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minglingましょう
101
:
山谷真少佐
:2012/01/14(土) 10:09:42
乃公のロジックは、こうです。
正教は神化を言うが、それには、カルケドン、両意論、パラミズムの枠が付けられている。
アタナシウスの定式(神が人となりたるは人が神となるため)及びマカリオスのminglingは、上記の枠内で考えなければならない。
後期ルター派がケノーシス・キリスト論からクリプト・キリスト論を経て「属性の融通」に至ったのは、後期ルター派の全部でなく一部であるし、カルヴァン派から「エクストラ・カルヴィニスティクム」(人性と神性のminglingは絶対に無い)の抗弁でもって批判されているので、「属性の融通」によりカルケドンが解除されたことにはならない。
後期ルター派の「属性の融通」は、御子の位格的結合における神性と人性の融通に限定されており、これを「手順を経た三一のパースンであるキリストの霊」と信者とのminglingを正当化するために使うことは出来ない。
ウェスレーは聖化を「信者が神の愛に化されること」と考えたが、これに正教の影響を認めるとしても、正教では「神の愛=エネルゲイアは神そのものではない」と考えているのだから、これを「手順を経た三一のパースンであるキリストの霊」と信者とのminglingを正当化するために使うことは出来ない。
リー派は「手順を経た三一のパースンであるキリストの霊」と信者がminglingした結果が「団体のキリスト」だとするが、団体のキリストとは地方教会だけを指すのであり、諸教派の教会は「背教のバビロン」とするのだから、諸教派がリー派を危険視するのには合理性がある。
信者と神とのminglingを支持する証拠聖句は存在せず、聖書正典に示されているのは、信者と神との「結合」(union)である。
以上が乃公のロジックです。
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