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44ニュッサ:2012/01/13(金) 20:15:37
上記のペンルイスからの引用、

「「魂と霊さえもばらばらに切り離して」。すなわち、霊から動物的な魂を分離するまでに及ぶこと。魂は、人の非物質的性質の低次の部分であり、獣類と同じ動物的欲求の座である。同じギリシャ語が、コリント人への第一の手紙2章14節「生まれながらの(動物的な魂の)人」や、ユダの手紙19節で使われている。霊は人の高度な部分であり、神の霊を受け入れ、人を天的なものに結びつける。「関節と骨髄」。関節と骨髄の両方にまで達して切り離す。

キリストは「人の中にあるものを知って」おられる(ヨハネによる福音書2章25節)。それゆえ、彼の御言葉は、人の最も深い隠された部分、感情、思いにまで達して、霊的なものを肉的で動物的なものから分離し(区別し)、霊を魂から分離する。箴言20章27節も同じである。

レビ族の祭司たちは、ナイフを用いて、緊密に結合している四肢の関節を切り離し、最も深いところにある骨髄(ギリシャ語原文では複数)をも刺し通した。それと同じように、神の御言葉は、緊密に結合している人の非物質的存在――魂と霊――を切り離し、霊のもろもろの深みをも刺し通す。」


問題は、引用の中の、魂は動物的な低次な部分であり、霊は神的な高次な部分である
とみなす見方です。

例えば、ルターにおいては、肉とは神に逆らう人間存在全体であり、霊とは神に従う
人間存在全体であり、そういう観点をもってパウロを解釈しているのであって、

決して、実体的な区別として、霊、魂、からだを考えているわけではありません。

そして、この実体として、霊、魂、からだを区別して、からだはもちろん、魂を低次と
考え、

霊を高次と考える見方こそ、グノーシス主義やネオプラトニズムの嫌疑がかかるところです。

つまり、東方におけるエヴァグリオスの位置と似ているわけです。


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