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はやしさんとの議論専用スレ

1NATROM:2006/08/21(月) 10:08:18 ID:yWaDTs1U
第一掲示板で、はやしさんが多くの方にレスをつけられています。NATROM@管理人の意見としては、「掲示板は参加自由。突っ込みたい人が自由に突っ込めばいいし、反論したい人は自由に反論すればいい。突っ込みに無視するのも自由」というものです。横レス禁止は、発言の自由を制限するものななので、行ないません。

しかしながら、はやしさんが落ち着いた議論を行いたいのであれば、そのための場所を提供します。第3掲示板のこのスレッドに限り、はやしさんにレスをつける人を制限します。誰がレスをつけるのか、はやしさんが指定していいです。指定された人以外は、このスレッドに書き込み禁止。指名された人以外の方は、ツッコミ、感想その他は、このスレッド以外で。はやしさんがこのスレッドに書きこまないのであれば、「一対多数は上等である」と考えているとみなされます。


単なるツッコミや感想ではなく、指名された人が議論に使用しやすいような発言は、

トンデモネタに対する突っ込み用情報ソース備忘録
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1138967290/

にすることを推奨します。できれば、あとあとからも参照可能な形にしてくれると助かります。

2NATROM@管理人:2006/08/21(月) 17:48:26 ID:yWaDTs1U
はやしさんのご指名があったカクレクマノミさんとはやしさん以外の人は書き込み禁止です。議論はまったりゆっくりあわてずに。

3カクレクマノミ:2006/08/21(月) 23:45:55 ID:55UvHwi6
せっかく指名していただいたのに申し訳ありませんが、明後日から生物多様性を観察すべく南へ旅立つので、しばらく書き込めないと思います。
そのため、誰か別の方を再指名してください。

4NATROM@管理人:2006/08/22(火) 14:59:36 ID:yWaDTs1U
カクレクマノミさんが上記の事情でお忙しいようなので、大文字ナンさんにチェンジです。大文字ナンさんとはやしさん以外の人は書き込み禁止です。

5NAN:2006/08/22(火) 18:39:51 ID:Kjsf6b36
それでは以下に、これまでの経緯というか、論点らしきものを挙げておきます。

 1:斉一論について

 1-a:一般的に云う斉一論とは、科学法則の斉一性を指すものです。はやしさんが否定的見解でいる斉一論とは、どのような意味においてのものでしょうか。もしも「地層がいつでもどこでも一定のスピードで形成された」と考えるのがはやしさんの斉一論であるなら、そもそも進化学者や生物学者、地質学者たちは少しもそんなことを主張していません。

 1-b:シベリアの凍土にマンモスが「大量に埋もれている」というのは、かなり信憑性の低い話です。しかし、信憑性はともかく、シベリアの凍土にマンモスが埋もれていることから、どのように斉一性(地層が形成される斉一性?)が破綻するとお考えなのでしょう。
なお、「実際に何頭のマンモスがシベリアの凍土の下にあるのかは誰にも分からないでしょう」などという、曖昧で証明不可能な論拠をベースになにを主張しても「絵空事」で終わってしまいます。

 1-c:グランドキャニオンがかつて海の底であったことや広大であることが、はやしさんの云う「地層形成の斉一性」に対する反証であるというならその通りです。実際に、まともな科学者はおろか素人の私でさえそんな主張はしていません。時に大きな地殻変動もあったでしょうし、大規模な洪水や異常気象もあったことでしょう。化石はそれら「変動の激しい時期」に形成された、と考えられます。

 2:パラダイムについて

 2-a:1項に示したように、現代科学は「地層が常に一定の速度で形成された」だとか「生物の進化は一定の速度で進んだ」と主張していません。これはたとえば、リチャード・ドーキンス著「盲目の時計職人(ブラインドウォッチメイカー):早川書房」などで詳細に説明されています。

 2-b:「斉一論のおかしさ」投稿者:はやし 投稿日: 8月19日(土)02時14分27秒  の発言において述べられている「如何にして生物が進化したのかという説明においては、ネオダーウィニズムではまったく不十分であり、間違っていると思ってきました。」については、具体的な論拠がどこにも述べられていません。前記してきたように「進化の斉一性」自体が、はやしさんの脳内に存在する誤認なのですが、それを知ってなお、ネオダーウィニズムが述べる進化のメカニズムは「まったく不十分」とお考えなのでしょうか。

 2-c:はやしさんのイメージしている「ネオダーウィニズムによる進化の説明」についてお教えください。おそらく、この部分で相当な誤認や見当違いの理解をされている、と思います。

他にも多々ありますが、順を追ってこの辺からはじめてみましょう。

6はやし:2006/08/22(火) 19:49:09 ID:dezLE21s
NAN(でよろしいのでしょうか?)さんへ

お付き合いありがとうございます。今後とも末永く議論させていただきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。
今後予想される論点についてまとめていただきましたが、具体的に斉一論やマンモス等の問題にはいるよりも先にダーウィニズム
およびネオダーウィニズムに対してわたしが抱く根本的な疑問と問題提起がありますので、これについていかがお考えかお聞きし
たいと思います。

わたしはダーウィニズムにはその哲学に根本的欠陥があると思っています。
それはどういうものかといいますと、この哲学が近代の生みの親であるデカルト以来の二元論を引きずっていると同時に、
その哲学が含む重大な錯誤に嵌っているということであります。
ご存知のように近代哲学及び近代科学の祖といってもよいデカルトはそれ以前のスコラ哲学の間違いを批判するにあたり、
精神(思惟するもの)と物質(延長)という二つの真実在であるとして新しい二元論的世界観を展開しました。
この世界観の革命性は従来のアニミズム的な物質観を根本的に一掃した点にあります。
すなわち従来はアリストテレスの4元素説に基づくアニミズム的な物質観がありましたが、それを根本的に覆したわけです。
もちろんそれは科学的にはデカルトというよりもガリレオの落体実験により、よりはっきりと証明されたのではありますが、
いずれにせよこの二人の貢献により近代哲学と近代科学が新しく生まれたわけです。二人はまた別々に独自のやり方で慣性の法則
を明らかにし、これによって物質の中には一切のアニマ的要素はないという理論の骨格ができたわけです。
その後はニュートンからアインシュタインに至り、すべての物質の属性は質量とエネルギーであるという
根本的理解に至りました。
ところでダーウィン以来の生物学はまさにこのような理解に基づいた近代的な生物学を築こうとしてきた
わけです。そこで前提されているのは、生命の誕生やその進化においてもそれを生み出した物質世界の延長
として理解するという方法です。これをまさに徹底したのが、ダーウィンでありまた現代のネオダーウィニズムに
他なりません。わたしはここにこの哲学の本質的問題があり、根本的欠陥があるということを知るのです。

そもそも二元論を展開したデカルトにおいては、延長としての物質と思惟能力としての精神の二つの異なった世界
を実在の両輪として描いておりましたが、デカルト自身もそうでしたが、それ以降の近代主義者は精神的世界というものを
どこかにおきざりし、あるいはまたそれを単なる物質から派生したものとしてみなすような、つまり二元論から物質一元論
というものに成りかわっていったのです。そういう意味でダーウィニズムはまさに物質一元論を徹底的に展開した哲学に他
なりません。つまりダーウィにストが実在として信じているのは物質のみの世界であり、それの法則と原理から一切の生物の
進化が説明されるとするのがこの哲学の本質なのです。わたしはそこに決定的な間違いがあるのだと思っております。
これ以上いいますと長くなりますので、とりあえず根本的な問題としてそういう問題があるということを提起させていただきたいと
思います。

7NAN:2006/08/22(火) 22:54:24 ID:Kjsf6b36
はやしさん。

この掲示板ですと長いHN(大文字ナン)を略してNANと称していますが同一人物であることを事前にお断りしませんでした。申し訳ありません。以後、通例どおりに「NAN」で、ここでは通させてください。
#大文字のアルファベットで「NAN」と書くので大文字ナンなのですが(笑。

と、挨拶はここまで。
さて…せっかく信条を書いていただきましたが…はやしさんの信条、思想、哲学、あるいは信仰がどうであろうと、私は問題にしません。それが私あるいは第三者に迷惑となるものであったり、明白に社会的害悪となるものでない限り、なにを信条にされようと自由でしょう。

しかし、ここでは互いの哲学や哲学史観を論じたいわけでは(少なくとも私は)ありません。私が回避したい「議論の拡散・散逸」とは、まさにそういう「具体的ではない問題」に話が逸れ、なにを論点として議論しているのか、分からなくなることです。

科学と云うものは、唯物論です。そこに「目に見えない何か」だとか「感じ取りがたい何か」があるのだとしても、実在を証明できないものを排除しているからこそ、科学は道具として実用的なのです。この点において議論の必要を私は感じません。また、科学が唯物論であるからといって、科学をツールとして利用する私が唯物論者であるとは限りません。科学の使い道を私が知っているだけです。

ですからはやしさんに対しても、私はどんな哲学、信条を持とうとそれを批判する気はありません。しかし、そうした信条があるからといって、科学の用法を誤り、議論を発散させるばかりであるなら、批判の対象となります。デカルトがなにを主張しようと、そんなことはどうでもいいことですし興味さえありません。

さて「精神的世界」を排除した世界であるネオ・ダーウィニズムが間違いだとするなら、それが具体的にどのような間違いを生むのですか?まさか社会問題とか云い出しませんよね?間違ってもそんなことを云い出さないでください。ニンゲン、あるいはニンゲン社会がどんなモノであろうと、地球は地球ですし生き物は生き物です。ニンゲンがどんな思想を持とうが、原核生物やフラミンゴやシアノバクテリアやシダ類には関係ありません。

よって、私としては「具体的な議論」以外に、はやしさんのために割く時間はありません。哲学論を展開したいのでしたら、それに適した場所で、適した相手を探してください。

8はやし:2006/08/22(火) 23:14:30 ID:mzdHZfro
ご返事ありがとうございます。できれば気長に議論をさていただきたいと思っておりますので、お互いに熱くなりすぎないようにしたいと思いますがいかがでしょう。

貴兄のお答えの中でまず重大な問題に感じたことがありますので、これについてお答えください。

>科学と云うものは、唯物論です

これはどういう意味合いなのでしょうか?またそのように断言する根拠は何でしょうか?

