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観測問題は科学か?
1
:
diamonds8888x
:2007/01/22(月) 06:02:03 ID:HFzGgWdI
さて科学の範囲だけの話を始めましょう。多世界解釈と波動関数収束解釈は科学的に検証可能か否かについてです。関連して、今西理論は科学か、ゴスのへそ理論(宇宙は1分前に)は科学か。
科学の範囲だけの話ということを明確にするために、以降は「神」という言葉の使用は避けます。ラプラスの魔とか時空の全てを俯瞰する存在とか、そんなものの仮定はOK、ということで。ビッグバンをスタートさせた何者かとか、我々の宇宙を観察するフェッセンデン氏とかも思考の都合上で仮定するのはOK。
まず、「神の存在/不在と科学の範囲」のスレッドでのミケさんの発言(151)です。
> 要するに、どちらの仮説も矛盾がなく(観測事実を説明でき)、
> かつどちらが正かった場合の予測も同じで区別できなかった場合、
> それは科学では選べません。
多世界解釈と波動関数収束解釈が本当に観測的に区別できないかどうかはさておき、「観測的に区別できないからどちらも科学理論とは呼べない」と読めてしまって違和感を抱いたのです。それなら波動力学と行列力学も科学ではないのか、と。例えばゴスのへそ理論と他の科学理論を比べた場合は、諸々の理由から前者は科学ではなく、後者は科学であると区別しています。この諸々の理由を当てはめれば、波動力学も行列力学も、多世界解釈も波動関数収束解釈も科学である、というのが順当な考えではないのでしょうか?
波動力学と行列力学の場合は数学的に同値だと証明されましたから、同じ理論なんだからいいんだ、と言えるのかも知れません。ここで考えてみると、今でも無理にこの二つを対立させて見せることもできそうです。「電子の実体は波である」「いや、電子の実体は関数である」。確かにこの部分での対立は科学とは言えないかも知れません。ミケさんは多世界解釈と波動関数収束解釈の対立に、このような意味での対立を見ていたのでしょうか?
2
:
NAN
:2007/01/22(月) 11:01:28 ID:op1ePviI
脆弱かつ薄板な私の理解によると…
ttp://homepage2.nifty.com/qm/vs.html→エヴェレット解釈vs.コペンハーゲン解釈
>「いわゆる」コペンハーゲン解釈(正確ではありませんが、伝統的な確率解釈のことをコペンハーゲン解釈と呼ぶこともあります)というのはエヴェレット解釈に基づく量子力学の定式化の中で定理として導出されます。
と、あるように「有効性」とか「エレガントさ」という指標で見たとき、なんだか分があるのは多世界解釈らしい、と私は認識していました。もし間違っていたら訂正してください。
■物質波(ド・ブロイ波)についてのwiki→ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%A4%E6%B3%A2
■超流動(量子効果の巨視的な現れ)→ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%B5%81%E5%8B%95
上記2つのリンクは、diamonds8888xさんが提出された
>「電子の実体は波である」「いや、電子の実体は関数である」。確かにこの部分での対立は科学とは言えないかも知れません。
に対して、今度は「別の違和感」を私が抱いたために字引的につかおうと思います。
ここで「電子」の例を出されたのは、おそらく「量子の例」としてであり、ヘリウム4であろうとその他の粒子であろうと構わないのでしょう。
つまり、私が云いたいこととは、ヘリウム4の超流動現象を見れば明らかなように、巨視的な事象でさえ、物質(この場合は液体ヘリウム)が量子ゆらぎの効果によって「重ね合わせ」だとか「ひとつの最低エネルギー状態の占有=コヒーレントな状態」を見せることがあることから、物質の実体が「波である」ことはこの世界の基本的な性質のひとつであって「関数である」という、ちょっと私にはピンと来ない帰結に比べて受け入れやすいものです。
#反論と云うより「関数である」という帰結を聞いたことがなかった。
さて、それでは
>「観測的に区別できないからどちらも科学理論とは呼べない」
という言明があったかどうかはともかくとして、「観測的に区別できない二つ以上の理論があったときに、この両者が等しく同じ現象を精密に予測できる場合」について、私は「そりゃぁアプローチが違うだけでどっちも科学でしょう?」としか答えられません。
3
:
ミケ
:2007/01/22(月) 16:43:49 ID:???
