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神と科学は共存できるか

380NAN:2008/02/22(金) 20:34:55 ID:tkzlrik6
ん〜、地下猫氏の書き込みもあったので、私もさらりと書いておこう。

繰り返しになるんだけどここ。
>>217:雄クン
>この掲示板でも例えば「音楽や絵画への評価・好みの問題」「道徳とか倫理」「どう生きるべきか」など『重要な問い』について、それは科学が口出し>できる領域ではない、或いは口出しすべき領域ではないと言うことを、何となく当然の前提として議論がなされているように感じます。
>しかし本当にそうだろうか?と言う疑問が私には有ります。科学は関与できないのだろうか?

上記の疑義を持ち出しているのはやはり雄クンなのだヨ。記憶に無いのか?
「科学に答えられない問い(しかも人にとって大切な問い)」=「重要な問いに科学は関与しない」などとは、誰も述べていない。この「どんなバカにも分かる甚だしい曲解」が雄クンの間抜け議論の始点にある。

それを>>370で恥ずかしげもなく
>その文句は(>>21;)猫氏に言ってチョ。

どういうすり替えなんだ?これは。
無論、口出しとか関与という言葉にも多義性がある。また、言語自体が情報として冗長性に富んでいるのでさまざまな理解や解釈が可能だよ。だがしかし、本スレッドの冒頭で「(重要な問いに対して)科学が判断の材料を提供できる」ことはとっくに宣言されているし、もしその程度の知識を私やほかの参加者が共有していないと雄クンが考えているならば、それはとんでもない侮蔑だ、ということさ。そう文字通り一切「重要な問いに対して科学はどんな干渉もしてはならない」なんてことは、誰も考えていないんだよ。

能天気な擬似科学万能主義のカタブツ君に問おう。
・夫婦に子供が生まれようとしている。しかし、出産の事前に胎児には身体的な欠損があることが分かっていた。だがそれは、致命的であるかどうかは分からない。可能性としては4割程度の確率ですぐに死亡し、7割程度の確率で無事に生まれても障害が出るであろうことが予想される。

このようなケースを科学的に想定したとき、夫婦は医師から告げられたEBMに基づき、インフォームド・コンセントを持たねばならない。さて、夫婦は生むべきか、生まざるべきか?
これこそまさに「ヒトとしてのアイデンティティに関わる重要な問いかけ」の代表なんだが、科学は十分に口出ししているよな?賢明な医師は科学的示唆として「生むことはリスクだ」と告げるだろう。夫婦はこの科学的言明について深く思い悩み、考えに考える。だがそれでもなお、実際の結論は「自由意志」に委ねられるべきだ、ということなのだが、もし科学「だけが」重要なのであれば、夫婦は決して生むという選択肢を持てないだろう。

上記のような「問いかけ」は常に私の中にある。恐らく、他の参加者の皆さんも同じだろう。まさかこういう想定ができないほど愚かな論者はいないだろう、と私はこの場を信頼している。だから礼儀を保つことができる。だがそれがかなわないときには、それこそ「議論とは関係ない重箱の隅突きに終始するウザいハエ」に対して、礼儀なんか保つのはバカらしい。

381NAN:2008/02/22(金) 20:35:40 ID:tkzlrik6
次。
>>354から>>355にかけて、主に哲学議論についていつもの逃げ口上を書き連ねる雄クンだが、>>231の原文によると
>○現象を全て知り尽くし、属性を全て汲みつくした後に、なおかつ残ると言う「物自体」とはどんなものか? それは単にそのものが我々の意識の外に存在していると言う、抽象的な事実だけではないか。と言う訳です。

「現象をすべて知り尽くし、すべて汲みつくした」んであれば、論理的になにも残るわけないだろ?トートロジーじゃんか、これ。最初からそう思ってたんだが、まぁ雄クンだって(当時は)書き損じもするだろうし、私は哲学にさっぱり興味がないし、と放置していたのだが…猫氏がこれを指摘しても撤回どころか訂正の気配さえないのはどういうことなんだ?いまだラプラスの魔が有効だったような時代にはあり得る議論かも知れないが、こんな能天気な議論が高尚な哲学なわけないだろうな、と私は思っていたのだ。だがもしも万が一、ヘーゲルがこんなことを本気で述べたというソースがあるのなら、どうしようもないバカだってことになる。物質の存在自体が「現象」であることが知られていなかった時代の話だ、というなら譲歩できなくもないが、ならば雄クンの提示したヘーゲル(が云ったことになっている)の主張は現代において無意味だな。