>そこに「目に見えない何か」だとか「感じ取りがたい何か」があるのだとしても、実在を証明できないものを排除しているからこそ、科学は道具として実用的なのです

この発言にも重大な問題性を感じます。「間に見えないもの」や「感じ取りたい何か」など「実在を証明できないものを排除している」というのはどういう意味でしょうか?
それはすべての科学者がそうであり、またそのようにすべきであるという意味でもあるのでしょうか?
また「科学は道具として実用的である」という意味はいわゆるデューイのプラグマティズム的な意味で受け取りますが、その実用性というのをもう少し説明していただけますか?つまり科学というのはガリレオ以来、真理の発見や探求というものを求めてきたのが出発点であり、それは今現在も変わらない科学の使命であるとわたしは信じているのですが、これは間違いですか?

>「精神的世界」を排除した世界であるネオ・ダーウィニズムが間違いだとするなら、それが具体的にどのような間違いを生むのですか?

わたしにいわせれば、これこそ最大の問題ですので、この根本的錯誤こそがダーウィニズムのさまざまな誤りの元にあるという認識をしております。具体的な問題はまたいずれだしてゆきたいと思います。

9NAN:2006/08/23(水) 01:21:56 ID:Kjsf6b36
はやしさん。
論点でもなんでもないところで議論を重ねたいとは思いません。科学とはなにか?だとか、哲学論を交わしたいのであれば、私は議論相手を辞退します。しかしまぁ、流れが流れですので「科学とはなにか?」という点に限り、もう少しレス差し上げます。

まず、私が述べた「科学」とは「自然科学」について、です。これについて限定していなかったことは私のミスかも知れませんが、このサイトで交わす議論において「科学」というとき、それは自然科学をあらわす(なにしろ進化論について論じているのですから)ものと認識しております。

次に、自然科学とはなにか?についてですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6
↑Wiki

『自然現象を対象として取り扱い、そのうちに見いだされる普遍的な法則性を探究する学問。便宜的に、物理学・化学・生物学・地学など。単に科学ともいう。ナチュラル-サイエンス。』
↑ goo辞書より抜粋

次に、「科学とは唯物論である」と私が述べている点についてです。
この言葉の意味するところとは「証明不可能、もしくは反証不可能な知識は科学ではない」という、ポパーをはじめとする科学哲学の定義に頼るものです。形而上な事象、心の在りようや魂だとか霊性だとかについて、あるいは「超越的人格=神」だとかについて、これらが実在することを証明する手立てはありません。あるいは、反証する手立てもありません。それらは「感じるままに」あるといえばあるでしょうし、ないといえばないものです。

これら「証明不可能な事象」の存在を前提にして、つまり「心」とか「精神性」、あるいは「善悪」を科学(自然科学)の体系に取り込んだとして、惑星の運行や重力定数に変化が生じるでしょうか。生じないかも知れないけれど生じるかも知れない、というのは少しも答えになっていません。これらは「オッカムの剃刀」によって切り捨てられる事象です。

なお、自然科学の領域においてこれらを切り捨てることを、短絡的に「心や精神性をないがしろにしている」と評するひとがいます。おそらくはやしさんもそのひとりですか?しかし、それこそ短絡思考以外の何者でもありません。倫理は倫理です。科学は科学です。それぞれ持ち場があります。精神性は精神性が発揮されるべき場所、つまり芸術分野や表現分野で大いに発揮すれば良いだけです。

>この発言にも重大な問題性を感じます。

そんなことに問題性を感じるはやしさんの「科学の認識」について、むしろ私は致命的な欠陥を洞察しています。

>つまり科学というのはガリレオ以来、真理の発見や探求というものを求めてきたのが出発点であり、それは今現在も変わらない科学の使命であるとわたしは信じているのですが、これは間違いですか?

「真理」という言葉の意味から神聖さや権威性を取り除いたものこそ、真理でしょうね。つまり「観測事実、もしくは現状考え得る最高精度に達した推論値、近似値」を探求するものが「自然科学である」と云われるのでしたらその通りです。

しかし…自分で書きましたが、これらは本当に「ここでは無用な議論である」と私は認識しています。はやしさんは「進化論に対して不服がある」と述べているのは理解できますが、「進化論のここが間違っている」という点について、なにも述べていません。いや、第一掲示板ではやしさんが述べた反論は、すべてしらみつぶしに皆さんによって反証されています。再反論があるのでしたら、それを書いていただければ良いだけなのですが、どうしてもメタな議論を展開したいのですか?

はやしさん、あなたは進化生物学に関する書籍を数百冊も「読んだ」と述べられました。しかしながら、突然変異と自然淘汰、漸進的変化、個体の変異などについて、とても「読んだ」と主張できるような理解をされているとは思えません。
それはまさに「斉一性への反論」という、はやしさんの主張の根幹にある「まったくの誤解」に象徴されています。過去にはダーウィンも、現代ではドーキンスも、数億年にわたって地層が一定の速度で堆積したなどと述べていません。それらは、創造科学に傾倒しているひとたちに見られる「共通した(そして馬鹿げた)妄想」なのです。

まさに、そこが「論点」です。
それでも、どうしても「自然科学とはなにか」についてまだ議論の必要性を主張されるのでしたら、共通の知識ベースとして、

「人はなぜエセ科学に騙されるのか」 上・下巻 カール・セーガン:新潮文庫
「盲目の時計職人」 リチャード・ドーキンス:ハヤカワ書房

などを読んでみませんか。
もちろん、時間がかかって構いません。というより、私などと議論しているよりも、それらの書籍に目を通す時間を持つほうが、何倍も意義のある時間を過ごせることと思います。

10はやし:2006/08/23(水) 19:00:16 ID:KpWBAdEc
NANさんへ

論点についてですが、あまりそう結論を急がないでほしいと思いますね。わたしはじっくりとさまざまな問題について論じたいと思いますので、まず総論的な問題から入りたいと思い、先のような問題提起をしました。現代の科学は専門性がますます高くなっていますが、これは時代の要請やそれぞれの探求内容自体の深さもあると思いますが、かといってそもそも科学の成り立ちや経緯を忘れてはならないとわたしは思っているものです。さらにわれわれは通常近代科学史の過程で形成されていったさまざまなパラダイムの枠の中に無意識に存在しているわけで、それに対する自覚がなければ、つまりパラダイムそのものの成り立ちや起源を知らなければ、まるで井戸の蛙のように自己絶対化をしてしまいやすいのです。わたしはそのような科学史の生かし方や見方を東大の村上陽一郎先生の著書から学びました。貴兄にもぜひそのような視点をもっていただきたいと思います。

>科学とは唯物論である」と私が述べている点についてです。
この言葉の意味するところとは「証明不可能、もしくは反証不可能な知識は科学ではない」という、ポパーをはじめとする科学哲学の定義に頼るものです。形而上な事象、心の在りようや魂だとか霊性だとかについて、あるいは「超越的人格=神」だとかについて、これらが実在することを証明する手立てはありません。

ポパーはわたしも少し多少の受けていますので好きな科学哲学者の一人です。確かに彼の「反証不可能なものは科学ではない」という命題はわたしも支持するものですが、それは貴兄がいうように必ずしも霊魂や目に見えないものをさしているものとは思いません。たとえば脳科学者の権威で言語野などの発見に大きな貢献をしたペンフィールドという学者がいましたが、彼はそのような脳の研究をする一方で人間の心の由来を唯物論では説明できないという見方に変わっていったということを明らかにしております。彼の洞察によれば人間の心の働きはむしろ霊魂のようなものを仮定する方が説明しやすいというものです。
わたしはむしろポパーの命題はダーウィニズムにこそ適用されると思っています。なぜなら遺伝子の突然変異の機構と自然選択の理論だけで生物の進化をすべて説明しようとすることは、そもそも何一つといってもよいほどわれわれの観察によって検証されず、その仮説の正否は人間の短い人生の中ではそもそも検証不可能であるということになっておりますので、まさにこの進化論こそポパーの意味での科学とはいえないということになります。この点、いかがでしょうか?

11NAN:2006/08/24(木) 03:32:20 ID:Kjsf6b36
「総論」とはやしさんが呼ぶものとはなんですか。まずそれを明確にしてください。

さしあたって、「斉一論」だとか「生きた化石」について問題提起し、主張を行ったのは、ほかでもないはやしさん自身なのです。私は、これらについて議論することを了承しました。しかし、いざ始めてみると、はやしさんは自分で行った主張と反論について議論しようとせず、新たな主張をはじめている。これはトンドモ論者の「パターンのひとつ」であり「議論からの逃避」であろう、と私はみなしています。

>たとえば脳科学者の権威で言語野などの発見に大きな貢献をしたペンフィールドという学者がいましたが、彼はそのような脳の研究をする一方で人間の心の由来を唯物論では説明できないという見方に変わっていったということを明らかにしております。

ワイルダー・ペンフィールドがそのような主張を行ったことは知っています。しかしペンフィールドがそう主張したことが、なんだ、というのでしょう。ペンフィールドは確かに「心の不滅性」について言及していますが、それが学会やほかの脳科学者たちによって検証されたり、認められて広く受け入れられたわけではありません。重要なことは、それが「検証可能な命題であるか」なのです。

これに対してダーウィン以来の進化仮説(突然変異と自然淘汰、漸進的進化など)は、検証に検証を重ね、非常に強力で普遍的な「実在する機構」であることが確かめられている理論です。

>なぜなら遺伝子の突然変異の機構と自然選択の理論だけで生物の進化をすべて説明しようとすることは、そもそも何一つといってもよいほどわれわれの観察によって検証されず、その仮説の正否は人間の短い人生の中ではそもそも検証不可能であるということになっておりますので、まさにこの進化論こそポパーの意味での科学とはいえないということになります。この点、いかがでしょうか?