>多世界解釈と波動関数収束解釈が本当に観測的に区別できないかどうかはさておき、「観測的に区別できないからどちらも科学理論とは呼べない」と読めてしまって違和感を抱いたのです。
その違和感を感じ取ったので、
>多世界解釈と波動関数収束解釈について。
>ミケの科学観として、検証不可能な理論は科学の範疇ではない、
>少なくともそれは科学理論ではなく解釈である、という感じでしょうか。
>参考: ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci02.html
(該当スレ132)
という言い回しがちょっと“危うい”と思い、
>まずは、前投稿の表現が曖昧だったかもなので、
>もとの文章(
>>122
)から。
>>多世界説と波動関数の収束説、どちらが正しいかは科学では扱えません。
>要するに、どちらの仮説も矛盾がなく(観測事実を説明でき)、
>かつどちらが正かった場合の予測も同じで区別できなかった場合、
>それは科学では選べません。
(該当スレ151)
と言い直したわけです。
「仮説そのもの」ではなくて「どちらが正しいか(仮説の選択)」について
科学で手が出ない部分が、量子力学の世界にもある。ということが伝えたかった、と。
(ミケの知識が足りなくて、ホントは区別可能だったなら、それはごめんなさいですが)
きっちりと、「科学理論じゃないとは言いすぎだった」
と撤回したほうが良かったかもですが、
多世界解釈と波動関数の収束解釈の検証過程について勉強不足で、
そう言いきる自信も無かったもので。
※実は二つの説が数学的に同値だというのも知らなかったんですが、
たぶん同じモノを別の視点から捉えたような感じなんだろうな、
と、無責任ながらうすうす仮定していました。
4
:
e10go
:2007/01/22(月) 22:19:04 ID:5/V6R9W6
NANさん、ミケさん、波動関数収束解釈・多世界解釈について、お二人の言われる事と私の理解・解釈に少し違いがあるので、
その事について書かせていただきます。
<波動関数収束解釈>
電子を使った2重スリット実験で得られた結果から、シュレディンガーが波動関数(シュレディンガー方程式)を作りました。
「電子の位置」は、観測前に特定する事はできませんが、「波動関数」で「確率的に予測」できます。
「電子の位置」は、「観測した結果」でわかります。
これを、「観測した結果、波動関数が収縮した」と言います。これが「波動関数収束解釈」に当たります。
<多世界解釈>
また、2重スリット実験で、電子に「粒子のような振る舞い」と「波のような性質」が見られました。
この電子の性質をうまく説明しようと、色々な仮説(解釈)が出されました。
シュレディンガーはこれらの仮説に納得せず、「シュレディンガーの猫」の思考実験を発表し、「量子力学はおかしい」と言いました。
この思考実験を受け、多くの科学者が色々な仮説(解釈)を出しました。
その一つが「多世界解釈」です。
私は、波動関数収束解釈・多世界解釈について上の様に理解しています。
そして、次のように解釈しています。
1.上のどちらの解釈も、観測結果を説明する仮説であって、予測を行なう仮説ではない。
2.上のどちらの解釈も、数学とは直接関係はない。
3.上のどちらの解釈も、科学研究の過程で生まれた仮説で、現在どちらも正しいとも間違っているとも証明されていない。
4.上のどちらの解釈も、間違っていると証明されない限り、科学として扱って問題ない。
以上ですが、私は量子力学の素人のため、うまく説明できない部分があり、分かりにくい点や勘違い・間違いがあるかもしれません。
分かりにくい点や間違いがあれば、指摘してください。
5
:
NAN
:2007/01/23(火) 00:37:33 ID:0l.UbVPU
長すぎたので分割…まずは「冒頭」です。
e10goさん参加〜…って、私は量子論とか宇宙論の初学者向け以下の啓蒙書を読み漁っているド素人ですから、むしろこぉいう機会に自分の理解が深められればOK!と思っています。ゆえに、言い訳ではありませんが、私の理解こそマチガイだらけである可能性絶大!ですが…それでも知る限りの知識を駆使して対話させていただきたいと思います。
さて、前回挙げたサイトから引用させていただくと、
引用ここから------------------------------------------------