>>355
>哲学的な認識論、つまり「考え方」の問題と、実証科学である、主に物理学での物質理解の混同に過ぎません。

あら、じゃぁ哲学なんか必要ないね。少なくとも雄クンの哲学はここでの議論にまったく有効性を発揮していないようだし。つぅかこぉいう卑怯極まりない逃げ口上を述べるのが哲学なのか?物について言及しておきながら、物理学じゃないからいいじゃん!ってんならそれこそ「不可侵原則」に守られた教条主義そのものだね。それともある種の宗教なのか?哲学って。ならそれは経典だな。

さて、話は哲学でも愛の起源でもない。
何度でも問おう。

・ここにスポーツ選手がいる。40代になった彼は定期診断で自分の脚に悪性の腫瘍があることを知らされる。生存を望むのであれば、右足を膝から切断するしかない、と医師から告げられた。数週間後、彼は自殺を遂げた。

こういう話だって想定できる。先と同様に科学は十分に関与し、彼の人生に口出ししているが、彼の自殺はどういう風に科学が価値判断するのだ?
無論彼は、医師に応じて脚を切断することもできた。あるいは、他の医師を探し別の治療法を見つけることだってできたかも知れない。彼の死に家族は悲しみ、苦しんだことだろう。また、死を決断した彼自身も、ひどく苦しみ悩んだことだろう。

科学万能主義全開こそ至上の道であるなら、彼の自殺は絶対にあり得ない。苦しむことも悩むこともない。それが雄クンの主張なんだよな?科学が倫理を左右するのであれば、彼の自殺は絶対悪だ。それでいいんだよな。同情の余地なんか少しもないよな。

382e10go:2008/02/22(金) 22:47:49 ID:5/V6R9W6
雄さん、もう答えてくれないかもしれないけど、地下ネコさんの質問に便乗して、また質問させてもらいます。

・王様は裸じゃないか!
質問.見間違いまたは勘違いの可能性はないの。
・ごめんなさい、あなた。この子はあなたの子じゃないの
質問.DNA判定も血液型判定も拒む女が言った事を、どうやって証明するの。
・勘違いしてんじゃねーよ、このブス
質問.沢尻エリカの事を、その様に書き込んだ掲示板を見た事があるけど、これは科学的に正しいの。
・はっきりいうけど、おまえ、臭いよ
質問.他の人が、「臭わない」と言ったら、どっちが正しいの。(しかも後から確かめようがなければ)

この質問は、現実にありえる(ある)事を想定しています。回答は期待してませんが、気が向いたらで良いです。

383diamonds8888x:2008/02/24(日) 06:09:00 ID:jcR/Lf4.
ちょちょんまげさんの発言(>>371)で、ふと思いつきました。

> ですから、科学は「価値観の由来」みたいなことはいずれ説明可能にしちゃうかも知れませんけど、
>その説明とこのスレッドの話はちょっと違うように思えるのです。

 価値観の由来の説明というと、自然科学じゃなくて社会学や民族学の最大のテーマのような。普段われわれが当然と思っている何気ない行動や慣習の中に、実はジェンダーが隠れていた、とかいう問題など。
 価値観との相克のきわどさでは社会科学はとっても厳しそう。確かに教科書検定でも世間で話題が大きくなるのは歴史や倫理社会の教科書ですからね。

384NAN:2008/02/24(日) 12:49:57 ID:CTE40lKg
>>377
>ゴルゴ13みたいな方ですね。(笑 そういうハードボイルドの主人公を思わせる姿勢は、自分がなかなかできないだけに私もあこがれます

ゴ、ゴルゴか…(涙。
極論するとそういうキャラ被りかも知れないんだけど、掲示板で発言していると、その弊害として「NANは信頼に値するまともな人物だ」と思われることがあります。しかし実像はあまりにも違う。フリーランスで働いているので、利害に対して比較的自由ではあるけれど、そういうことにさえ敏感にならざるを得ない局面は多々あります。(特定のクライアントを批判することができない、など)
ですので、恐らくそれは誰にでもある実像との乖離を「恥ずかしい」と感じる私の無節操な抵抗でしょう。むしろ、暴言、乱暴こそ私の実像そのものなので、恥ずかしげなく受け容れられるということでしょうか。

