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磯谷利恵さんは何故?

33 ◆dSuTMUL9hU:2007/09/22(土) 07:23:10 ID:5QPgUi620
>>32 連続投稿を許されよ。
私の参考意見を紹介しようと思ったら、リンクはダメだったので転載します。
創価仏法研鑚掲示板の「なんでも質問箱」スレの223番です。
223▼ 名前:恋 投稿日:2007/03/27(火) 19:47:22
死(臨終)にはいろんな形態があります。
どの死に方が良いとか悪いとか、安易に判断はできません。 安易な判断もできません。
仏法は生命の尊厳を説き、それこそが根本の哲理でもあります。
生命とは何か、生とは何か、死とは何か。なぜ生命は尊いのか?

これらを探究し続けているのが、仏法だといえるでしょう。 もちろん現在進行形です。

そうした現実を諸法実相した、仏の叡智は、生命は三世永遠であり本有常住であると見極めました。(法華経方便品第二)
故に、今という現実、今という瞬間の連続と積み重ねが生命の実相ともいえるでしょう。
瞬間の生命、一瞬の生命に三千の現象(諸法)が内在し、縁に応じて顕在化します。

こう考えた場合、死とは生命の単なる終わりではなく、次の新しい生への開始でもあり、死という瞬間を迎えるまでのその人の生きざまが、連続してつながっていくのだと思います。
つまり、死の形態が『どうだ、こうだ』ではなく、それまでの『生』こそが問題になるでしょう。
もちろん、死の形態も生の総決算といえますが、『形態』そのものは総決算の一部であり、縁に過ぎないと私は考えます。
病気で死ぬ、事故で死ぬ、事件で死ぬ、災害で死ぬ。
死の形態はさまざまですが、形態が問題なのではなく、やはり死を迎える瞬間までの『生のあり方』こそが問われると思います。

しかし、最愛の人の死は、残された家族・友人にとっては非常に悲しいものです。
それをどう捉え、どう乗り越えていくかは、その人それぞれの死生観を養うしかないと私は考えます。
学会であろうとなかろうと、その人の思想と哲学によって培われていくものであるとも思います。

『死』を考えるときに、衝撃を受けた一書があります。
以前にも当掲示板で話題になりましたが、
1997(平成9)年に神戸で起きた小学生連続殺傷事件の犠牲者・彩花ちゃんとお母さんの手記です。
彩花へ―「生きる力」をありがとう 山下京子著


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