いかがでしょうもなにも、はやしさんは「さっぱり本を読んでいない」ことが分かるだけです。
あるいは「自分にとって分かりやすいところ、受け入れやすいところだけ読む」ということかも知れません。

薬剤耐性菌は、非常に短い期間で抗生物質に「適応」してしまうことが知られています。観測できるのです。ショウジョウバエを使ったさまざまな実験では、たとえばホメオボックスの変化によって器官の発生制御が狂うことも観察できます。外部由来の遺伝子「破片」が、かなり広範囲な生物群に見られることもよく知られています。

はやしさんはこれらの事実を知らないのですか。あるいは、知っているけれどこれらは進化の根拠とならない、と考えるのですか?いずれにしろ、総論に逃げていないで、具体的な議論を行いましょう。

12はやし:2006/08/24(木) 19:52:19 ID:dezLE21s
>ダーウィン以来の進化仮説(突然変異と自然淘汰、漸進的進化など)は、検証に検証を重ね、非常に強力で普遍的な「実在する機構」であることが確かめられている理論

この言明には多くの疑問がありますので、これから一つひとつ具体的に問題提起させていただきます。

とりあえず貴兄はその証拠として薬剤耐性菌とショウジョウバエの例をあげられましたが、それがどのような意味においてダーウィニズムの具体的な検証になっているのか証拠を示していただけますか?もっともわたしはダーウィニズムが100%誤りであるとは思わないので、それで説明できない現象がまったくないだろうとは思いませんが、貴兄のあげられた事例についてはわたしの知識不足であろかと思いますので、もう少し具体的に分かりやすく説明してください。
わたしの直感的な考えでは、薬剤耐性菌などの突然変異機構には単に偶然とはいえない要素をはらんでいるのではないかという機がしております。またショウジョウバエの実験に関しては昔、ウォディントンの本なども読んで知りましたが、ある意味で獲得形質の遺伝の証拠と思われるような実験結果が出ております。それについてもあわせてご説明いただければ幸いです。

13NAN:2006/08/25(金) 01:16:22 ID:Kjsf6b36
具体的な議論であれば歓迎いたします。

>とりあえず貴兄はその証拠として薬剤耐性菌とショウジョウバエの例をあげられましたが、それがどのような意味においてダーウィニズムの具体的な検証になっているのか証拠を示していただけますか?

議論、というものの成り立ちから云って、はやしさんは「一般的に正しいとされている学説である進化論」に対して、独自の見解、つまり反論をしているのです。この場合、進化論に対して反論を述べるのであれば、それを立証(証拠の提示)すべきなのもはやしさんなのです。しかし、おそらくはやしさんに根拠の提示はできないであろう、とこれまでの流れから推測しますので、私の方からはやしさんのリクエストに出来る限りお答えしたいと思います。

さて、順を追っていきます。

■薬剤耐性菌の存在が、なぜダーウィニズムの証拠となるのか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%89%A4%E8%80%90%E6%80%A7%E8%8F%8C
↑「薬剤耐性」についてのWiki

http://ja.wikipedia.org/wiki/MRSA
↑メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)

上記二つのリンクを見ることによって、薬剤耐性とは、1:もともと、ある薬剤の効果がない という場合と、2:もともとは有効であったが、ある時点で無効になった という場合の、二つのケースがあることが分かります。ここでは、院内感染などで話題になったMRSAの例を挙げますが、MRSAというのは黄色ブドウ球菌の一種です。この菌そのものは、それほど珍しいものではなく、仮にこの病原菌に感染するようなことがあったとしても、有効な抗生物質(メチシリン)、治療法が確立されていました。ところが、この菌の「変異種」であるMRSAの場合、従来有効であったはずの抗生物質が効かないために、話題となったのです。

MRSAが薬剤耐性を「獲得」する機構とは、この病原菌が持つ遺伝子領域のうち、高度変異領域と呼ばれる部分で頻繁に遺伝子変異を起こし、恐ろしい勢いで「多型」を形成していくという段階がまずあります。これはまさに、突然変異による「ランダムな変化」であり、偶然に作用しています。

次に起きるのが、云うまでもなく「選択」です。MRSAなどの病原菌には、ほとんど「無意味な遺伝子」が存在しないことが知られています。つまり、ほとんどすべての変異が表現型として現れることになります。この結果、MRSAには膨大なバリエーションが生まれることとなるのです。
それでも、大半の菌は抗生物質という「淘汰圧」に抗えず、死滅(治療されて)してしまいます。ところが、いくつかの菌は、メチシリン(従来知られていた治療薬)に対して感受性を失っていました。するとどうなるか…以後は「必然的に」そのクローンが増殖していくことになります。この機構は、まさに「突然変異と自然淘汰」の実証例です。そして、多数の病理学者たちによって「リアルタイムに」観測されている事実です。(詳細はリンクを参照ください)

14NAN:2006/08/25(金) 01:16:48 ID:Kjsf6b36
■ショウジョウバエのホメオボックスと進化論

ダーウィンが提唱し、のちに検証され普遍化していった重要な概念に「漸進的な変化」があります。これは要するに「生物は、ほんの少しずつ変化していった」ということです。またこれは「生物は、いっぺんに変化しない」という対偶の意味を併せ持ちます。
#突然変異、と聞かされると、まるでいきなり超越的な個体が生まれるような誤解を抱くが、そういうわけではない、ということ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
↑ホメオボックスに関するWiki

漸進的な変化が起きる場所とはどこか?それは云うまでもなく、生殖細胞の遺伝情報に起きるのです。しかし、実際に目に見える変化(表現型の変化)が、時に長い期間、まったくなかったかのように見えて、時には短い期間のうちに、恐ろしく変わっているように見えることは、漸進的な進化という概念に反するように見えます。そう、まさに「斉一性」が崩れているかのように見えるのです。

しかしこれは、遺伝子を観測する技術(分子生物学)や、細胞の発生機構の解明によって、具体的なメカニズムが検証されました。それが、ここで挙げるショウジョウバエのホメオボックス遺伝子です。

すでに述べてきたように、多細胞生物の遺伝情報とは…
1:たんぱく質や酵素をコードしている遺伝子
2:各器官の発生や成長を制御する遺伝子
3:まだ未解明な遺伝子、現状では意味を成さない(発現しない)と思われている遺伝子
というように、大きく分けて3つに分類されます。

ショウジョウバエで見つかった、特徴的な遺伝子のクラスター(塊)に変異が起きると、頭の触覚から肢が生えるなど、目に見えて大きな表現型の変化が発生します。これは、ほんの少しの遺伝情報の変化(漸進的な変化)が、時には大きな目に見える変化を起こす実例なのです。また、この変化は非常に大きなものであるため、大半は致命的、もしくは著しく生存に不利なものです。しかし一方、こうした変異でさえ、何億の個体が何億年のオーダーで試行錯誤を繰り返せば、必然的に「生存に有利、もしくは中立的な変化」となり得ることを示唆してもいます。

ホメオボックス遺伝子は、その後、昆虫や爬虫類、哺乳類といった多数の種で見つかっています。またそれらは、等しく発生中の胎児や幼生で体節の成長を決定しているものでした。具体的には、たとえば節足動物のように「体節単位」で定義できる生物において、ホメオボックスの重複はある体節を文字通り「コピーペースト」したかのような変異を引き起こします。

このような機構が存在することにより、分子進化のスピードがほぼ一定であるのに関わらず、時に生物はまったく変化していないように見えたり、時には大きく変化しているように見えることが説明できます。もちろん、進化のメカニズムはホメオボックス遺伝子の変化だけに委ねられるわけではありませんが、これが重要な「進化の謎を解き明かす鍵」であることは、間違いないでしょう。

15NAN:2006/08/25(金) 01:22:46 ID:Kjsf6b36
最後に、

>わたしの直感的な考えでは、薬剤耐性菌などの突然変異機構には単に偶然とはいえない要素をはらんでいるのではないかという機がしております。

何度も指摘しておりますように、進化は「偶然」ではありません。
これはダーウィニズムの基本中の基本です。どうしてそんなことが分かっていないのか、まったく理解に苦しむところですが…突然変異は偶然によって起きますが、その個体が生存し、子孫を残す(コピーをつくる)かどうかというのは、自然選択に委ねられます。

非常に単純化して云うなら、大きな石を砕いた、と考えてください。次にこの砕けた石をふるいにかけます。石が砕けて大小の破片になることは偶然に左右されます。しかし、ふるいを通り抜けるかどうか?というのは、その破片がふるいの網目より小さいかどうか、という条件に左右されます。つまりそれが「選択」です。

16はやし:2006/08/25(金) 19:39:41 ID:dezLE21s
丁寧なご説明ありがとうございます。

>一般的に正しいとされている学説である進化論」に対して、独自の見解、つまり反論をしているのです。この場合、進化論に対して反論を述べるのであれば、それを立証(証拠の提示)すべきなのもはやしさんなのです。しかし、おそらくはやしさんに根拠の提示はできないであろう、