>無論、妥当だとは思いません。E=mc^2の例も「有用性や倫理の判定」を科学に求めることは妥当ではないと思います。

もっと分かりやすい喩えとして「生命は大切なものである」という倫理の根底を成す(と思われる)言明があります。倫理価値として得られる論理的解は「生命を大切にしない=悪」ですし「生命を大切にする=善」ということになります。しかし科学はそれをいささかも担保してくれません。生命とはどんなものか?地球上の生物だけが生命なのか?生命にはどんな定義が妥当なのか?生命の起源はなんだ?みたいな疑問に対してなら、著しく有効な科学なのに、それが「大切かどうか?」には答えない。せいぜいが「個体の生命を守るのは、その個体にとって適応的である」という示唆が得られる程度であって、善悪を判断する材料にさえならないでしょう。思考節約の原理に基づくとしたら、善悪の科学的考察を何百フレームにもわたって繰り返すよりも、直接的に立法や個別社会における道徳知識に従う方がずっとシンプルです。(メタな議論を個別事象に当てはめることの不適格さ)

あらゆる対象を採取し、それを吟味し、理解するためのツールが科学である、と私は思います。先に出た議論と同様に、包丁や切り出しナイフやバイクや銃と同様のものです。「なにかを大切とする倫理価値観の起源やシステム」を理解することは、知識として有効です。それはバイクやナイフのマニュアルが有効であることと同様です。しかし、バイクの行き先はマニュアルに書いてありません。また、書き記すべきでもないでしょう。

385NAN:2008/02/24(日) 12:50:33 ID:CTE40lKg
つづき…
先の議論に戻ると、「生命を無闇に滅ぼし続ければ、食物連鎖の鎖が途切れてしまい、すべての生命が途絶えてしまう可能性がある」という科学的示唆は求められます。これは倫理に対する起源の答えのひとつとして有効でしょう。しかしヒトは「それでも生命を根絶やしにしたい」とさえ考えることがあります。それが行使されるかされないかに関わらず、ヒトの思考や要求は本質的に自由であって、自らに不利益であるはずの行為でさえいくらでも選択可能なのです。また現実に、そうした行為はいくらでも観察できます。

こうしたヒトのもつ本質的な自由意志、奔放な行動力に対して抑制を司るのが倫理や道徳であるとするなら、無論、宗教にその教導権を一方的に委ねることになんら根拠の正当性はないでしょう。しかしそれが「まったくない」と主張するのも大変です。おそらく不可能でしょう。それはこれまでの議論にもあるように、倫理や道徳はそれぞれの社会が持つ歴史や文化に基づく知識ですから、宗教的歴史や民俗的歴史という「知識」との分離が甚だ難しいことに由来します。さらに、自由民主主義の原則に従うのだとしたら、特定の主義主張を無視したり排除することの正当性をどこかから導く必要性にも繋がり「発言権を一切認めない」わけにはどうしてもいかないわけです。これは「神の存在証明」だとか「経典の蒙昧さ」の議論とは本質的に異なる次元の議論です。また、本スレッドの本論を考えるときに重視すべきは、むしろこの面であり、特定宗教・教団の妄言をいくら指摘したところで、それらが存在し一定の「層」を形成している以上、発言力として無視するわけにはいかない原則が社会にある、ということです。

「ダーウィンが進化論の発表を見合わせていたのは宗教に遠慮したからだ」という主張は正しいものですが、当時の時代背景と照らし合わせれば妥当な判断です。また、これをもって「宗教の弊害」と主張し、今の宗教を批判することは明確に間違っています。なぜなら「昔はそうだが、今はそうではない」という歴史的変遷を無視したものだからです。これは過去の犯罪歴を繰り返し処罰できない原則に通じます。
ある学派の中心的主張もしくは指導者の利害に対して、その学派に所属する者が革新的理論を提唱することは、利害の不一致によって揉み消されたり、発表を遅延させられることがあるのは、時代背景に関わらずいつでもあり得る話です。大阪で阪神タイガースを批判することの弊害や、広島でカープを批判することにより生じる軋轢があるからと云って、プロ野球ファン全体を批判したり、球団を批判することは「間違った一般化」ですが、利害と利害が一致しないことによってなんらかの軋轢が生じるという事象は、さまざまな社会的属性に対して当てはめて考えることが可能です。

