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化学物質過敏症についての掲示板

106mortan:2013/05/10(金) 10:29:47 ID:CcasgVNc
>>79
>>>72
>>>53「狐憑き」が「ありえなさすぎ」であるというなら、「慢性ライム病」でも、「マイコプラズマ・ファーメンタンス感染症」でも「機能性低血糖症」でも「頚性神経筋症候群」でも、【客観的な根拠に乏しいが主観的には存在を主張されている疾患】をあてはめてもらえばいいですよ。でも、慢性ライム病とか言ってもご存じないでしょう?いちばんわかりやすそうな例として「狐憑き」を挙げただけで。

>あ、本当に理解されていなかったんですね。
>
>再度言うことになりますが、明澄な意識は、現象学的還元によって、日常意識や、先入見などの、さまざまなイドラを剥ぎ取る作業をしていきますので、無批判的に「自分は、何々である」というディスクールは存在をし得ない、ということを言ったんですが?
>
>慢性ライム病、マイコプラズマ・ファーメンタンス感染症、機能性低血糖症、頚性神経筋症候群、でも何でも同じです。
>
>「自分は、何々である」と立言すること自体があり得ない、という話ですから。

ここのところで、なんでこんな簡単で稚拙な立論をあえてされたのだろうかと、ずっとひっかかっていました。

実は、もっと深い内容の理を、NATROM氏は言おうとしておられるのではないかと。

ただ、熟考の末、やはり、

「私は」「Aである」と「認識」すれば、「A」というものそのものが「存在」する、などという純粋素朴な「認識論」「存在論」の立場、つまり古風な「主客二元論」に立っておられるということでしょうか?

「私は」「ただ意識する」という、現象学的還元を経た意識、つまり、フッサールのいう「本質直感」のような意味合いなのですが。

それほど、難しいですか?

それでは、デカルトの「我、思惟す。故に我あり(コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum)」から考え始めれば、わかりますか?

デカルトの、自然科学の祖の重要な一人でもあるわけですので。

で、「思惟するもの」と「延長するもの」との「物心二元論」に到達するわけですが、
(もちろん、私は、デカルトの二元論を超克しようとしたフッサールなどの現象学の立場に立っており、デカルト主義などではありませんが)
ここで今、着目したのはこちらの「思惟するもの」の方、つまり「意識」の方です。

従って、<現象学的還元>を経て、さまざまな「イドラ」を排して、純粋な<対自意識>にまで達した<志向する意識>である<本質直感>が、まさか「自分が、何々である」などという、初歩的な陥穽に陥るはずがない、ということを言ったまででしたが。

今、あらためて振り返ってみて、話題の<本質>を<直感>できましたので、コメントさせていただきました。


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