エヴェレット解釈もコペンハーゲン解釈も実験的には同じ結果を出すので単に解釈の問題にすぎないという話をよく聞きますが、これは「解釈」という言葉の意味を日常用語としての「解釈」と混同したために生じた誤解です。波束の収縮過程をこう解釈する」というような日常用語としての「解釈」のことではありませんので注意しましょう。「いわゆる」コペンハーゲン解釈(正確ではありませんが、伝統的な確率解釈のことをコペンハーゲン解釈と呼ぶこともあります)というのはエヴェレット解釈に基づく量子力学の定式化の中で定理として導出されます。エヴェレット解釈では波束の収縮を仮定していませんので、少ない仮定で同じ現象を説明できるという意味ではコペンハーゲン解釈より優れた理論だということができます。
ttp://homepage2.nifty.com/qm/vs.html
引用ここまで------------------------------------------------
とあります。ここで「定式化」とありますが、どちらの「解釈」も日常的に使われる「文脈上の解釈」ではなく、ある現象を数式化するときに行われる「数学的な記述の仕方を解釈と呼んでいる」のだ、と私は捉えています。
<シュレーディンガー以前>
プランクによる「エネルギーの量子化」の提唱〜アインシュタインによる「光電効果」の発表などがあり、これらを受けてボーアによる「初期の量子モデルの発表」を経て、やがてド・ブロイの「物質波」が提唱される。
ここで云う「量子化」とは、いわゆる溶鉱炉の鉄が温度によって異なる色の放射を行う理論化の際に提出されたもので、物質がある状態からある状態へ変わるとき、それは連続的(アナログ的)に行われるのではなく、量子的(デジタル的)に行われるのだ、ということ。この概念を受けてボーアの原子モデル(決められた円軌道上を電子が回転している)が発表される。さらにド・ブロイは、光だけではなく電子も「粒であり、波でもある」という予測を行い、ひいては「すべての物質は波として記述できる」ことを提唱した。
6
:
NAN
:2007/01/23(火) 00:38:09 ID:0l.UbVPU
次に「本文」です。
<波動関数確率解釈(コペンハーゲン解釈)>
アインシュタインの光量子仮説に惹かれたシュレーディンガーが「波動力学(物質波がどのように振舞うのかを記述したシュレーディンガー方程式を基礎とする)」を提唱し、ほぼ同じ時期にハイゼンベルグが「行列力学」を提唱する。さらにハイゼンベルグは「不確定性原理」を提唱(波動関数を解いた結論のひとつ)し、物理学というより「この世界」から決定論的な予測が「究極的には」通用しないことがはっきりとしてくる。いわゆる「波の収束」や「観測者問題」はコペンハーゲン解釈に固有の問題でもある。
<多世界解釈>
波動関数確率解釈とは、云い変えるとシュレーディンガー方程式で「計算しようとする対象」に観測者を「含まない」計算方法である。一方、観測者をも計算の対象とした場合、波の収束は起きない。確率解釈で生じる「重ね合わせ」は、電子や光などの粒子だけではなく、観測者自身、ひいては宇宙全体が対象となるのである。つまり、ダブルスリットによる電子の実験では、ひとつの電子は「右のスリットを通った過去」と「左のスリットを通った過去」という、二つの過去を持つことが矛盾なく説明される。
<ボース・アインシュタイン凝縮>
ヘリウム4の超流動現象とは、ミクロの世界の量子効果がマクロの世界に現れる現象のひとつ、として知られている。ボース粒子と呼ばれる物質は、絶対零度近くの低温になると、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれる状態になる。これは、物質を「最低のエネルギー状態(基底状態)」にすることにより、量子論が示す「重ね合わせ」の状態が起き、複数の粒子が重なりあってしまうために原子ひとつの隙間から漏れ出したり、壁を昇ってあふれ出したりする現象を指す。
さて、これらの理解がおおむね正しいと仮定すると
>1.上のどちらの解釈も、観測結果を説明する仮説であって、予測を行なう仮説ではない。
確率解釈にせよ多世界解釈にせよ、量子の振る舞いを予測する方程式によって成り立つものなので、予測を行うことができる。
>2.上のどちらの解釈も、数学とは直接関係はない。
同様に、ここで云う「解釈」は文脈上生じる「多義性」ではなく、数式における多義性を指すので、数学そのものである。
>3.上のどちらの解釈も、科学研究の過程で生まれた仮説で、現在どちらも正しいとも間違っているとも証明されていない。
