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磯谷利恵さんは何故?

1悩む人:2007/09/21(金) 01:38:46 ID:e3qAMLzM0
私は学会3世です。これまで真面目に信心をしてきて、女子部時代には幼い頃からの憧れの職業にも就け、今は平凡ですがとても幸せな結婚生活を送っております。
実は、先月亡くなられた磯谷利恵さんが信心をされていたと知り、大変ショックを受けております。
何故、信心をされていた方なのに、あのような事件に遭ってしまったのか・・・
何故なのか・・・誰にも聞けずに、悶々と悩んでおります。真面目に信心をしていても、守られなかったのは何故なのでしょうか・・・

32 ◆dSuTMUL9hU:2007/09/22(土) 07:20:29 ID:5QPgUi620
>>27で反省をされているので、これ以上触れる必要もないのですが、内容が問題だけに私見を述べさせていただきます。
個人攻撃が目的ではありません。
糞アンチの公開掲示板に、まじめな学会員を装い、他者の個人情報をさらす。
これだけで、アンチの成りすましとしか思われません。

さらに、公開掲示板に他者の個人情報をさらすことで、二次被害・三次被害を拡大させる、可能性が大である。
自分の興味・関心・疑問を満たすためなら、他者の個人情報を勝手に公開しても許されるのでしょうか?
人権感覚ゼロでしょう。 できることなら、こうしたスレは削除することが望ましいと思いますね。

また、被害者名と創価でGoogle検索しても、ヒット数は多いものの、被害者と学会を結びつけるものは最初の数件のみ。
しかも、これも2ちゃんねる糞アンチの掲示板情報だけであり、被害者が学会員であると、信頼に足る情報はありません。
あるのであれば、情報ソースを示していただきたい。

こうした安易な情報は信じても、被害者のお母さまの手記は読まれていないのでしょうか?
仮に読んでいないとしても、人権に配慮すべきでしょう。
学会員である前に、人として当然の行為です。

本題の疑問にも多少触れておきます。
こうした疑問こそ、現場で解決すべき問題です。
周りの雰囲気から、言いづらいならなおさらです。
疑問を提示して『動執生疑』を起こすのです。そうすることで、周囲も真剣に考える切っ掛けになります。

また、疑問というものは、知識の質問ならいざ知らず、他者に答えを提示してもらって解決するものではありません。
他者の提示は、あくまでも参考意見やアドバイスであって、疑問を解決するのは自分自身です。
自分自身で答えを見つける、のです。 これは幸せをつかむのと一緒です。
そのための参考意見はいっぱい集めてもいいでしょうが、ただ集めただけでは時間のムダです。
その結果、信心は間違いだと結論or決断するなら、やめればいいのです。
今回は死生観ですので、安易に結論は出せないでしょう。一生の問題として探究するほど深いものだとも思います。
これだけ学会員が多くなると、学会員による犯罪、被害者も加害者も学会員という事例は過去にも多くありますし、今後もあるでしょう。
学会員だからという理由だけで、特別なことは何もありません。 凡夫即極が日蓮仏法なのです。

33 ◆dSuTMUL9hU:2007/09/22(土) 07:23:10 ID:5QPgUi620
>>32 連続投稿を許されよ。
私の参考意見を紹介しようと思ったら、リンクはダメだったので転載します。
創価仏法研鑚掲示板の「なんでも質問箱」スレの223番です。
223▼ 名前:恋 投稿日:2007/03/27(火) 19:47:22
死(臨終)にはいろんな形態があります。
どの死に方が良いとか悪いとか、安易に判断はできません。 安易な判断もできません。
仏法は生命の尊厳を説き、それこそが根本の哲理でもあります。
生命とは何か、生とは何か、死とは何か。なぜ生命は尊いのか?

これらを探究し続けているのが、仏法だといえるでしょう。 もちろん現在進行形です。

そうした現実を諸法実相した、仏の叡智は、生命は三世永遠であり本有常住であると見極めました。(法華経方便品第二)
故に、今という現実、今という瞬間の連続と積み重ねが生命の実相ともいえるでしょう。
瞬間の生命、一瞬の生命に三千の現象(諸法)が内在し、縁に応じて顕在化します。

こう考えた場合、死とは生命の単なる終わりではなく、次の新しい生への開始でもあり、死という瞬間を迎えるまでのその人の生きざまが、連続してつながっていくのだと思います。
つまり、死の形態が『どうだ、こうだ』ではなく、それまでの『生』こそが問題になるでしょう。
もちろん、死の形態も生の総決算といえますが、『形態』そのものは総決算の一部であり、縁に過ぎないと私は考えます。
病気で死ぬ、事故で死ぬ、事件で死ぬ、災害で死ぬ。
死の形態はさまざまですが、形態が問題なのではなく、やはり死を迎える瞬間までの『生のあり方』こそが問われると思います。

しかし、最愛の人の死は、残された家族・友人にとっては非常に悲しいものです。
それをどう捉え、どう乗り越えていくかは、その人それぞれの死生観を養うしかないと私は考えます。
学会であろうとなかろうと、その人の思想と哲学によって培われていくものであるとも思います。

『死』を考えるときに、衝撃を受けた一書があります。
以前にも当掲示板で話題になりましたが、
1997(平成9)年に神戸で起きた小学生連続殺傷事件の犠牲者・彩花ちゃんとお母さんの手記です。
彩花へ―「生きる力」をありがとう 山下京子著


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