体論を出したことにあります。

また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。

どちらの例をみても、「疑似科学」が「正しい科学」を妨げるのは具体論を出す時で、抽象論にとどまる限りは、ことさら「疑似科学」などと称して、問題にする必要がないだろう、というのが私の考えなのです。

9Ken:2021/04/07(水) 23:06:17 ID:l3c2r2bk
では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という「疑似科学」はどうでしょうか? これが、正しい科学の発展を妨げることができるか、思考実験をやってみましょう。

今の私たちは法則aを支持してますから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しないと考えます。正確に言いますと、法則aが破れないのだから、これは、同じ太陽で「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度が観測されることはない、という意味です。

そこに、それは起こりうるという主張が現れた場合を考えます。その場合、主張者に向けて「正しい科学」が発する最初の言葉は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を表す事象を見せてください

になるはずです。もしも主張者の側が、「今は観測できないが、理論的にありうる」と主張するなら、今度は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象として語ってください

になるでしょう。今回の議論で、diamonds8888xさんが私に求められたのは、これでしたね。普通はこれで決着がつくはずですが、もしも「具体事象」の定義が不明確で議論が混乱するなら、このように要求すればよいのです。

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を、コンピュータ・シミュレーションで実現してください

もしも、具体事象として表せるのなら、たとえば法則aのように、現在支持されている法則と一致しようがしまいが、シミュレーションで実現できるはずです。シミュレーション結果を見れば、「ω>0」と「ω≤0」の並立が可能かどうかはすぐに分かり、論争は終わります。

慎重を期すため、今度はその逆。正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」がありうると主張し、「疑似科学」の側が、それを否定する場合を考えましょう。

もしも、正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張をするなら、必ず具体事象を示すはずです。最初に「昇る」とはω>0が観測されること、「昇らない」とはω≤0が観測されることと定義し、その上で、ω>0とω≤0という速度を示す2つの太陽が、実は同じものであると示す事象を挙げることでしょう。私が何度も挙げたことです。

(1)2つの太陽の大きさ、等級、質量、スペクトル型等が同じ
(2)黒点やフレアが同じ形状で同じタイミングで現れる
(3)巨大天体が衝突してどちらか一方が破壊されたら他方も同時に破壊される

これに対して、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を否定する側が、「太陽が昇らない」は「太陽が昇る」の補集合であるから、ω>0とω≤0の観測だけでは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の命題が成立していない、と言ったところでどうなりますか? 正しい科学の主張はあくまでも「ω>0∧ω≤0」の具体事象であって、抽象表現ではないのだから、関係のないことです。

「ω>0∧ω≤0」の状態を、ある人は「太陽が昇る」と表現するかもしれないし、別の人は「太陽が昇らない」と表現するかもしれません。「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と表現する人だって現れるかもしれませんが、どうでもよいことで、言わせておけばよいのです。抽象論でだれが何を言っても、具体事象を否定することも、それが世に及ぼす影響を妨げることもできません。そういう人は仲間内で神学論争をしているだけです。

非常に重要な点ですので、再度強調します。かつて地質学や進化論が反対されたのは、そこに旧約聖書の記述という具体論があったからです。

抽象論だから「疑似科学」ではない、とまで言い切るつもりはありませんが、具体事象を挙げないのなら、「神を信じる」と同列のものであり、科学が相手にするべきものではないだろう、というのが私の考えです。もしそれを問題にするのなら、科学的根拠に基づかないあらゆる信仰や思想まで問題にせねばなりません。

よって、やはり基準05の存在理由は私には見えません。

10diamonds8888x:2021/05/29(土) 07:51:48 ID:Qix9q/lA
>>8, >>9
 リンクの間違いでしばらくアクセスできずお待たせしたと思います。すみません。
 ただ、またしばらく忙しくて発言が途絶えると思いますので御了承のほどを。


 抽象と具象とを区別し過ぎていませんか? 抽象は具象から生まれたものであり、無関係ではありませんよ?

 典型的には、りんごの数、皿の数、人数、星の数、などから個別に異なる属性は捨ててしまって(つまり抽象して)得られたのが"個数"という抽象概念です。この抽象概念を使えば、「どんな具体的対象に関しても」4個の塊が3個集まれば総個数は3✕4で知ることができます。星は星で具体的に確認しないとだめだ、なんて言う人はいません。

 自然法則も抽象概念で、例えばニュートンの第1-第3法則は、様々の具体的な固体粒子の運動に共通する性質を抽象化したものです。論理法則もそうで、諸々の自然法則や数学定理、そこまでまとめられていなくても日常の正しい推測のパターンなどに共通するパターンを取り出した抽象概念です。

 ¬(P∧¬P)もその共通バターンのひとつであり、Pがどんな文でも成立するものです。具体的な文にしたら違うかも知れないなどというのは、星の数の場合は3✕4=12個にはならないかも知れない、というようなものです。


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