少し雑になりますが、無神論者と信仰者の問題も、マイノリティとマジョリティの問題と云えるでしょう。アメリカと日本では、両者の立場が逆転している、ということです。また、利害の不一致に敏感な社会と穏健な社会というセンシビティにも由来しているかも知れません。平等を原則とする社会でマイノリティに不利益があることは正しからぬことですが、残念ながら人間社会は理想にはほど遠いものです。だからといって改善を求めることは間違いではありませんが、対象を否定し敵視したような方法論では、議論(ディベート)で勝つことはできても、それがために反感を生んだり思いもよらぬ障害を生むことだって予測できてしまう。この問題(集団利害への言及)を適切に行うのは実に難しい問題ですね。

こうした考察を科学的に行うことの意義は大いにあるだろう、と私は思います。それは(たとえば)宗教の無根拠さや蒙昧さを指摘するためのものではなく、さまざまな「境界問題」がなぜ起きるのか?という大テーマを扱うのに有効だ、という意味です。また、それでもなお、結局ヒトはなにをするか分からないのですが、だからといって諦める必要はありませんね。

386AH1:2008/02/26(火) 13:45:25 ID:sNMJ1V0Y
ちょちょんまげさん
>そう言われっちゃうと、今度はなにやらさみしいんですよね。(笑)

あはは。いやまあ、私としてもそう言わないとダブスタなわけでして・・
でも全く放っておくつもりなら、ここで発言させてもらう事もないでしょうから。

387junsaan:2008/03/02(日) 16:35:44 ID:JxbYVj9s
はじめまして。
ほかの掲示板で書いたことでもあるのですが、科学に、神という存在を認めてしまうと「すべては神の御業」で終わってしまうと思います。
だから、なんというか、「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

388junsaan:2008/03/02(日) 16:36:33 ID:JxbYVj9s
はじめまして。
ほかの掲示板で書いたことでもあるのですが、科学に、神という存在を認めてしまうと「すべては神の御業」で終わってしまうと思います。
だから、なんというか、「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

389NAN:2008/03/03(月) 02:57:50 ID:CTE40lKg
>>383
『オッカムの剃刀(かみそり)』をご存知ですか?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80

思考節約の原理と云う場合もありますが、説明に不要なことは扱わない、という科学的方法論で広く浸透しています。
力学現象も宇宙創成も生物進化も「神の御業」である可能性はあります。しかし、立証の手立てがありません。立証の手立てがないということは、反証も出来ないということです。だったらそれは保留でいいじゃないか、ということです。

>「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

この部分については、どこに、あるいは、誰に書かれたのでしょう?
ちょっとスレッドの内容とはズレているように見受けられます。

390junsaan:2008/03/03(月) 18:57:03 ID:SoFKphIY
>ちょっとスレッドの内容とはズレているように見受けられます。
たしかにそうでした。
題名見ただけで投稿してしまいました。すいません。

391ちょちょんまげ:2008/04/04(金) 13:18:05 ID:vUxNW.gI
NATROMさん、もう「親子丼」の#988じぃく氏の書き込み
      ↓
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2092/1204816736/988
は、読まれたと思います。

あの人たちは、もうダメだ。
俺、もうちょっと人間信じてたんだけど。
ドーキンスはやっぱり間違ってるわ。理を尽くしたところで、わからんやつは、ほんとにわからんのですね。
NANさん、「科学と神」の議論、俺、白旗です。

392ちょちょんまげ:2008/04/04(金) 13:24:50 ID:vUxNW.gI
って、俺なんか読んでただけだけど、ずーっとつきあってた、NATROMさんのがよっぽど脱力ですよね。
お疲れ様でした。

393NAN:2008/04/05(土) 20:46:26 ID:QrHs74qA
>>391
なぜ私に「白旗宣言」を出されるのかは良く分かりませんが(笑。
ダブスタであることを立脚点にしている論者との議論は、自身がダブスタを知ろうとしない限り、永遠に水掛け論です。
また、当然のことですが、自身に対する批判を持つこともないでしょうね。

でもそれって、普通の世の中ですよ。

394名無しさん:2008/04/28(月) 12:36:43 ID:D2PZoWjk
燃料投下(笑)
「米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望」
ttp://macska.org/article/224

macska女史のページですが、反響が大きいようです。
結構この話題、興味がある人が多いんですかね?


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