もしかして誤解があるかもしれないので、この点についてわたしの考え方を説明しておきます。わたしは原理主義的な創造論者のように生物進化という概念そのものを否定するものではありません。現実に存在するさまざまな生物をみると、そこには当然ながら異なった種の間の類縁性などから進化という概念が認められることは当然であり、またその概念を科学的な研究対象とすることに異論はありませんし、それは人類の発展にとっても重要なテーマであると思うものです。しかしながらいわゆるダーウィニズムという理論で説明されている進化論については、わたしはこれを認めることができません。この点は前にも議論させていただきましたが、ダーウィニズムにはその哲学に根本的な欠陥があります。つまり唯物論というその前提自体が間違っているとわたしは確信しております。その根本的な誤りから多くのありえない説明がなされています。

結論を先に言いますと、わたしは生物の進化を正しく説明するためには唯物論ではなく、物質でできたこの空間世界以外の実在世界を仮定しなければならないと考えます。ペンフィールドが人間の心の働きを大脳活動だけでは説明できないと考え、霊魂のようなものを仮定する方がそのあり方を説明できるとしたように、わたしは生物の進化全般の説明においても、われわれの知っている空間以外の世界を仮定しなければ説明は無理であると考えています。貴兄はそのような世界の仮定は検証不可能だから科学的ではないと言われましたが、わたしは必ずすしもそのようには思いません。なぜそのように考えるのかということはこれから具体的に述べさせていただくことにします。

17はやし:2006/08/25(金) 20:13:58 ID:dezLE21s
>高度変異領域と呼ばれる部分で頻繁に遺伝子変異を起こし、恐ろしい勢いで「多型」を形成していくという段階がまずあります。これはまさに、突然変異による「ランダムな変化」であり、偶然に作用しています

薬剤耐性菌の遺伝子変異は果たしてどのように確認され、その原因がはっきりと特定されているのかこの説明ではよく分かりませんね。だいぶ前ですが量子力学者のシュレディンガーが核酸分子の安定性に関する著書があります。それによりますと遺伝子DNAはそう簡単には変異しないということが確か書かれていました。通常、遺伝子が変異するのは紫外線など外部からの異常なエネルギーの影響がある場合です。しかし病院内では当然そのような影響がないようにされているはずですから、そのように頻繁に変異が起こるということは非常に不自然ではないかと思いますね。わたしはここにも唯物論を前提としたダーウィニズムの無理があると思います。
わたしの推測では、害悪をもたらすバクテリアや菌類や癌細胞が時として異常な耐性を示したり、頻繁に変異が起こっているようにみえるのは、実はその生物(細胞)たちの生命力からきているのだと思います。このように書くと抽象的ではありますが、人間に目に見えない心があるように、動物にも心があります。そしておそらくバクテリアや菌類のような下等な生き物にもそれぞれ独自の心があるのだとわたしは思います。生物は生命の危機に瀕するとありえないような力を発揮したり、その危機から逃れるためのさまざまな方策を模索しようとしますね。そもそもわれわれの体の免疫機構そのものが、そのような生命力からなりたっているわけです。下等な生物にもそれぞれの生命力があるのではないでしょうか?その生命力が突然変異を起こす原因であると考えることはできないでしょうか?もちろんそのように考えることはすでに唯物論を否定することになりますが。

18NAN:2006/08/25(金) 20:59:49 ID:Kjsf6b36
はやしさん、少しはご自分で調べるととか読書するなどしませんか?

そもそも、はやしさんは「進化論を批判・否定する」以前に、進化論が提示する基本的な概念や機構を理解していません。あるいは、一度は本を読んだけれど分からなかったのかも知れません。
しかし、まったく本など読んだことがないと述べていいるひとならばともかく、あなたはご自分で「20年来何百冊も読んだ」と述べているわけです。そのうえでなお、「進化論がなにを主張しているのかも分からず、闇雲に否定している」というのが、現在のはやしさんの姿です。この点、おかしいとは思いませんか?

>なぜそのように考えるのかということはこれから具体的に述べさせていただくことにします。

前段ばかり何度も述べる必要はありません。どんなことでも脳内で確信することは誰にでもできます。空想の産物としてなら、どんな理論も可能です。問題は、それが現実にきちんと適合するかどうかです。私だって「とても面白くて夢のある進化仮説」くらい考えることができます。しかしそれは、現実とは適合しないでしょう。

>薬剤耐性菌の遺伝子変異は果たしてどのように確認され、その原因がはっきりと特定されているのかこの説明ではよく分かりませんね。

確かにその通り。だったら、「NANが云っていることは本当のところどうなんだ?リンク先にはなにが書いてあるんだ?文献はあるんだろうか?あるとしたらそれはどれくらい確かなんだ?」とは考えないのですか?私は、はやしさんと議論を行うにあたって、常に文献を手元に置き、いくつものブックマークを参照しながら「できる限り正確な記述」を心がけています。私が述べた議論は、いくらでもソースを示すことができるものです。

>通常、遺伝子が変異するのは紫外線など外部からの異常なエネルギーの影響がある場合です。

本当に、まったく、なにひとつ、はやしさんは分かっていませんね。そして、これまで多くのひとからはやしさんに対してレスがあったわけですが、それらについて真面目に考えること、調べることもされていないようですね。

分子進化の中立説を紐解くだけでも(ここは過去に議論しているのだから、まさかソースを示せとは言い出しませんね?)、遺伝子が紫外線や放射線などの外因によるものだけではなく、一定の速度で変異していくことが示されているじゃありませんか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90
↑無駄かも知れませんが、Wikiで「遺伝子」の項目をリンクします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%89%E7%95%B0
↑は「突然変異」について、です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%BE%E3%83%B3
↑次に「トランスポゾン」の項目です。

一連のリンクを参照していただければ明らかですが、突然変異は「DNA複製の際のエラーや化学物質・放射線照射(紫外線を含む)、トランスポゾンの転移など」によって引き起こされることが分かります。

>しかし病院内では当然そのような影響がないようにされているはずですから、そのように頻繁に変異が起こるということは非常に不自然ではないかと思いますね。わたしはここにも唯物論を前提としたダーウィニズムの無理があると思います。

上記してきたように、放射線の照射などがなくても、遺伝子の変異は発生します。もちろんこれは、そこら中の研究機関で確認されてる確かな話です。たまには自分で調べてみてはいかがですか?

19はやし:2006/08/25(金) 21:49:23 ID:7qlJbHLI
>そのうえでなお、「進化論がなにを主張しているのかも分からず、闇雲に否定している」というのが、現在のはやしさんの姿です。この点、おかしいとは思いませんか?

誹謗は慎みましょう。貴兄のこの言葉こそ闇雲の批判に他ならないではないですか?それから進化論という曖昧な言い方はやめてください。わたしが反対しているのはダーウィニズムという間違った哲学からなる進化論をさしております。世の中の学者のすべてがダーウィニズムを認めているわけではありませんね。さまざまな学者がダーウィニズムに反対しています。ダーウィニズムに反対しているものはみな貴兄のいうように進化論を理解していないという人をさすのでしょうか?

>>なぜそのように考えるのかということはこれから具体的に述べさせていただくことにします。

前段ばかり何度も述べる必要はありません

ダーウィニズムの矛盾はあまりにも多いので、どの問題をとりあげようかまようほどです。貴兄がそれほど聞きたいのなら、では一つの難題について貴兄の説明を聞かせていただきましょう。木の葉蟷螂などの擬態はどのようにして進化しえたのでしょうか?偶然にしてはあまりにもよくできすぎていると思いませんか?これは誰もいだく素朴な疑問ですので、分かりやすく説得力のある説明をしていただきたいものです。

20はやし:2006/08/25(金) 22:24:23 ID:7qlJbHLI
このような形態の昆虫がいるのですが、これも偶然の突然変異と淘汰の積み重ねで出現したのでしょうか?
http://kohiyama.wem.sfc.keio.ac.jp/win/f_konoha.html

21NAN:2006/08/26(土) 01:00:31 ID:Kjsf6b36
>誹謗は慎みましょう。

そろそろ始まる頃合か、と思っていましたが想像通りです。
私があなたのなにを誹謗したでしょう。あなたは進化論をまるっきり分かっていないのに、進化論に関する本を何百冊も読んだ、つまり「進化論を十分に理解している」と述べたのですよ。それに対して、今回の反論にあるような「昆虫の擬態」を再反論のために例示してくるなど、愚かにもほどがあります。私は「はやしさんの言動」という事実にもとづいて、批評しているに過ぎません。もしも私の態度に不満があるのでしたら、その原因はご自分の不誠実さにあるのです。

さて、まったく薄っぺらい反論に答えておきましょう。

■コノハムシに代表される昆虫などの擬態について

さんざん説明してきているのに関わらず、いまだにはやしさんは「自然淘汰」の強力さを少しも理解できないようです。しかし、もう少しの間、説明を試みましょう。

コノハムシでもハナカマキリでも構いませんが、彼らは決して高い機動力を持つ生き物ではありません。ですから、彼らがこれまで生き延びてきた背景には、ちゃんとした理由があります。それが、いわゆる擬態にあるわけですが、ただじっとしている生き物に比べれば、少しでも背景(樹や木の葉)に似ている個体の方が生き延びやすいことは明白です。体の一部が「ほんの少し」木の葉に似ているがために、その子孫は生き残り、そうではなかった個体は絶滅したであろうことが、進化論の予測するところです。

より多くのライバル、捕食者がひしめく樹上の狭いニッチにおいて、激しい競争が繰り広げられているのは現在も変わりません。ここで、カモフラージュがうまくなっていったのは不思議でもなんでもありません。少しでも、ほかのライバルよりカモフラージュが下手だった個体は、食べられて子孫を残せなかったのです。

ちなみに、「不思議な形態」をしている昆虫は「偶然ではあり得ない」などと大間違いを論じる割に、スズメバチやアリのように、身近に見る昆虫には不思議を感じないことが、私には不思議でなりません。