少なくとも多世界解釈の「正しさ」を証明する手立ては今のところ、ない。一方で、確率解釈に内在する「波の収束」という問題はフォン・ノイマンが指摘するように「波動関数から導かれたものではない=シュレーディンガー方程式を解いた結果としては、波は広がったままである」ことが指摘されており、間に合わせ的でご都合主義である、という見解も根強い。
>4.上のどちらの解釈も、間違っていると証明されない限り、科学として扱って問題ない。
同意します。
おおむね私からは以上です。ただ、矢継ぎ早に記述したためハショリやアラの多い投稿です。申し訳ありません。
7
:
diamonds8888x
:2007/01/23(火) 05:36:38 ID:HFzGgWdI
NANさん、サイトの紹介ありがとうございます。コペンハーゲン解釈というのは正確に言うと「射影仮説を公理として採用している」と言った方が良いようです。
ttp://as2.c.u-tokyo.ac.jp/~shmz/zakkifiles/01-11-07.html
ただ射影仮説というのがどうにも気持ち悪い。たぶんユークリッドの第五公準よりもっと気持ち悪い、ということなのでしょう。私は多世界解釈も気持ち悪いと感じますが、これはまだ多世界解釈の理解が浅い〜かもしれません。
ここで触れている数理科学(2002年 7月号)「波動関数のミステリー」は持っていますが、ムズカシーー。著者の清水明氏はアンチ多世界解釈のようにも見えましたが。
8
:
e10go
:2007/01/25(木) 18:51:32 ID:5/V6R9W6
NANさんミケさん。投稿を続けられる状況にならなくなりました。
「徒然なるままに」スレを参照ください。
9
:
diamonds8888x
:2007/01/31(水) 06:10:38 ID:HFzGgWdI
射影仮説が必要になる現象には次の3つがあると言われます。
1.シュレジンガーの猫
2.二重スリット実験
3.エンタングルメント;EPR実験
私は二重スリット実験が一番わかりやすく誤解されにくいと思いますが、ひとまず1について私見を述べておきます。これは「猫の生状態と死状態の重ね合わせ」という奇妙な状態の出現としてパラドックス視されることが多いのですが、原理的には単純に1個の原子のα崩壊で考えるのが簡単だと思います。
α崩壊する原子をα粒子の量子状態として表します。ポテンシャルは原子核とα粒子の距離が遠いときは静電反発のみとなり距離が近いほど高くなりますが、原子核の中では強い核力のために低い井戸となっています。この井戸の中のα粒子のエネルギーが外部のポテンシャルより高い場合は波動関数は井戸の中のみならず外部にもしみ出しています。そのためにいわゆるトンネル効果により、一定の確率でα粒子が外部に飛び出しα崩壊が観測されます。
α粒子が飛び出す方向はわからないので確実に捕らえるために蛍光スクリーンなどの検知器で周囲全てを囲んでおけば、いつかα粒子をスクリーンに捕らえられることでしょう。
さてここにおかしなことがあります。α粒子の波動関数は井戸の中と外に広がったもので、いわば中にいる状態と外にいる状態の重ね合わせです。しかるに上の実験では、α粒子がスクリーンに捕らえられてしまったら、もう重ね合わせ状態ではありません。捕らえられない間は、α粒子は原子核外部には存在しないと言えます。まさに波動関数の収束です。もちろん、捕らえられない間は、α粒子はスクリーン内部のどこかにしか存在しない、としか言えないのでしょうが。
10
:
diamonds8888x
:2007/02/04(日) 06:09:14 ID:HFzGgWdI
ところで蛍光スクリーンはおろか他の全てが存在せず、無限の空間の中にα崩壊する原子が1個だけ存在するとしましょう。実はこの場合にだけ先のα粒子の波動関数は厳密に正しい解になるはずです。この解ではどんな遠くでも波動関数はゼロではありません。そこにたまたま蛍光スクリーンのような他の物体が存在すると厳密解は得られなくなってしまう、ということではないでしょうか?
ただ、原子核の外での解というものも得られると思うのですが、これはたぶん点光源から広がる球面波みたいなもので定常状態の解はないと思うのです。うーん、非定常解というのがよくわからない。
11
:
NAN
:2007/02/04(日) 14:00:26 ID:NbousSag
>そこにたまたま蛍光スクリーンのような他の物体が存在すると厳密解は得られなくなってしまう、ということではないでしょうか?