ここで、「狩り」というキーワードで動物の生態を考えるとき、最初に思いつくのは、獲物を探し、見つけたら追いかけて倒し、殺して食べるというパターンです。この狩りを成功させるためには、
・鋭敏で広範囲におよぶ視聴覚
・逃げる獲物を追いかける機動力
・逆襲してくる獲物を倒す攻撃力
の3つが身体能力として備わらなければならず、非常に華やかではありますが、かなり危険な戦略であることも分かります。まず、獲物も必死で逃げるでしょうし、必死で戦うでしょう。場合によっては、狩りに行った側が狩られてしまうケースもあるのです。

狩りを成功させたり、逃げおおせることに成功するためにも、これだけ難しいハードルが存在します。いずれにしろ、満足いく形態を得られなかった種は、進化の歴史の中で淘汰されてきたことでしょう。

さて、ここまで対話を試みてきて、はやしさんはダーウィニズムをまったく「知らない」ということが明白になってきました。果たして、知りもしない相手を否定したり、批判することが可能なのでしょうか。

22NAN:2006/08/26(土) 01:30:52 ID:Kjsf6b36
ここまではやしさんと「議論めいたこと」を重ねてきた経過について、思うところを書きましょう。

まず、私ははやしさんが「相当に進化論を理解したうえで、反論をしてくる」のではないか、と考えていましたが、これはまったくの期待はずれでした。残念ながら、はやしさんはさっぱり進化論を分かっていません。

次に、はやしさんが「総論」と呼ぶ科学の定義や成り立ちについてですが、これも例のごとく、科学と思想や信条の違いが分かっていないという、見当はずれの主張が続いています。それはまるで、パーソナルコンピューターにマヨネーズをかけろ!と云っているようなものです。
「マヨネーズを使わない食べ物は食えない、許さん!」
「あ〜、でもパソコンは食い物じゃないんですけど…」
みたいな話です。

しかし、それにも増して致命的なのは、創造という「信仰」を、どうしても科学の範囲に収めようとしてしまう器量の狭さでしょう。なぜなら、信仰は「いついかなるときも(そのひとにとって)正しい」ものであるからです。ところが科学は、絶対性を保証してくれません。なぜ、せっかく「いつでも正しい」ものを、「条件によっては間違いになる」もので保証しなければならないのでしょう。この点が、私にはさっぱり理解できません。

もう少し詳述するなら、創造そのものを科学は否定しません。無論、肯定もしませんが、創造の正しさは、それを信じる限り少しも揺らぐことなどないのです。しかしよりによって、なぜ聖書の記述と現実が合致する必要があるのでしょうか。創造科学がどれくらい欺瞞に満ちていて、捏造とでっち上げの産物であるのか、分からないひとには本当に分からないのでしょうか。
「私たちがここにいるのは、神の思し召しなんだよ」
「だといいですね〜」
という会話について、科学はなんの異論も挟みません。
たったそれだけのことなのに、本当に不思議ですね。

23はやし:2006/08/26(土) 12:19:42 ID:KpWBAdEc
>私があなたのなにを誹謗したでしょう。あなたは進化論をまるっきり分かっていないのに、進化論に関する本を何百冊も読んだ、つまり「進化論を十分に理解している」と述べたのですよ

これも誹謗ですね。「進化論をまるっきり分かっていない」という言葉は「君は頭が悪い」というのと同じ侮蔑(=誹謗)でしょう。基本的に相手の感情を害するような言葉や侮蔑的な言葉を投げつけることは誹謗にあたると思いますね。わたしもときに言い返したいこともありますが、この場ではできるだけ感情的にならずに議論を発展させていきたいと思っておりますので、その辺は互いに気をつけてゆきたいと思いますが、いかがでしょうか?

>進化論に関する本を何百冊も読んだ、つまり「進化論を十分に理解している」と述べたのですよ。それに対して、今回の反論にあるような「昆虫の擬態」を再反論のために例示してくるなど、愚かにもほどがあります

つまり貴兄は「進化論に関する本を何百冊も読んでいる」ならばコノハムシの擬態について何の疑問ももてないほど、そこでは完璧に説明されているはずだといいたいわけですか?わたしはそのような本は読んだことがありませんし、もし先の貴兄の説明で終わりだとするなら、それこそトンデモ学説以上にありえないことをさもあるかのようにみせかけているようにしか思えませんね。
もう少し具体的にいわせてもらいますと、コノハムシの形態が確かにコノハムシの生存にとって有利に作用しているので、彼らは生き残る確率が高かったということをあなたは言っているだけで、そんなことはあたりまえで誰でも分かっていることです。わたしが聞いているのはそういうことではなく、あの形態がなぜ偶然の突然変異の累積で出現するのかということの確からしさです。少なくとも貴兄の説明ではまったくその確からしさの説明がないのですよ。それとも突然変異の機構はどんな不可能に思えるものでも可能にするのだと主張しているだけなのだとすればそれでは無責任にもほどがあるでしょう。

24はやし:2006/08/26(土) 12:31:33 ID:KpWBAdEc
>それにも増して致命的なのは、創造という「信仰」を、どうしても科学の範囲に収めようとしてしまう器量の狭さでしょう

わたしはこの場でも何度もいっているつもりなのですが、わたしは貴兄がいうような聖書の言葉を絶対化してそれを「科学の範囲に納めようとしてしまう器量の狭い」創造論者ではありませんよ。一応、聖書の神を肯定はしておりますが、進化という現象については認めております。ただ、何度もいうように唯物論を前提としたダーウィニズムは根本的に間違っているということを主張しておるのですが。

25はやし:2006/08/26(土) 12:36:02 ID:KpWBAdEc
>ちなみに、「不思議な形態」をしている昆虫は「偶然ではあり得ない」などと大間違いを論じる割に、スズメバチやアリのように、身近に見る昆虫には不思議を感じないことが、私には不思議でなりません

不思議なのはもちろんコノハムシだけじゃないのは当然ですよ。少なくともわたしは貴兄以上に自然のあらゆる現象に対して不思議と神秘を感じております。しかしなんといっても最大の不思議はわたしというこの存在と意識の不思議ですね。意識とは何でしょうかね?それも唯物論で説明できますか?

26NAN:2006/08/27(日) 23:39:47 ID:Kjsf6b36
さて、二日間の休暇も終えましたし、明日からは新店舗のデザインやら施工やらで忙しくなりますが、続きを書いてみましょうか。というか、すでに「実り」は期待していませんが。

>これも誹謗ですね。「進化論をまるっきり分かっていない」という言葉は「君は頭が悪い」というのと同じ侮蔑(=誹謗)でしょう。

遠まわしに云っていますが、私は「はやしさんは頭が悪い」と考えています。その通りです。
感情的になろうがなるまいが、そんなことは好きにすればよろしいでしょう。大事なことは、事実を重んじ、論証に耐える証拠もしくはソースを提出しつつ、自説を展開することです。この「議論のルール」において、はやしさんはさっぱり説得力のある発言をしていないし、する気もないようだ、と述べているのです。

>わたしはそのような本は読んだことがありませんし、もし先の貴兄の説明で終わりだとするなら、それこそトンデモ学説以上にありえないことをさもあるかのようにみせかけているようにしか思えませんね。

ご自分には文章読解力や認識力、想像力や洞察力にまったく問題がない。そのうえで「何百冊も進化論に関する本を読んだ」のだけど、コノハムシをはじめとする擬態について「まともな説明」がなかった、ということですね。それはいったい、どんな「進化論に関する本」なのですか?
#「種の起源」一冊で十分だと思うのですが。
#仕方がないので、もう一度書きますけどね。

私は数百冊どころか、数十冊の文献さえ読んでいませんが、それらが十分に科学的であり、学会をはじめとする研究機関や現役の生物学者に信頼されており、著者それぞれが「現実の科学」において多大な業績を残したひとびとであることを加味し、さらには自分自身の科学的理解力の中で幾度となく理解につとめ、それでもまだ完全に「分かった」とは思えないものの、擬態くらいは「十分に理解できる」と思えるところに達しました。

何度も云いますが、ここで行っている「短いやりとり」で、私の理解のすべてを書ききることは不可能です。しかし、私はソースの提示を行っています。これに対してなぜ、はやしさんは「NANの云っていることはどれだけ信憑性があるんだろうか?」と、ご自分でアクションしないのですか?
それは「馬鹿」としか云いようがないありさまですよ。

>ただ、何度もいうように唯物論を前提としたダーウィニズムは根本的に間違っているということを主張しておるのですが。

なにを主張しているのですか?はやしさん、あなたはなにも主張していません。
あなたはそば屋に来て「このそばはスパゲッティーではない!」ということに憤慨しているだけです。

ニュートン力学の数理系の中に唯物論以外のなにかがありますか?
相対論でも量子論でもいいですよ。

ニュートンは確かに神を信じていた「かも知れません」けれど、ニュートンの編み出した数々の公式の中に、神の存在はありません。これはダーウィンだって同じことですし、私にだって云えることです。

>わたしは貴兄がいうような聖書の言葉を絶対化してそれを「科学の範囲に納めようとしてしまう器量の狭い」創造論者ではありませんよ。

「斉一性」という言葉の「創造科学に出てくる局材的な意味」を重視している段階で、十分に視野が狭すぎます。150年も前にとっくに却下されている主張を持ち出してくるだけの説得力など、はやしさんの主張のどこにもありません。ただ「無知なんだな」ということが分かるだけです。

自分の無知を認める潔さを持たず、さも膨大な知識があるかのように「見せかける」詭弁を行うことは、とてもとても器量の大きなひとのやることには見えません。

27NAN:2006/08/28(月) 01:14:08 ID:Kjsf6b36
>少なくともわたしは貴兄以上に自然のあらゆる現象に対して不思議と神秘を感じております。しかしなんといっても最大の不思議はわたしというこの存在と意識の不思議ですね。意識とは何でしょうかね?それも唯物論で説明できますか?

なるほど、例のごとく説得力の欠片もありませんが、はやしさんが「NANよりも自然現象に不思議と神秘を感じている」と力説する根拠はどこにありますか?

そのうえで、今度は「意識」ですか。どうしてそう、節操もなく話題を発散させるのですか?ひとつの議論に集中するとボロが出るので困るのですか?ちなみに私はこれまで、いくつかはやしさんの主張の根幹を成す論点に反論を述べています。これらはスルーですか?それとも、ほとぼりが冷めたころに「反論などなかった」かのように再提示を行い、まったく同じ説明を求める気ですか?

次々に質問を行い、次々に曖昧にし、膨大なソースだけを提示させ内容を吟味しないで議論を発散させていくというのは、まともに議論をする気などない、自分の云いたいことだけを書きなぐるタイプの「バカモノ」に典型的なパターンです。そう、はやしさんのことですよ。

さて、意識ですね。
もちろん、私ははやしさんに対して「最低限の誠意」を持ち合わせていますので、私見を述べます。

『脳はなぜ「心」をつくったのか』 前野隆司著・筑摩書房刊
という本があります。(前野氏は慶應義塾大学助教授で工学博士です。)私はこの本のすべてが十分に吟味された内容だ、とは思っていませんが、さまざまな考察には検証の価値があり、提示されたソースには実験データとしての客観性が備わっている、と評価しています。この本の中で紹介されている、1980年代にカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の神経生理学教室において、リベット教授のもとで行われた興味深い実験について書きましょう。

要約すると、被験者の大脳に電極を取り付け、被験者が「指を動かしたい」と意図した瞬間、実際に指が動き始めた瞬間を記録するテストを行い、これらのタイミングが時系列でどのようになるかを測る、というもの。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0021630/top.html
↑参考ソース

この実験で「計測」する重要なタイミングは3つあります。
a:被験者が指を動かそう、と「意図」する瞬間
b:被験者の大脳が指を動かすために「運動準備電位」を発する瞬間
c:実際に指が動き始める瞬間
以上ですが、私たちは誰でも「指を動かそうとしたのだから指が動いた」と考えるでしょう。また、熱いものに触ったときなどの「反射的」動作でない限り、自発的な動作というものはすべて、「意識」があったからこそ、行動を起こした、と考えているでしょう。事実、私もそうでした。

ところが、実際の計測結果は予想を裏切るものでした。
1:運動準備電位の発生→550ミリ秒前
2:意識が「指を動かそう」とする瞬間→200ミり秒前
3:実際に指が動く瞬間→0

指が「意識」よりも後に動くのは当然として、その動作を意識するよりも「先に」運動準備電位が働くというのは、完全に予想を裏切る結果でした。しかも、このデータは数々の追試によって確かめられています。

つまり、この実験から分かることとは、私たちの脳では、私たちが「意識した」と感じる、あるいは認識するより以前に、私たちが認識することのない「働き」によってなにかがはじまり、その結果を受け取ることによって「意識した」と感じているらしい、ということです。

私が私を「私だ」と感じているのは、私には認識できない「なにか」があらかじめ働いていて、そのなにかのパルスを受け取った脳が「確かに私はいる」と感じさせているらしい、ということです。
するともしかすると…意識、というものは、私たちが便宜上利用している「錯覚」に過ぎないのかも知れないという、重大な示唆がここにはあります。もちろん、これは仮説であり、まだ断定できる内容ではないでしょう。

それでは、私を「私である」と感じさせる原動力とはなんでしょうか。魂だとか霊などという、超常的ななにか、科学では説明できないなにかなのでしょうか。私の結論はそれほど難しいものではありません。魂や霊を持ち出すまでもなく、生まれてきてからこれまで生きてきた「膨大な記憶」こそが、私を私と「思わせている」根源であろう、と私は考えます。つまり私という意識は「学習の結果」であり、なにか神秘的で不滅な存在が「宿った」ようなものでは、ないのでしょう。その根拠はいくらでもありますが、少しは誰かに考えてもらいましょう。また、私という意識が学習の結果であろうとなんであろうと、意識の存在が少しも貶められるものではなく、その創造性や感動する心、さまざまな情動が鮮やかさを失うなどとは、まったく思いません。

28NAN:2006/08/28(月) 03:34:28 ID:Kjsf6b36
さて、もうまとめましょう。
愚かにもほどがある、と私が感じる点は、以下に集約されています。

>わたしが聞いているのはそういうことではなく、あの形態がなぜ偶然の突然変異の累積で出現するのかということの確からしさです。

いったい何度、「進化は偶然ではない」と私に書かせれば気が済むのでしょう。
そして「ダーウィンの著書を読んだ」と述べる人物が、なぜこれほど基本的なことがらを理解できないのでしょう。まったく理解に苦しみます。

まさか私に、種の起源に記されている内容のすべて、ドーキンスの説明のすべて、グールドの説明のすべて、エルドリッジの説明のすべてをここに書かせる気なのでしょうか?(いや、下手をするともっと多くの専門家による説明が必要なのだろうか)
細かで具体的な議論を嫌がり、総論に逃げたからには、総論を議論するに値する正しい知識と理解が備わっているもの、と私は「好意的に善意的に親和的に」はやしさんの知識を評価しました。ところがあなたは、「突然変異と自然淘汰」の意味が「偶然の累積」だと考えている。誰がいったいそんなことを説明したのですか?

>それとも突然変異の機構はどんな不可能に思えるものでも可能にするのだと主張しているだけなのだとすればそれでは無責任にもほどがあるでしょう。

↑あまりの馬鹿、あまりの愚鈍さに呆れてモノが云えません。
私は「突然変異」だけでなにかを説明しようなどと一度も試みていません。また、ダーウィン進化論にしろダーウィニズムにしろネオ・ダーウィニズムにしろ、同じことです。あなたが自助努力を行い、ダーウィン進化論を正しく理解した上で批判を行うのであれば、私はいくらでも出来る限りの時間を割いて議論に挑みます。しかしこの調子で堂々巡り、自分は一切反省しようとせず、まったく的外れの主張を行うのであれば「対話の価値なし」とみなします。

もちろん、私の意図ははやしさんに進化論を理解してもらうことではありません。そんなことは不可能でしょう。あなたはその他の創造科学信奉者と等しく、さっぱり進化論を理解していない、ということをギャラリーに「あなた自身の発言によって」示しました。
それで十分だ、と私は考えています。

29はやし:2006/08/28(月) 13:02:56 ID:KpWBAdEc
>遠まわしに云っていますが、私は「はやしさんは頭が悪い」と考えています。その通りです。

誰に対してであろうと「おまえは頭が悪い」といえば、それは相手に対する誹謗になります。貴兄は「誹謗ではない」といわれておりますが、その表現が誹謗で無いとすれば一体何が誹謗にあたるのでしょうか?
ましてや議論の相手に対してまともな内容の応酬ではなく、そのような言葉しか発することが出来ないとすれば、もはや自らには相手を説得する力がないということを認めたことに他ならないでしょう。つまり自分の説得力の無さを相手の頭の悪さのせいにするのは最も卑劣な責任転嫁だともいえるでしょう。
もう少し遠慮なくいわせてもらうと、わたしも「あまえは頭が悪い」と貴兄に対して言いたいことはやまほどありますが、それを言ってしまえばおしまいで議論にならないからがまんしております。正常な議論をしようとおもえば、それは当然のことでしょう。その最低限のがまんもできないとすれば、およそ意見のちがう相手に議論を挑む資格はないものといわねばなりませんね。

30はやし:2006/08/28(月) 13:07:43 ID:KpWBAdEc
>ニュートン力学の数理系の中に唯物論以外のなにかがありますか?
相対論でも量子論でもいいですよ

この言葉で、あなたが少なくとも量子論について何も分かっていないことは確かですね。

31はやし:2006/08/28(月) 13:11:41 ID:KpWBAdEc
>何度、「進化は偶然ではない」と私に書かせれば気が済むのでしょう

ネオダーウィにストの最高権威の一人あるといわれている故ジャックモノーにいわせると生物の進化どころか生命の起源さえも「ほとんど可能性ゼロに近い偶然で起こった」と認めておりますが。

32NAN:2006/08/28(月) 21:09:56 ID:Kjsf6b36
>貴兄は「誹謗ではない」といわれておりますが、その表現が誹謗で無いとすれば一体何が誹謗にあたるのでしょうか?

ま〜だそんなことも分からないんですね。予想通りですが。
「頭が悪い」と云われて頭に来たのでしたら、単に「頭が良い」ことを示せばいいだけです。数百冊もの文献に目を通しながら進化論を批判しているのでしょう?それならば、もっと説得力のある批判をして、私ごとき素人など「参った!」と云わせたらどうですか?