ん〜、それってまさにファインマンの経路積分法に繋がる思考実験なんじゃないでしょうか。
今、職場なので近くに資料がないのですが…リチャード・ファインマンはダブルスリットの「思考実験」をして、ダブルスリットのすぐ近くに計測器を置いて粒子を観測した場合、「干渉波は発生しない=粒子は片方のスリットしか通過しない」と結論づけ、波束の収束が発生しない、つまり、観測行為によって粒子は経路の可能性を失い、決定論的に発見されるはずだ、と提唱しそれが実証されたんじゃなかったかな。
#と、書いていますがよく分かっていません(笑。
ファインマンが面白いのは、粒子の「始点」と「終点」を考え、その途中にある「経路」に着目したことだ、と思います。スリットの数が二つであれば経路も二つ。ところが観測行為が粒子に「干渉」してしまうため、経路のひとつが「相殺」されてしまうことから経路がひとつになり、決定論的に粒子が発見「されてしまう」ことを示しました。
>蛍光スクリーンはおろか他の全てが存在せず、無限の空間の中にα崩壊する原子が1個だけ存在するとしましょう。
つまり、真空中では経路が「無限個」である、と考えられますが、これは「仮想的な粒子の数も無限になる」ことを意味します。しかしこれではおかしいので、ファインマンは「無限小の量しかもたない粒子」という考え方を用い、「無限小のものの無限個の総和」という「積分法」を編み出したらしいですね。
12
:
diamonds8888x
:2007/02/06(火) 06:20:48 ID:HFzGgWdI
>>11
ファインマンの経路積分法に繋がる思考実験というのは知らないのですが、私は、環境によるデコヒーレンスとかで重ね合わせが破れるという話に近いのではと思っていました。それと経路積分は粒子が進む場合、つまり非定常な場合での方法なのではないのでしょうか? α粒子で今考えていたのは定常状態の波動関数ですので、ちと違うような。
>ダブルスリットのすぐ近くに計測器を置いて粒子を観測した場合、「干渉波は発生しない=粒子は片方のスリットしか通過しない」と結論づけ
これはファインマンの証明を待つようなことだったのでしょうか? なんだか当然に思えるのは今の我々が振り返って見ているからなのでしょうか?
13
:
diamonds8888x
:2007/03/01(木) 05:53:54 ID:QCWCnFRM
観測問題に関する立派な入門書が出ていましたね。今、読書中ですが、さすがに第一人者の書だけのことはあります。
並木美喜雄「量子力学入門」岩波書店 (1992/01)
観測問題に関わる実験も色々書かれていて、その意味もきちんと説明してますし。著者の説は観測による位相の乱れが収縮の原因(不正確な表現かも知れない)というようなものですが、どうも筋の良い感じがします。1992年の出版なのに見逃してましたね。もう15年経ってますが、この話はどこまで進んだのでしょうか?
また日経サイエンス最新号(2007/04)には、2002年発表という小澤の不確定性理論の話が載っています。もしも小澤の理論が定説として確定すれば、間違いなくノーベル賞候補でしょうね。
なお以下のサイトの記事は並木の本から引用されています。
ttp://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity311.html
ttp://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity3135.html
14
:
e10go
:2007/09/04(火) 22:04:35 ID:5/V6R9W6
お久しぶりです。
>>4
で、半年以上前にNANさん、ミケさんに議論をふっかけておきながら、私の勝手で議論を打ち切った不埒なe10goです(笑)。
このままこの件をスルーしようかと思いましたが、私の発言が間違っていると言う事で、きっちり決着を付けさせてもらいます(笑)。
<波動関数収束解釈>で、
>「電子の位置」は、観測前に特定する事はできませんが、「波動関数」で「確率的に予測」できます。
と、書いておきながら、
>1.上のどちらの解釈も、観測結果を説明する仮説であって、予測を行なう仮説ではない。
は、『「確率的に予測」できます。』に矛盾している。
数学的手法を使って『「波動関数」で「確率的に予測」』しているのに、
>2.上のどちらの解釈も、数学とは直接関係はない。
は、おかしい。
また、『「波動関数」で「確率的に予測」』できているのに、
>3.上のどちらの解釈も、科学研究の過程で生まれた仮説で、現在どちらも正しいとも間違っているとも証明されていない。
も、おかしい。
後で見直してみると、自分でも明らかにおかしいと思う事を書いています。
これを書いた時に私の頭がどうかしていたと思います(笑)。
という事で、
>>4
の発言を撤回します。どうも申し訳ありませんでした。
なお、NANさんの
>>5
、
>>6
の内容は、納得できました。どうもありがとうございました。
次は、もっとまともな議論ができるよう努力しますので、よろしくお願いします。
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