>この言葉で、あなたが少なくとも量子論について何も分かっていないことは確かですね。

もちろん、数理の体系である量子論の「本当のところ」など、私には分かりません。私は、自分が無知であることを熟知しています。さらに、知能もそれほど高いわけではありません。だから、さまざまな書籍に常に目を通し、熟考し、文章を書くのです。

ただし、はやしさんの量子論の理解はめちゃめちゃです。こじつけの嵐です。
アインシュタインは量子論を「理解できなかった」わけではありません。誰よりも深く量子論を理解していたからこそ、EPRパラドックスなどを提唱し「神はサイコロを振らない」と主張し、逆らったのです。よろしいですか?アインシュタインは光電理論でノーベル賞を受賞しています。これこそ、まさに量子論の黎明です。
#シュレーディンガーの猫で有名なシュレーディンガーだって、量子論の観測者効果を批判するために「猫の生死」というマクロな問題を問いかけたのですけどね。
#こういう批判こそ「理論をきちんと理解したうえでなされる批判、科学的反論」なのですよ。

さらに…コペンハーゲン解釈による量子論の理解だけが量子論ではないのですよ。
エヴェレットの多世界解釈もあります。私の大好きなリチャード・ファインマンによる経路積分法も量子論を理解するためには必要でしょう。

http://homepage2.nifty.com/qm/index_jap.html
↑エヴェレットの多世界解釈の解説サイト

どちらにせよ、量子の振る舞いは「確率的に」現されるだけのことで、決定論を完全に覆しているわけではないのです。物質はすべて、もっとも高い確率で現される経路を「必然的に」通るのです。これは進化論で云う自然選択のメカニズムにも通じる概念です。
#つまり、はやしさんには理解不能でしょうねぇ。

33はやし:2006/08/28(月) 21:23:16 ID:xa9XiOiY
>「頭が悪い」と云われて頭に来たのでしたら、単に「頭が良い」ことを示せばいいだけです

まあ、まあ。もうやめましょう。お互いに、非生産的なことはね、

>。私は、自分が無知であることを熟知しています。さらに、知能もそれほど高いわけではありません。だから、さまざまな書籍に常に目を通し、熟考し、文章を書くのです。
ただし、はやしさんの量子論の理解はめちゃめちゃです。こじつけの嵐です。

この表現も矛盾していますが、、、、自分の無知を熟知しながら、なぜ他人の無知を指摘できるのかよく分からない理屈です。ソクラテスのいう意味なら理解できるのですがね。

ここらでよければ話題を転換したいと思いますが、いかがでしょうか?
ダーウィンは種の起源の中で生物の進化と分化の過程で膨大な種の中間型生物が存在したはずであり、それらは化石として地中に埋まっているはずだという意味のことを書いておりますが、今日までそれらの予想された中間型の生物はほとんどといってみつかっておりません。
これはいかように説明されますか?

34NAN:2006/08/28(月) 23:11:59 ID:Kjsf6b36
今日も例のごとく拡散ですね。
いいでしょう、つまり、私からの指摘に「ぐうの音も出ない」ということなのでしょうから。

>今日までそれらの予想された中間型の生物はほとんどといってみつかっておりません。
これはいかように説明されますか?

はやしさん、あなたはなにを根拠にそんなことを述べているのです?
少なくともグールドの著書を読んだ「らしき」ことを書いていましたよね?
それともこれも、レビューや横帯を斜め読みしただけですか?
そういうのは「読んだ」と云わないんですよ、恥ずかしくて。

映画「ジュラシック・パーク」で有名になったヴェロキ・ラプトルは?
http://www.dino-nakasato.org/jp/special97/Fight-j.html
ちなみにジュラシックパークの原作者マイケル・クライトンが登場させたのは、ヴェロキラプトルではなくディノニクスらしいですが、本来のヴェロキラプトルには羽毛があり、軽い骨格を活かした敏捷なハンターであったことが推測され、現在の鳥類に至る「中間型」であったと考えられています。

無論、ラプトルから現生の爬虫類、鳥類には「距離」があります。しかし、化石というものは、それほど頻繁に残るものではありません。土台、何万年単位で時系列にきちんとならんで化石が発掘されるはずなど、ないのです。

また、時に進化は「大きな形態の変化」を生むのです。これは、先に示したホメオボックス遺伝子の変異に見られるように、ほんの僅かな遺伝子の変異(漸進的な変異)によって、ショウジョウバエウの触覚が肢に変化してしまうなどの観測結果によって実証されています。たんぱく質として直接「発現」する遺伝子だけではなく、成長をコントロールする遺伝子もあります。これらに起きる「僅かな変化」は、たとえばセントバーナードとチワワの差のように、見た目としては劇的な変化を見せることだってあります。

ところでまだ「進化は偶然の蓄積」とか考えていますか?

35NAN:2006/08/28(月) 23:17:05 ID:Kjsf6b36
>この表現も矛盾していますが、、、、自分の無知を熟知しながら、なぜ他人の無知を指摘できるのかよく分からない理屈です。

きみは、ほんとうに、ばかだなぁ。

私は無知であることを知っている。
だが、あなたほど無知ではないことも、知っている。
それだけですよ。

アインシュタインが量子論を「理解できなかった」なんて超デマを、得意そうに講釈しちゃうおばかさんの真似なんかできません。

36NAN:2006/08/28(月) 23:41:56 ID:Kjsf6b36
【参考資料】
佐藤勝彦監修 『量子論』を楽しむ本 PHP文庫刊 より

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 量子を波として考えるというド・ブロイの発想は、非常に大胆なものでした。
 しかし当時既にノーベル賞を受賞していたアインシュタインは、ド・ブロイの理論を高く評価して、自分の論文に引用しました。そもそも物質波の発想は「波だと考えられてきた光を粒子としてみなす」という光量子仮説をヒントにしているので、光量子仮説を唱えたアインシュタインがこれを認めたのも当然だといえるでしょう。
 そのアインシュタインの論文を通して物質波の概念を知り、強い興味を覚えたのが、オーストリアの物理学者シュレーディンガー(1889〜1961)です。そして1926年にシュレーディンガーは、物質波の伝わり方を計算する方程式を発表しました。これをシュレーディンガー方程式と呼びます。
 この方程式を解けば、物質がどんな「形」の波を持ち、その波が時間の経過とともにどのように伝わっていくのかが計算できます。シュレーディンガーはこの方程式を用いて、水素原子中の電子のエネルギーがボーアの量子条件のとおりに「とびとび」になっていることを示しました。
 シュレーディンガーの論文は、プランクやアインシュタインからただちに絶賛されました。このシュレーディンガーの理論は「波動力学」と呼ばれ、ミクロの世界の運動法則を記述する量子力学の基本的な理論になったのです。(P.115〜116)
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以上のように、アインシュタインは量子力学を深く理解していました。また、深く理解していたからこそ、彼は自分の直感と信条に基づいて、当時の確率解釈について異論を唱えたのです。そう、アインシュタインは「理解できなかった」のではなく、理解していたからこそ的確に、なにものも光速度を超えて伝達することはできないことを根拠に「EPRパラドックス(アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの頭文字)」を唱えたことは有名な話です。
なお、結果的にEPRパラドックスはアスペの実験によって、ベルの不等式が成り立たないことが実証され、量子論の予測する結果が「正しい」とされ、棄却されたのです。

37はやし:2006/08/29(火) 18:10:00 ID:KpWBAdEc
>例のごとく拡散ですね。
いいでしょう、つまり、私からの指摘に「ぐうの音も出ない」ということなのでしょうから

貴兄は何を勘違いしているのか知りませんが、よければ元に戻って議論を発展させてもよいのですよ。わたしはむしろ化石にはあまり詳しくないので、むしろ進化のメカニズムについていろいろ論じたいとは思っておりますが、貴兄の方が説明に窮すると冷静さを失ってしまうようなので、あえて話題を転換した方がよさそうだなと思っただけです。まあ、こちらはあげればきりがないほどダーヴィニズムについての疑問点がありますので、どの分野でも結構ですので、とりあえず貴兄に紹介していただいた鳥類の中間型と考えられる化石について論じてみましょう。
まずご紹介いただいた化石はどのような点で鳥類の中間型化石だといえるのか明確に指摘してください。

38はやし:2006/08/29(火) 18:17:17 ID:KpWBAdEc
>化石というものは、それほど頻繁に残るものではありません。土台、何万年単位で時系列にきちんとならんで化石が発掘されるはずなど、ないのです

その考え方を分かりやすく説明していただけますか?一方、膨大な化石がでてきたりする地層がありますが、それはどのように説明されるのかという点もあわせて教えていただけますか?

39NAN:2006/08/30(水) 02:31:06 ID:Kjsf6b36
>貴兄は何を勘違いしているのか知りませんが、よければ元に戻って議論を発展させてもよいのですよ。

わはは。あなた本当に笑えます。
私は、あなたが提示した論点を最初に確認しています。これに対して、具体的な議論を避け、総論とかいう「逃げ」をはじめたのは、はやしさん、あなたです。自分で逃げたくせに、私が逃げているかのように「嘘をつく」のはやめましょうね。

>貴兄の方が説明に窮すると冷静さを失ってしまうようなので、あえて話題を転換した方がよさそうだなと思っただけです。

いえいえ、私ははやしさんを馬鹿にしていますが、冷静です。
この点は、はやしさんにとっては「不幸な事実」ですが、最低限の礼儀としてお話しします。

過去にこのサイトには、数多の創造科学論者、原理主義的創造論者が訪れ、ほとんど「はやしさんとまったく同じか、はやしさんよりもう少しまともな議論」を展開してきました。また、その大半は、総論だとかメタな議論に逃げ、議論ではなく「感想や思想」ばかり述べ、根拠の提示を行わず、コロコロと論点を変え、しまいには荒らしまがいの言動を行ってきた歴史があります。それらは管理人さんが「過去ログ」として保存されており、今もなお閲覧することが可能です。

一度や二度の出来事であれば、私もここまで創造科学に傾倒するひとたちを、ステレオタイプな先入観で見ないでしょう。また、新たに創造論者が現れたとしても、最初から馬鹿にしないようにはしています。同じ創造科学でも、私を驚かせるに値する「新たな知見」を持つ人が、現れないとは限らないからです。しかし、一連のやりとりによって、はやしさんは、私が知る「いつもと同じ」創造科学かぶれの域を少しも脱していない御仁であることを露呈してしまいました。

ちなみに、どのへんが「馬鹿にするに値する」というかですが、
>まずご紹介いただいた化石はどのような点で鳥類の中間型化石だといえるのか明確に指摘してください。
↑なんか、典型的ですね。

なにを「勘違いしている」のか知りませんが、ダーウィン的進化論に対して反論を述べているのは、はやしさん、あなたです。何度も云うように、通説に対して反論を述べたいのであれば、立証責任はあなたの側にあります。しかしあなたには「その能力と知識がない」ようなので、ギャラリー(ジャッジ)への配慮を鑑み、私が説明をしているのです。

本来であるなら、ヴェロキ・ラプトルが「トリと爬虫類などを埋める中間型であると云われている」ことを知った上で、この通説に対して「こことここが事実(観測)と矛盾するので、その説は間違いではないのか」と「はやしさんが」述べるべきなのです。いつまでも甘えっ子をしていないで、「自分で調べて主張する」ことを、そろそろはじめてはどうですか?

ついでに、
>その考え方を分かりやすく説明していただけますか?
はやしさんには記憶力というものが欠如しているようですね。

第一掲示板で多数の方々が、その点を説明していましたが、忘れてしまいましたか?
私は善人ではないし優しくもないので、何度も同じことを説明したり、リンクを張るのは嫌なのです。はやしさんが馬鹿なのはよく分かりましたが、なぜ私が「はやしさんのレベル」にいちいち合わせなければならないのですか?私はあなたの教師ではありません。

「NANのようなバカモノ」にも分かるように、はやしさんの持論はこれだけ事実に合致し、進化論を反証できる根拠を持つ、高い説得力を持つものである、と示すべきなんじゃないですか。

40NAN:2006/08/30(水) 04:13:06 ID:Kjsf6b36
さて、はやしさんに対する「総論のまとめ」として、以下の発言をしておきましょう。

故カール・セーガンの著書「人はなぜエセ科学に騙されるのか(新潮文庫)」は、創造科学論者やその他のトンデモさんと議論する際、この上なく重宝する資料です。この中で、下巻p.153からデーヴィッド・ヘスの「新時代(ニューエイジ)の科学」を一部引用したうえで、以下のような論点があるので紹介してみましょう。

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 ヘスの批判はもっともである。だがその彼の論調も、あっというまに低レベルの不平不満(引用者注1)へと転がり落ちてしまう。いわく「超心理学者は、懐疑的な心理学者のせいでキャリアをだいなしにされている」。あるいは「懐疑主義者たちは、唯物論的、無神論的世界観を守り抜こうという、宗教的ともいえる情熱をもっている。そこには”科学的根本主義”の匂いがする」などと。
 これはありふれた不満(引用者注2)だが、私に言わせればなんともなぞめいた(オカルト的と言ってもいい)言い分だ。くりかえすが、われわれは物質の存在とその性質について多くのことを知っている。もしもある現象が物質やエネルギーでよく理解できるなら、なぜそれ以外のもの(とりわけ、存在するという証拠もないもの)の存在を仮定しなければならないのだろうか。ところが、こうした不平を言う人たちは、こう言って食い下がるのだ。懐疑主義者たちは総じて無神論的唯物論者だから、うちのガレージにいる、目に見えない火を吐く竜を信じようとしないのだ、と。(p.154〜155)
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※注1:はやしさんに限らず、「進化論に異を唱えるひとたち」の大半は、科学的反証によって進化論を批判しているのではない。自分が進化論を「理解できない」あるいは「許せない」さらには「知らない」ことを理由に、どういうわけか「進化論は間違っている」と述べる。いったいなぜ「知りもしないし分かってもいない理論の間違い」を、証明できると言うのだろう。それはただの「不平不満」である。

※注2:科学の営みが「唯物論である」ことに不満があっても構わないだろう。だがそれは、科学の営みが「間違いであること」を示唆しているわけではない。それは「ソフトクリームが冷たくて甘い」ことに対して「甘くて冷たいものは嫌いだ」という言明にはなるが、ソフトクリームが冷たくて甘いことが「間違いである」ことの証明には、少しもならないのである。料理やデザートに好き嫌いがあることはありふれている。はやしさんの主張は、そういうありふれたものでしかない。

カール・セーガンがヘスを批判したのとまったく同じく、はやしさんの主張は「個人的な不平不満」にほかなりません。それはただ「進化論が許せない」だとか、「あんな理論は理解できない」という主張です。百歩譲って、説明を求めるという行為に「懐疑主義的な味付け」はありますが、何度説明を試みても「その説明じゃ分からない」という答えが待っているばかりであり、行く先は「自分に理解できないということは、間違っているに違いない」という、どこにも普遍性のない不平なのでしょう。

誰もが、自分の能力や身体的特徴に不満を持っています。たとえば、私はもう4センチだけ身長が欲しいものです。この不満は、私という個人の「内面に対して」常に正しい主張ですが、すなわちそれが「NANの身長は175センチであるべきだ」という普遍性を保証することはできません。はやしさんがどれほど強く「科学が唯物論であることなど許せない」と思っても、それが普遍性や客観性を帯びることはないのです。

ところで「反進化論」を掲げるひとたちの誰もが、偶然と必然の違いを理解できないようです。おそらく、これは推測ですが「意思の介在しない選択はすべて偶然である」と思っているのでしょうか。
先ごろ話題になった太陽系について考えるとき、各惑星がそれぞれの軌道を公転しているのは「偶然」でしょうか。偶然なわけがありません。それぞれの惑星は、力学的な「必然」によって、選択された末に自由落下を続けているのです。

ウィルスまでを範疇に入れた、DNAに与えられたルールの基本原則は「自分の複製を作れ」です。複製を作れた個体は生き残り、うまく作れなかった個体は死滅します。このとき、資源は限られていますから「よりうまく」複製を作った個体が繁栄するのは「必然である」ことになります。そこにオカルトな力や、神による介在は必要ありません。進化は「偶然の蓄積」ではありません。「必然の蓄積」であるからこそ、現生に見るような、複雑で多様な生物が生まれ、その陰には生き残った種の数を遥かに上回る「絶滅した種のリスト」が存在するのです。

41はやし:2006/08/30(水) 19:57:18 ID:ssX6eYgE
>具体的な議論を避け、総論とかいう「逃げ」をはじめたのは、はやしさん、あなたです

君のいう具体的な議論とは具体的に何でしょうか?いままでわたしが問題提起したことの中にそれは含まれておりませんか?わたしのいう総論的問題、すなわちわたしがダーヴィニズムの本質的欠陥だと指摘した一元論的な世界観の問題はあまり具体的ではないので、そういう話題は議論したくないというわけですかね?それこそわたしからみれば逃げていると思えるのですが、君がそういうならそれでもいいので、前にも申しているとおり、君さえよければもっと具体的な問題で論じたい問題は他にいくらでもありますよと言っております。前に提起した擬態の問題もその一つですが、その他にもあげればきりがないほどいろいろあるのですが、小出しにするとまた拡散だとかいわれそうなので、ここでそれらを先に紹介しておきましょうか?すでに触れた問題も含まれておりますが。

進化のメカニズムに関する問題

1)擬態の問題 例:コノハムシなどの特殊な擬態 他
2)動物の合目的的な進化の問題 例:鳥類の羽 クジラやイルカなどの鰭の進化 他
3)獲得形質の進化の問題 例:キリンの首 ヒラメの目 洞窟内の目が退化した魚 他
4)抗体抗原反応や薬剤耐性菌の問題
5)生物の再生能力や修復能力の問題 例:海綿類の完全な再生について 他
6)発生現象に関する問題 

地層や化石に関する問題
1)進化の中間型の化石はなぜ存在しないか?
2)化石は通常どのようにしてできるのか?
3)地表の70%を覆う堆積地層はどのように形成されたか?
4)膨大な化石が発見される地層はどのようにしてできたのか?
5)斉一説による石炭層の成因の説明の無理
6)同じく斉一説による石油の成因の説明の無理
7)大陸移動や造山運動はかなり最近に起こったのではないかと考えられる証拠について
8)氷河時代がなぜどのように起こったのか?
9)北極や南極等の極地に埋まっている膨大な量のマンモスの化石や植物の化石のなぞ

他にもまだまだありますが、とりあえず以上のような問題点があります。

これらの問題について特に取り上げたい問題がありましたら、いってください。

42はやし:2006/08/30(水) 21:10:58 ID:ssX6eYgE
>ヴェロキ・ラプトルが「トリと爬虫類などを埋める中間型であると云われている」ことを知った上で、この通説に対して「こことここが事実(観測)と矛盾するので、その説は間違いではないのか」と「はやしさんが」述べるべきなのです

ヴェロキ・ラプトルについては知らなかったので、今後の参考にはさせていただきますが、たとえば君ならご存知でしょうが、爬虫類と鳥類の中間型どころではなく、完全な鳥類にみえるプロトアビスという化石が始祖鳥のはるか7000万年前といわれる地層から出土しておりますが、
この化石についてはどのように思われますか?

43はやし:2006/08/30(水) 21:38:06 ID:ssX6eYgE
ヴェロキ・ラプトルが鳥類と爬虫類の中間型とみなされうるのかどうかという説はともかく、少なくともダーヴィニズムの仮説によれば、ある種から別の種へ進化する過程には膨大な数の中間種が理論的に存在していたことになります。ましてや、鳥類の羽のように合目的的な形状が遺伝子の突然変異の蓄積により出現するためには膨大な量の突然変異による試行錯誤とその過程で淘汰されざるをえなかったさらに膨大な淘汰の対象となった中間型が存在するはずです。そのような理論の予想と事実の食い違いについて、たった一つのなにものかも分からない化石を紹介されても、いかなる先入観もいれずになるほどとは同意できないのは当然でありましょう。
それはたとえば百万分の一しかのこっていないジグゾーパズルの断片をみせて想像される絵を信じよと言っている様なものではないですか?


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